混沌の廃墟にて -257-

叩きなさい。そうすれば叩かれます。

1996-10-04 (最終更新: 1996-10-29)

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 盛り上がっている議論を読んでみると、その中に叩かれ役がいることが多い。 なぜ叩かれるかというと、それなりの理由があるのだが、本人はその理由に気付 いていないようで、極端な場合は、そこの常連が結託していじめていると考えて いそうな雰囲気の時すらある。

 そのような時に、第三者が通りかかって余計なことをするととばっちりを食ら う。浦島太郎は亀を助けることができたが、考えてみれば、叩く側には叩く理由 があるはずである。単なる憂さ晴らしで亀を叩くというのなら阻止するのも道理 である。昔、イルカを捕獲するための網を切ったという外国人がいた。イルカが 可哀想だというのだが、そのおかげで漁業に被害を受けている日本人漁師達は可 哀想ではないというのだろう。白人の発想らしくて好感が持てるではないか。 (*1)


 さて、話を戻してネットの様子を見ると、このように叩かれる人達に共通して いることはたくさんある。典型的な要素をいくつか考えてみた。


【論理が破綻している】

 何といっても基本はこれである。叩かれたいなら、まずここから入るのがコツ だ。誰でも反論できるような論理で発言すれば、誰からも反論される。自明だ。

 なぜ当事者がその破綻に気付かないのか不思議なものだが、その人の記憶能力 に問題があると思われるケースがある。数日前に書いた発言と今書いた発言の論 旨が矛盾しているのである。この場合、「以前はこう書いていたじゃないか」と 反論されると否定できないので辛い。

 ネットの場合、口論とは違って、過去に書いたことが殆どそのまま残っている ものである。証拠を突きつけられても「あれは間違いでした」とか「勘違いだ」 「気が変わった」とあっさり撤回してしまえばまだよいのだが、叩かれ役のタイ プの人は、むしろ「あれはそのような意味ではない」と解説を始めたり、昔の言 質を使って批判するのはずるい(どこが?)とか支離滅裂な反論を試みるものだ。こ の論旨がまた破綻しているため、さらに叩かれることになる。 (*2)

 短期的な発言内容がころころ変化するというのは、本人の意志がはっきりしな いということもあるが、もっと精神的な問題、例えば分裂症であるとか、多重人 格だとか、そのような問題があると思われることもある。実際、ある発言がどう も納得できないので、その方面に詳しい人に見せたら、これは典型的な分裂症の 症状だ、と言われたことがある。なお、文章に症状が見られるというだけの話で あり、例えばこの人が精神病だと判断した訳ではない。

 ネットの参加者が全員精神的に正常であると考えるのはおかしいのだが、いざ その場になってみると、なかなかそのような発想が出てこないものである。 (*3)


【態度が悪い】

 高圧的である。言葉遣いがきたない。やけに馴れ馴れしい。失礼である。無礼 である。このような人は、読者に反感を与えてしまう。反感を持てば感情的に反 発したくなるのは自然の成り行きというものだ。

 方言とか、あるいは地方によるニュアンスの差が原因で、思わぬ所で感情を害 したことを書いてしまう人もいる。また、どの程度の親しさなのかというお互い の認識が食い違うケースもある。当事者は何の悪意もないだけに、悲劇になりか ねない。


【相手が徒党を組んでいると信じている】

 前項と関連するのだが、「常連」とか「Fxxxの誰々派」とか「fjの人」のよう なグループが結託して自分に反抗していると考えるらしい。誰が見てもおかしい 主張をすれば、誰からも批判される。この理由はその主張が「誰から見てもおか しい」からに他ならないのだが、当人は、そうではなく、自分に対して何か別の 理由で敵対しているグループがあって、そのメンバーが群をなして攻撃している ように思うらしいのだ。(*4)


【自分の書いたことに責任を持たない】

 責任といっても、何かあったら損害賠償するという話ではない。要するに、自 分でこうすると言ったことを守らないのである。あるいは、「もう二度と発言し ません」と書いたのに、それに批判的な反論でもあろうものなら、すぐさま「も う一度だけ反論します」と書いたりするのである。さらにもう一度だけ。もう一 度だけ。これを延々と続けるわけだ。「二度と」の定義はどこかにぶっ飛んでい る。

 フォーラムなら、退会します、といってから全然出ていかない。ある期間を区 切って、その間は発言しない、と宣言しておいて、期間前に発言を始めてしまう。 あなたの発言は今後無視させていただくと書いた次の日にもう反論を書いている。

 これは何かというと、要するに捨てゼリフを書いたのに相手が捨てゼリフとは 認識してくれず、おもいっきり技を掛けてくるので、つい応対してしまう、とい うことなのだろうか。

 私の場合? 「あなたの発言は今後無視させていただく」とは書かない。そのよ うなことを書くと不利になるだけだ。後で撤回するのはすごく格好悪い。だから、 何も書かずに無視する。これらな気が変わっても大丈夫である。というわけで、 もう数年間無視している人が何人かいる。black.lstというファイルにIDを書いて ある。最近あまり増えないのはいい傾向だと思う。

 そういえば、「このフォーラムは二度と来ません」と宣言したフォーラムもい くつかあった。いずれも、運営者の態度に納得できないという理由である。 (*5) 私の 場合は、こう書いたら、原則的に本当に行かない。原則と書いたのは例外がある からである。例えばFASCIIがそうだ。SYSOP交代、全面リニューアルということで 実質的に全く別のサービスになった時点で、再度入会している。現在はSASCIIに なっている。運営側の態度が不服で退会したのだから、運営者が交代して内容も 刷新された時点で退会する理由がなくなったのだ。


【自分の書いたことを撤回しない】

 前項と矛盾するようだが、そうでもない。「二度と相手しません」という言明 は、それを守ると自分に不利になる。だから、簡単に約束を破る結果になりがち だ。ところが、そうではない言明、例えば議論のテーマに係わるような根本的な 主張に関しては、どのような理由があろうが、まず撤回しないという人がいる。

 「どのような理由があろうが」がミソである。うっかり論旨を間違ったとか、 否定するつもりが肯定してしまったとか、typoだとか、そういうものであっても 撤回しないのだ。撤回しないのは「自分が間違うわけがない」という自信(過剰) の現れかもしれない。

 では、撤回せずにどうするか。極端だと、詭弁を付けてなんとかしようとする ケースがある。その結果、また新たな大勢の反論を誘発することになり、どんど ん状況は破滅に向かっていくのだ。

 もう一つのケースとしては、とりあえず間違いに気付いて、ヤバいと思ったよ うな時に、そのまま放置しておく、というものがある。都合の悪いことは無視す る、というパターンだ。訂正しないから、いつまでたっても「あの時にあのよう な主張をした」という事実を持ち出されて、泥沼であることは変わりない。訂正 しない限りは、他者から見れば考えを改めていないとみなされるのは仕方がない。


【他人に禁じたことを自分は行う】

 「このようなことは、してはいけない」と書いておきながら、自分では全然守 らないのである。こうなると、自分だけは神のような特別な存在で、何をしても 許されると思っているように見える。反感を買うのに十分な状況である。 (*6)

 典型的な例としては、例えば「罵倒するのは礼儀に反する」と書く人が丁寧に 諭すならまだマシだが、その発言が罵倒しまくりだという場合。これは探せば結 構あるものだ。「こんな公開の場で辛辣な批判をしなくても、メールで忠告すれ ば済むではないか…(くどくどと長く続く)」というような文章をわざわざ公開の 場に出すような人もいる。その人がなぜメールで出さないのかは謎。


【価値観が社会的な規範に反している】

 これは仕方無いとしか言いようがないのだが、例えば民族差別、男尊女卑、階 級制度の支持など、現代社会において避けるべきであると考えられている思想の 持ち主である。差別的思想を持つだけならば、法的には何の問題もない。むしろ、 思想の自由として、人権としても保証された権利である。ただ、それに基づいて 行動し始めると話が違う。

 例えば南極人至上主義者がいたとしよう。この人が「南極人は他のあらゆる人 種よりも優れている」と考えるのは自由だし、そう言明するのも勝手である。ネ ットの上で主張するのはむしろ言論の自由と言うべきだ。ところが、もちろんこ の人は徹底的に叩かれるだろう。世界的には、人類平等という思想が正義とされ ているからである。

 この場合はもう本人に覚悟してもらうしかないと思う。頑張ってくれとしか言 いようがない。


 さて、では叩かれるのが嫌だとどうすればよいか。最も確実なのは発言しない ことである。99.9%確実と言えよう。しかしそれでは意味がないわけで、発言して かつ叩かれないためにはどうすればよいか。

 意外なようだが、かなり効果的な方法の一つは、場所を選ぶということだ。な ぜかというと、叩く人というのはかなり限られているのである。叩くというのは 攻撃的な内容を書くことでもあるから、必然的に、叩かれやすい内容になりがち なのだ。このリスクをふまえてなお叩くという人は、それ程いるものでもない。 うっかり叩いてしまったらカウンターをくらってしまって、その後全く出てこな くなった、という人もいるようだ。結局、パンチドランカー気味の人がいつまで も残るわけだが、このような人は割と類が友を呼ぶという傾向があって、ある範 囲の中に集まるものである。

 次に効果的な方法であるが、とにかくお茶を濁すという手がある。例えば、反 論されたら「なるほど、そういう考え方もありますねえ。」と書く。同意したの かしないのかさっぱり分からない。こういう相手はやりにくいので、叩く側もた めらうのである。手持ちのカードの2割程度で闘う、というような教えもあるが、 道理である。相手に全てさらけ出すのは背水の陣で過酷過ぎる。

 正攻法としては、先に列挙したようなことを“行わない”ということに尽きる が、あまり叩き所のない発言は、かえって面白くないかもしれない。うまく叩か れて美術となるような発言を書くことが出来れば秀逸ではないだろうか。


補足

(*1) このような差別に係わる皮肉は特に叩かれやすい話題であるから、普段はうかつ に書かないのだが、…。FPROGでも捕鯨の話が出ていたが、日本開国の頃に鯨を乱 獲していたのは誰だったか。

(*2) 反論すればするほど破綻した個所が増えていく。実例を出すのは簡単だが、おそ らく出さなくても分かる人には分かるはずだ。

(*3) 一時的にカッとなったとか、酒が入っていたとか、そのようなケースなら発言者 が自称することもある。これも精神的に正常でない状態の一種だろう。FPROGでは この個所を発端に精神病者に対する差別の話題に発展している。

(*4) 世の中をAという人に賛同する人と反対する人に二分して考えたがるのである。実 際は人ではなく個々の意見に対しての賛否であったり、賛成でも反対でもない、 というケースの方が多いような気がするのだが。被害妄想的側面もあるのかもしれ ない。

(*5) これでいい。イヤなら行かなければいいのである。イヤなのにわざわざ出かけて いって文句を言うというのも、気持は分かるのだが。

(*6) いわゆるダブルスタンダードよりも少し狭い範囲で考えている。個人的にはダブ ルスタンダードは別に悪くないと思う。ただ、もちろん、信用を失うリスクはあ る。世間一般としてはダブルスタンダードはモラルに反するという考え方の方が 多いだろう。


        COMPUTING AT CHAOS RUINS -257-
        1996-10-04, NIFTY-Serve FPROG mes(6)-160
        FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
        (C) Phinloda 1996