混沌の廃墟にて -178-

第1回フリーソフトウェア大賞速報 (3)

1992-07-02 (最終更新: 1996-10-06)

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さらに続くと書いてあったので、この後一体何が続くのであろうかと疑問に思 った方もいるかと思うが、FSP'92は前回の報告で終わりである。残っているのは 感想だ。

まず、本職のプログラマーの皆さんは、普段自分が作っているソフトウェアと 比較して、フリーソフトウェアの出来がよいことに驚いた経験があるかもしれな い。実は私自身、フリーソフトウェアには優秀なものがあるのに、市販のソフト ウェアは(自粛)と思ったことが度々あった。というのは、市販ソフトはプロが作 っており、フリーソフトウェアはアマチュアの作品、と錯覚していたからである。

もちろん、純粋にアマチュアの作者によるものもあるのだが、実は、作者のフ リートークの時間で壇上に上がった方々の大半が、プロのプログラマーか、ある いは過去にその種の経験を持っている方だったのだ。考えてみれば私もそうだが。 全くプログラミングに関わる仕事の経験がなく、そしてフリーソフトウェアを作 っている、という人は少数派なのだと思う。なぜならプログラムというのはいい かげんな知識では組めないものだし、仮に公開して不特定多数に使われるレベル のソフトウェアを作る能力があるなら、その人はプロになれる技量を持っている ので、その種の仕事に就いてしまうのだと思う。

では、なぜプロが仕事ではないフリーソフトウェアという妙なものに手を出す のだろうか。作者の声の中の、自分の好きなやり方で作ってみたかった、という 意見が興味深い。プロという条件の下においては、自分の作りたいものではなく、 ユーザーが欲しいものを作ることが優先される。また、手順や仕様など、自分の 理想と異なったり、息の合わないスタッフとの共同作業を強いられる場合もある だろう。

純粋にプログラミングに陶酔しているプログラマーにとっては、自分の思った 通りの作品が書けないのは苦痛である。いわば純文学を書きたいのに大衆文学で 生活している作家のようなものである。フリーソフトウェアはストレスを発散す るだけでなく、少しでも自分の夢に近付くための理想的な手段でもあるのだ。


さて、単にプログラムを作るというのなら、シェアウェアという選択肢もある。 (*1) FSPの講演で、まず不満に感じたのは、この点を突っ込んだ意見がなかったことで ある。例えば、フリートークの場で次のような質問があれば、どんな回答が集ま るだろうか。

「なぜシェアウェアではなく無料で配布することを選んだのですか、例えば1 万人のユーザーがいたら、その10% の千人の利用者が料金を払ってくれたと すれば、千円という安い料金を設定しても、100万円のお金が集まります。利 益目当てではないにしても、これを新しいパソコンやソフトウェアの購入資 金、ネットの課金に割り当てれば、よりよいソフトウェアを作るための環境 が整備できると考えたことはありませんか?」
ちなみに、パーティの時間に、吉崎さんと、おそらくもう一人誰かに、もろに この質問をしたような気がする(いや〜、酒が入ると恐い…。とりあえず、この点 について今回は考えないことにしよう。私の主張は以前「日本にPDSは存在し 得るか」というテーマで書いた中に含まれている。


フリーソフトウェア作者達への、何に苦労したか、あるいは現在何に苦労して いるか、という質問に対して。メールの返事という回答が圧倒的だった。受け取 ったメールへの返事は非常に手間がかかる。また、同じ質問に何度も答えなけれ ばならないのだ。本格的にこの作業を効率化するためには、秘書が必要なのであ る。当然、そんな余裕はないのだ。

確かにメールの返事は大変であることは否定しないし、むしろ同意する。しか し、もっと危機的な大問題なのに、FSPでは殆ど誰も触れていなかったことが ある。誰もそれを指摘しなかったという事実は、既にこの問題が回避不能として 諦められているのかもしれないし、あるいはまだ気付いていないのかもしれない と思ったのだが。

すなわち、権利に関する問題である。

「BPLを作るにあたって一番大変だったのは何ですか」と尋ねられたら、即座 に「権利に関する問題です」と答えるだろう。まず、商業戦略的な問題としては、 B Plus という表現を自由に使ってもよいのかどうか。制限条件があるとすれば何 か。例えば昔、pkarcというソフトウェアが、その名称によるトラブルに巻き込 まれるという有名な事件があった(*2)。さらに、 プロトコルを勝手に使っても、法的な問題は発生しないかどうかという点につい て。CompuServe が公表しているライブラリを勝手に利用してよいのか。一部改変 したい場合はどうすればよいか。どのような著作権表示を行なうべきか。etc. 問題が多すぎる。

実際、BPLの最初の版が一応動くようになった時点で、このトラブルに遭遇し、 結局公開しないことにした、ということは以前このコラムで書いた通りである。 結局強引に現在の状況に至っているわけだが…。この間、BPL のプログラムを全 て書き直したため、少なくとも CompuServe の公表しているライブラリへの著作 権の問題はクリアになった。もっとも、プログラムを書き直したのは、権利問題 ではなく、むしろパスカルの匂いがぷんぷんするソースコードが趣味に合わなか ったので、C的にしたいと思ったからだが。

しかし、BPL の場合は、むしろ話は簡単なのである。なぜなら、CompuServe 社 は自らソースリストを公開するなどして、積極的に B Plus Protocol をオープン にしようと努力し、どちらかというと、私はそれを自由に使える雰囲気の中にい るからだ。ところが、総てのプログラムがそうだとは限らないのである。

例えば compress に関する特許の問題(*3)。 表計算を実現する時のセルの再計算の特許。このような権利は、排他的に利用し て特定の団体の利益となるべく使われているから、勝手に使うということは訴訟 という危険に面と向かうことを意味する。そして、おそらく全てのフリーソフト ウェア作者は、何かソフトウェアを作る前に、特許侵害にならないかどうかわざ わざ調査したりはしないのだ。

企業なら特許には特許で対抗することも可能だが、フリーソフトウェアの場合 はそれは無理な話だ。取ることのできる道は一つである。「なら、や〜めた」で ある。近い将来、フリーソフトウェアが皆無になるかもしれないという危機感は、 FSFのような有名な団体もアピールしているので、かなり多くのフリーソフト ウェア作者に広まりつつとは思う(*4)。しかし、 まだ具体的な解決法が確定したわけではない。暗中模索の不安定な時代は続くだ ろう。


フリーソフトウェア作者の立場は微妙である。ソースを公開することによって、 ある種のアルゴリズムやインターフェースは公知のものとみなされるだろう。こ れは、その後でソフトウェアの特許を占有されることへの対策になる。この点、 ソースを公開すべきかもしれない。しかし、ソースを公開することによって、 「あなたの公開しているフリーソフトウェアは特許を侵害している」と訴えられ る可能性が高くなるかもしれない。アンフェアかもしれないが、自衛のために作 者はソースを非公開にしたいかもしれない。フリーソフトウェア作者のための駆 け込み寺はないのである。


補足

(*1) 理由がよく分からないのだが、Windowsのソフトウェアはフリーではなくシェア ウェアのものが多いような気がする。

(*2) arcというのは登録商標だということでクレームが付いた。

(*3) もはやこの問題は誰がどの特許を持っているのかすら分からない。FSFはGNUから compressを駆逐して結局gzipという特許問題をクリアした圧縮/展開ツールを広めた。

(*4) 実際に訴えると圧力をかけられたフリーソフトウェア作者もいるはずである。


        COMPUTING AT CHAOS RUINS -178-
        1992-07-02, NIFTY-Serve FPROG mes(3)-334
        FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
        (C) Phinloda 1992, 1996