混沌の廃墟にて -177-

第1回フリーソフトウェア大賞速報 (2)

1992-06-21 (最終更新: 1996-10-04)

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15:12 からはフリートークである。壇上に、フリーソフトウェア作者が登場。 石田氏が司会である。左から、

井上 博嗣さんWTERM 作者
関口 潔さんWTERM 作者
北村 敏彦さんDM 作者
OKIYOさん点字スクリーンエディタ BASE 作者
栗田 厚さんLED 作者
五明 正史さんGomTalk 7 作者
斎藤 樹さんMIMPI 作者

まず、石田氏の挨拶。フリーソフトウェアは大学ではよく利用しており、大変 ありがたく思っている。どういう人が、どういう目的で作ったのか、普段は何を している人なのか、というあたりが知りたい。

(以下、敬称略)

井上:WTERM を作るきっかけとなったのは、市販ソフトだと機能の要望を出して もリアルタイムで反映されない。なら自分で作ってしまえばよい、という発想に なった。通信を実際に行っている人の多彩なアイデアを取り込めるのが利点であ る。作成上苦労したのは、モデムの対応など。しかし、苦労という程でもない。

関口:以前は受託でソフト開発をしていたが、現在は独立して仲間とソフトを作 成している。WTERM を作るにあたっては、「使い易く」という点はあまり考えて いなかった。仕事ではできない自由な作り方を試してみようということで、ある 意味では無責任という感じである。市販ソフトを目標とした。二人で作成するこ とは勉強にもなり、面白かった。

今度は英語じゃなく日本語なので、だいたいこの通りの内容だ。石田氏から、 どういう作業分担なんですか、という質問があって、関口氏が処理の中心的 な所、画面デザイン、ドキュメントなどが井上氏、ということだった。
北村:AP(*1)が近くになくて、電話代が一番 苦労した。DMはとても勉強になった。6年も前から作り始めた古いソフトだが、 最近京都北にもAPができたので、これからもがんばりたい。
確かにAPの有無は死活問題。
OKIYO:フリーソフトを作ってみようと思い立ったが、自分が欲しいソフトは既に ほとんどそろっていた。その時、たまたま NIFTY-Serveで点字エディタを作ると いう話があったので、これに乗っかった。最初何も分からなかったため、市販の ソフトを参考にして作り始めたが、利用者の負担を考えて、無料で配布するとい うことにした。
他の人の話にもありましたが、やはりソフトウェアの作成というのは、最初 は他のソフトを参考にする、ソースを見て真似をする、これで腕を磨くので ある。
栗田:NIFTY-Serveのログを整理しようとしたのがきっかけでソフトを作り始め た。汎用にするために、script 機能を入れたが、これは汎用にした方が利用者が 増えるのではないかと思ったからである。仕様設計には苦労した。

五明:System 7で日本語を表示するソフトを作ろうとした理由は、Appleのアナ ウンスでは、日本語化に1年位かかるということだったから。待ってるよりは、 自分で作ろうと思った。しかし、時間がなくて苦労した。特に、メールの返事を 書いたり、テスト作業には時間が必要である。

BPLは、メールなど殆ど来ないのである。来たかと思えば、大抵はどこそこ に転載していいですか、というメールなのだ。かといって、バグがないわけ でもないはずだ。作者が言うのだからこれは間違いない。
斎藤:MIMPIは、おんちゅう氏が原作で、最初マスターネットで配っていたのが、 いつの間にか非常に広まってしまった。マニアックな所にこったソフトであるが、 現状では、紹介記事などでも、表面的なものが先行していて、凝った所はなかな か紹介されない。多くの人が使うようになって、自分の自由で作成できなくなっ たのも困った点である。メールの返事を書く時間がない。
この後、言いたい事を順に述べてもらうことになった。フリートークという よりは、自己紹介みたいな感じである。
井上:最初の頃は、あまりメールがもらえず、あえて聞いても「よかった」とい う返事だった。最近はメールが増えて困るようになった。会議室があるので、質 問はそちらで、とアドバイスするのだが、メールが少なくなると、それはそれで 寂しいものである。

9600bpsへの移行、WINDOSやDOS/Vへの環境の変化が、どのような影響となる かに興味を持っている。FAX を送りながら同時に通信するような世界が来ること を祈る。WTERMの制作には、多くのフリーソフトウェアを参考にした。他の通信 ソフトも機会があればぜひ使ってみてください。

関口:草の根ネット4、5個をホームグラウンドとしている。他にWTERMサポート 用のネットがあり、ここは500名に会員限定で、それ以上規模を大きくするつ もりはない。コミュニケーションを楽しんでいる。WTERMは他の人の意見を取り入 れて育ててきたソフトである。

北村:皆さんどうやって時間を作ってるのでしょうか。とにかく時間がない。ユー ザーのフィードバックでユーザーインターフェースを変えていきたい。ユーザー の声をすぐに反映できるのが、フリーソフトウェアの特徴なのだから。最後にネ ット運営側にお願いですが、APをもっと増やしてください。特に日本海側は少 ないようです。

OKIYO:言いたいことは特にありません。わがまま放題で作っています。会議室に 質問があっても答えない。すると、他の人が回答してくれる。作者としては楽で ある。

栗田:マニュアルが大変だ。マニュアルが不十分だと言われたことがあり、バー ジョンアップの時に頑張って書いたら100K程になった。すると、長くて読めない といわれてしまった。マニュアルに書いたことを質問されることが多い。難しい ものである。

長さはあまり関係ないような気もする。BPL で -n オプションの質問をされ ることがあるが、これはマニュアルには書いてあるのである。BPL ほどいい かげんなマニュアルも最近では珍しい。
五明:特定の環境下で動かないという質問が多い。同じソフトを買って試すわけ にもいかないから、わかりませんという返事になってしまう。通信費用も多いの で大変だ。特に CompuServe で Internet のメールを受けていて、料金がかさむ。

斎藤:マニュアルがやはり大変である。マニュアルにマニアックな機能を説明す ることができないと、つい隠し機能になってしまう。在宅勤務なので、作る時間 は割と自由にできる。MIMPI はプレイバッカーだから単体では無意味で、データ が必ず必要だが、そのデータを聴いて感動するのが楽しみである。データが増え るのを期待したい。

私のデータも大抵 MIMPI で聞いている。RCM98 だとメモリが足りない時でも、 MIMPIなら実行できるので重宝しているのだ。ただ、私の曲は、曲の方がマ ニアックらしく、一部の人にしか受けないような感じがするが。データもフ リーソフトウェアである。
最後に、石田氏より、フリーソフトウェアの作者に感謝しますというしめくく りがあった。これで 16:00 ジャスト。予定通りぴったりに終了する講演会という のは、初めて見たような気がする。


その後、ロビーでぼけ〜と立っていたら、YさんやIさんに声をかけられて少 し話す。NIFTY-Serve、最近ビジーが多いですね、と、とりあえず言っておく。 何しろ眠い。

さて、パーティーである。タダ酒である。これが楽しみで来たようなものだっ たりする。最近飲んでいないので、水割りを2杯飲んだのだが、朝から何も食べ てなかった所に…いや、2時半頃にRT会議の途中でカップ麺を食べたか…いき なり飲んだので、へべれけに酔っぱらう(多少誇張あり)。冒頭で頭が痛いと書 いた原因がこれだ。

IさんやFさんと話をしたりする。と、目に入ったのは斎藤さんだ。実は最近 一番よく使っているフリーソフトウェアは何か、というと、ULTmini と MIMPI で ある。特に MIMPI は使いまくりだから、一言作者と話ができれば、と思っていた わけだ。結構ミーハーなのかもしれない。うまいこと話し掛けることができた。 おんちゅうさんにも会えたので、少し話をした。ソースは公開しないのですか、 と尋ねたら、やはり深い事情があって (*2) 簡単に公開できないようである。残念。

…殆ど意味不明の文章になってきましたが、ざっと読み飛ばしてください…

とか言っているうちに、表彰式が始まる。大賞の吉崎さんは意外と小柄だった。 授賞の言葉とか、述べていらっしゃったが、何だっけ、よく覚えていない。寝不 足+すきっ腹+水割りの攻撃は結構きます。それはさておき、一通り授賞式であ る。数名、欠席の方がいらっしゃった(いないのか…)のが残念である。

ところで書き忘れていたが、なぜ私がフリーソフトウェア大賞のパーティーに 出かけたかというと、BPL が「送受信インターフェース賞」なるものに選ばれた からである。変な賞だな…とは思ったりしたが、最近もらえるモノは何でももら う方針を固めているから、ほいほいと出かけたのであった。確かにBPLのユーザー は、数だけは多いかもしれない。ダウンロード回数は、v3Dかv3Cの時に FGALTM で1万回を越えていたようだ。これは、実はFPROGでのダウンロード回数の5倍 以上という数である。旧ビギナーズフォーラムにも登録してあったり、FM 系のフ ォーラムにも転載されているから…。もちろん数が多ければいい、という問題で はないが、授賞する理由としては数くらいしか思い浮かばなかったのだ。

で、私も一応呼ばれたので壇上に立った。盾というか、トロフィーみたいなも のをいただいた。贈呈役は、クロード・チアリさんである。握手をしたのを覚え ている。この時はもう酒が入っているので、実はへろへろしている。で、副賞ま でもらってしまう。そういう話は全然聞いていなかったのだが、とにかくいただ いたのが、何とOMRONの9600bpsのモデムであった。うむむむ…。

モデムはモデムを呼ぶ」(格言)

ない金を絞り出してAIWAのモデムを最近買った私の立場はともかく、取り敢 えず悩むとしても、こんなのいらないと返す気などは絶対ないので、ありがたく いただいたのである。しかし実際問題として、モデムが2台あっても何をすれば よいのか…。(^^;) 検討してみよう。

あと、日本IBMから OS/2 J2.0。あっても使えないぞ…と思ったりしたが、帰宅 してからどこを見てもそんなものは入ってなかった。一体なんなのでしょうか。 後で尋ねてみよう。(*3)

そして、小型置き時計である。これは結構おしゃれな時計である。もっとも、 私の場合狭い部屋なのに、あちこちに時計が置いてある。どこにいても時計が見 えるようにしたいからだ。これでまたカバーできる範囲が広がった。


高千穂氏とばったり目線があったので、多少お話できた。アスキー誌の連載を 読んでますよ、という話をした。昔、ネットには変な人がいる、という話を電子 会議で引用させていただきました、という話をすると「いるんですよね〜」「ほ んと、いますよね〜」こういう話は絶対意見が一致する。

次にばったり会ったのは中村明氏である。やあやあやあやあ、頑張ってますな 〜〜、てな感じで近づいてきて、握手された。実は今までにもお会いしたことが あるが、名前通り、結構明るい人なのである。ただ、この日は輪をかけて明るか った。

滅多にない機会だから、吉崎氏ともじかにお話したいな、と思っていたので、 粘ってなんとか話し掛ける。とにかく吉崎さんというと今回の主役ですから、い つも誰かに捕まっているわけだ。で、捕まえて私が一方的にべらべらと調子に乗 ってしゃべりまくった。多分、こいつうるさい奴だな、と思われたのではないだ ろうか。で、後で何を話したかよく覚えてない。この時は水割り2杯飲んだ後だ ったので。(理由になってない) なんとなく覚えている話というと、お互いSYSOP ということもあって、通信ソフトを作る話があるそうですが、どうですか、FPROG はほぼ頓挫しましたがFLABO(*4)はどうですか。 FPROG は今のペースで順調にいけば今年中にアクセス時間が0になりそうですよ〜。 あと、ウイルスの話などをしたような気がする。

くだらん話ばっかりだな…。滅多にない機会なんだから、もう少し後に残る話 をすればよかったかも。

べらべらしゃべった後は、M氏がいたので、「お代官様〜、〆切少し待ってく だせえ〜」と懇願する。なんとかOKしていただくが、よく考えてみると、調子 に乗って「混沌の廃墟にて」を書いている暇があれば、その原稿を書いてしまえ ばいいのではないだろうか。

(さらにつづく)


補足

(*1) Access Point。最近はAPの有無じゃなくて、混雑しているかどうか、ROAD5がある かどうか、といったあたりが問題になる。FPROGで書いたように、同じ分量のログ を取るにも、ROAD2だとROAD5の2〜3倍の料金になってしまうのだ。電話代も高い。

(*2) 一般論だが、メーカーから「ソースを非公開にすればデータ形式を教えてもよい」 と言われることは、よくある。

(*3) 後から送ってきた。結局全然使っていない。使えるマシンがなかったから。使える マシンが手に入った頃にはWarpが出ていた。

(*4) 最近は吉崎さんがFLABOのSYSOPであることを知らない人がいるらしい。だから、 LHAの情報がFLABOで入手できるということに気付かない。


        COMPUTING AT CHAOS RUINS -177-
        1992-06-21, NIFTY-Serve FPROG mes(3)-272
        FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
        (C) Phinloda 1992, 1996