E-28購入控 第4章〜考察編

by TAZYさん


 Tをポイントとした時間軸は緩慢な地点をあっさりと、まるで微熱でしかなかったかの様に進行した。
同時に、それまでゆっくりと流れていたハズの優雅なBGMもいつしか聞こえなくなっていた。
聴えて来るのは、単純な街のノイズや他人の喋り声だけになっていた。
そしてTは、雪で白く覆われた大地と青く澄んだ大空のコントラストが美しい場所を離れることになった。

 Tは、大きな深呼吸をして、
生まれ育った空気の中、広告の世界に身をおいていた。

予想外の徒弟制度の中、Tは目指すディレクターへの階段を着実に昇っていた。
そして、制作進行最後の仕事は、天気予報のフィラー撮影だった。
地方にしては予算のある仕事だったが、Tは担当の外部ディレクターのSことが気になっていた。
Sは地方映像業界の大御所だった。
才能の有無は問われず、年齢と経験と僅かなコネクションが掌握する地方広告業界では、Sの地位は確固としたものだった。
「業界の常識、世間の非常識」と誰もが口にする世界で、果たして、撮影一ヶ月前になってもSの撮影コンテはあがってこなかった。
「Tさあ、Sさんつっついてくんないかぁ、」
Sの大学時代の後輩でもある、今回のプロデューサーMが、Tに泣き付いて来た。
「え、あ、別にいいですケド、Sさんが遅いのって、毎回でしょ」
「ああ、だけどさぁ、クライアントが不安がっててさぁ、頼むよぉ」
「・・・俺が言ったって、聞く耳もっちゃいないと思いますがね」
Tは仕方なく、最近支給された携帯電話のフリップを開いた。
制作進行はプロダクションマネージャーとも呼ばれ、プロデューサーに次ぐ作品全体の管理者でもあった。
右手で拝む様な格好をしているMがTの視界に何度も侵入した。
呼び出し音が途切れ、ザワついたBGMとSの低い声が聞えた、
「はいSですが、」
「あ、オハヨウゴザイマス、EのTですが」
「ああ、ナニ?」
「あのお、先週末に提出して頂く予定だったコンテ、まだ頂いて無いんですが、ひょっとして郵便かバイク便か何かで送って頂いてますか?」
「あぁ?届いてないんだろ、だったら送ってるハズねえだろ」
「・・・スイマセン。あのいつごろ提出して頂けるんでしょうか?」
「あぁ?天気予報のフィラーごときにコンテとか、本当にいるのかよ」
「ええ、あの、クライアントが確認したいとのことですし、関係スタッフにも詳細なコンテを早めに渡したいんで」
「だから、天気予報の後ろで流れるだけのタレ流しの映像に、細かいコンテとか必要あるかよお、」
「スイマセン、クライアントがどうしても、ということなんで」
「ったく・・・、あぁ、オマエ描けよ」
「え?俺っすか?」
「オマエもうすぐディー(ディレクター)になるんだろ、」
「え、」
「Mが言ってたぞ、まあ、いいや、前に送った仮コンテから適当に清書しとけよ」
「え、いや、それは、」
Tuu・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
会話は一方的に終了した。
「何?Tに描けってか、」
「・・・ええ、どうしましょ」
「仕方ない、悪いけど描いてくれよ、最終版はアトリエにやらせるから、」
Tは、一応は引き受けることにした。
いつもならマイナス要素があると判れば、何でも上手に断っていたのだが、現状、スケジュールの遅れが危惧されていたり、描いたものの最終確認を最初にSにすれば良いという考え、今回が最後の制作進行の仕事であることなどが、判断を鈍らせていた。
そして今回の映像にBMWを登場させるというプランが魅力的に思えていたことも、危険回避のセンサーを麻痺させることに一役かっていた。

 CMなどを制作する場合、ディレクターの頭の中にしかない具体化されたイメージをクライアントや関係スタッフに伝える為に、通常、コンテと呼ばれる説明イラストが用いられていた。
Tは、文字で構成されたSの仮コンテを丹念にイラスト化して行った。
Sがジプシーキングスの曲からインスパイアーされたというその内容は、単純に海岸線をBMWが駆け抜けるというものであった。
TはSの文字での説明にいちいち引っ掛かっていた。
例えば(このシーンはシュミレーションが必要)などと書いてあると、「ったく、シュミじゃねーだろ、シミュレーションじゃねえかよ、」
などと独り文句を言ってみたりした。
Tは、そもそも、このSが嫌いだった。
(古いBMWのオープンカーが登場)という書き方にも腹がたった。
「オープンじゃねえだろ、アメ車じゃねんだぞ、ったくよお、しかも、古いBMWって何だよ、まあ、自分で用意するとか言ってたからいいけど、古いカブリオって何だろ」
Tは判断で、2002のカブリオを描いた。
翌日、完成したコンテをMプロデューサーに見せ、Sの自宅へとFAXをした。
Prururururu
「はい、Sですが、」
「あ、オハヨウゴザイマスEのTです」
「ああ、」
「先程、御自宅にフィラーのコンテFAXしときましたんで、」
「ああ、Mに見せたか?」
「ええ」
「じゃあ、Mによぉ、オマエのコンテもとにアトリエにカラーで描かせるように言っといてくれ」
「あの、見て頂けないんですか?」
「MがOKしたんだろ」
「ええ、まぁ」
「じゃあ、いいよ、俺これから、打ち合わせだから、」
Tuuuuu・・・・・・・・・・・・・・

翌々日、スタッフミーティングが行われた。
Tのコンテを元にイラストレーターがカラーで清書した演出コンテがボード状にされ、内容の説明に使われることになっていた。
「オハヨウゴザイマス」
ミーティングルームにクライアント以外の関係スタッフが集合した。
「では、○○興産の天気予報フィラーの撮影打ち合わせを開始します、
こちらのボードを御覧下さい」
Mの合図のもと、Tはコンテボードを掲げた。
「では、Sディーに御説明頂きます」
「えー、今回の演出をさせて頂きます、Sです、どうぞ宜しく、で、今回の・・・」
Sの声が止まった。
「おい、」
SがTに向かって声を荒げた。
「この車、なんだよ!」
「え、古いBMWですが、何か?」
Tは多少驚いたが、臆することなく答えた。
「バカヤロォ、俺のイメージのビーエムのオープンカーじゃねえんだよ」
同席しているスタッフは鎮まりかえった。
「え?」
Tは一瞬自分のミスか、という気持ちになったが、刹那、確認したことを思い出した。
そして、身体の温度が上昇するのを実感した。
臍の裏側辺りに力が入り始めた。
完全に眉間に皺が寄った時、色々なことを思い出し考察した。
そして、ここでこの感情を我慢しなければ事態は厄介なことになることも認識していた。
一瞬にして様々なチャートが浮かび、考察を促した。
しかし、それを超える感情がTを支配した。
俺はこのSという男が嫌いなのだ。
「ボードにする前に、コンテをFAXでお送りしたと思いますが」
「そんなことは関係ねえだろ、T、オマエ、俺にビーエムの確認したか?」
「ちょっと、待って下さいよ、古いBMWのカブリオレという指示ですよね」
「あぁ?カブリオレ?」
「ドイツ車ですからオープンカーでは無く、カブリオレという言い方が正式です」
Tは相手の怒りを承知で冷静に喧嘩を売った。
「テメエ、調子に乗ってんじゃねえぞ、
このボードのこんな古いビーエムなんて用意出来るハズねえだろ、クライアントに何て言い訳するんだ、この馬鹿野郎がぁ、」
「ですから、俺はSさんにFAXもお送りしましたし、今日まで何のNGも無ければ、ボードは進行するのは当然じゃないですか」
「小僧、誰に口きいてるんだ、あぁ?」
誰も仲裁に入らなかった、というか入れなかったのだ。
Sは与えられたスタンスを十分に活用し、今日まで高圧的に仕事をしてきた人間である。
ここで逆らったら、という恐怖心があからさまにスタッフから伺えた。
Sは、20代のシタッパにこういう反論をされることは初めてだった。
「ったくよお、M、教育が成ってねえぞ」
プロデューサーは無言だった。
「Mさんじゃないでしょ、アナタの仕事の進め方に問題があるんじゃないですか?」
ミーティングルームの空気は悪くなる一方だった。
しかし、Tは止まらなかった。
「もともと演出コンテは、ディレクターが描かなきゃいけないんじゃないですか?
 仕事ウンヌン以前にディレクターとかクリエイターとか名乗るんだったら、自分のイメージを具体化させる第一歩の手段は、命みたいなモンじゃないいんですか?」
「・・・」
「それをアナタの言うところの小僧に任せたんでしょ、誰でもないアナタのセイでしょ」
「言いたいことは、それだけか、」
「いえ、じゃあ、お聞きしますが、アナタの言うところのBMWって何だったんですか?」
「あぁ?今は関係ねえだろ」
「冗談言っちゃいけない、それが発端でしょ、ハッキリさせましょうよ」
「あぁ、知るかよ!」
「知るかとは何だ!!こっちは制作生命賭けてアナタに質問してるんだ、
 命懸けの人間に対して、無礼なことを言うな!!」
「・・・今の一つ前のカタだよ」
「はぁ?古くないじゃないですか」
「馬鹿か、現行車があれば、それ以前は古いってことだろうが」
「うわ、浅ぁぁ、」
TはSの浅慮さに改めて腹がたった。
「おい、M、この馬鹿野郎、この仕事からハズせや、それかクビにしろや、」
「おい、アンタに雇用されてる訳じゃねえよ、アンタこそ調子に乗るなよ」
ガンッ
Tは額に酷い痛みを感じた。
スタッフがSを止めている姿を確認出来た、そして痛みに負けテーブルにうつ伏せた。
Sは怒りのあまり、ガラスの灰皿をT目掛けて投げつけたのだった。
結局、Tはその仕事からはハズされてしまった。

その一ヶ月後、Tの名刺の肩書きは(演出)へと変わっていた。
Tの感性はどんどん受け入れられ、いつの間にか地方ではソコソコの知名度を持ったディーに成っていた。
しかし、地方広告業界に様々な限界を感じ、8年後には広告の世界から逃げ出していた。

その後、Tの肩書きはコンサルタントへと変わっていた。
それまでとは違う、スーツ姿での仕事には新鮮さを感じていた。
新しい空気にも徐々に馴れ、Tにもアシスタントがつくようになったある日のことだった。

その日、Tはいつものように日中はデスクワークをこなし、アシスタントに指示をして、夕方からは、契約先の人事担当者からの相談を受け、軽く食事をした後、再びオフィスに戻って翌日に必要な資料をチェックし、深夜に帰路へ付いた。
以前の会社を退職する際に先輩のディレクターから贈られたMTBが、毎日の通勤手段だった。
ズボンの裾をテーピングして、グラブに指を通し、エレベーターにMTBと同乗した。
外に出ると緊張感のある深夜の空気がTに纏わりつき、それは心地良く感じられた。
久し振りに夜空を見上げると、闇に浮かぶ薄青の月が綿菓子のような雲を照らしていた。
Tは、左足をペダルにセットして、右足で路面を蹴った。
ダークなスーツに身を包み、真っ赤なMTBを走らせて、Tは何度も夜空を見上げた。
その日の月はとても美しく感じられた。
深夜のヒトケの無い、幅の広い道路を選んで走ってみた。
車も人もまったくいない、T独りの空間が続いていた。
「東京じゃあ、こういう感覚は味わえないなあ」
Tは久し振りに、緩慢な時代の自分を思い出してもいた。
バブル期の高級車達。
本当に湧いているんじゃないかと思える程、増殖していたBMWの3シリーズ。
そんなことを考えていると、今借りている2台ぶんの駐車場のひとつが廃止されることになっていたことを思い出した。
昨日も自分の2ドアとワイフの4ドアと、どちらを処分するかを話し合っていたのだった。
「いっそのこと、買い直すか」
今の車には充分愛着があるのに、Tはそんなことを口にしてみた。
「さて、じゃあ、何にするかなあ、やっぱバンプラか、ボルボの240か、ジャギュアーのMk2は高そうだしなあ、縦目のメルセデスかなぁ・・・」

月夜以外に見覚えのある建物が見えた。
そして、ほんの僅かに背後に何かの気配を感じた。
「あ、ここの近くは歩道に凹凸があったなあ、気を付けなきゃ」
そう思って視線を前面に戻した時、Tの目前には何故か白く低い壁が現れた。

「?」

本当に一瞬だった。
刹那という言葉は、こういう時の表現であることをTは知った。

ドンッ
という音がしたかも解らないほど、Tには短い時間だった。
気が付けば、TはMTBには乗っていなかった。
視界の下の方に曲がっていくハンドルが見えていた。
そして自分の体が宙に浮いていることが不思議に思えていた。

第4章・考察編〜了
第5章・再会編
もしくは
番外〜再びバブル期編
に続く・・・


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