E-28購入控 第3章〜緩慢編

by TAZYさん


 その年、僕は4年目に北にある大学の必要な単位を殆ど取得して、担当教授の理解のもと、東京で物書きの真似事を楽しんでいた。

 その日は、ティーンズ雑誌の新企画モノの打ち合わせだった。
僕はデン助を担いで渋谷で降り、明治通りから公園通りを抜けて、たばこと塩の博物館近くに最近オープンしたイタ飯屋にやって来た。
中に入ると数人の知り顔が手招きをしてくれた。
「あれ、Tちゃん、ヨコさんと一緒じゃないの?」
「いえ、勝手に来いって、いつものパターンで言われたんですケド」
「また、遅刻かよお、ったく」
ヨコさんは相変わらずの大幅な遅刻をして、やって来た。
この当時イケイケのフリープロデューサーだったヨコさんは、
文字通りの売れっ子で、時代の神様が宿ったんじゃないかと言われるほど、仕事の依頼も結果も高評価だった。
そして、いつも奇抜なスーツを着たりして、僕らを驚かせてもいた。
その日は空と雲がデザインされた、スカイブルーの地に雲が描かれたジャケットを羽織っていた。
「オマタ、オマタ、も〜これもんで、ケツカッチンよ、ホント」
ヨコさんは右腕の王冠が刻印されている時計を小刻みに振りながら、僕達に言い訳をした。
「じゃあ、始めましょうか、」
「あ、いけね、車に企画書忘れて来ちゃったよ〜、」
ヨコさんの独り舞台が続いた。
「取って来ましょうか?」
僕はゆっくりと席を立った。
「お、Tちゃん、悪いけど頼まあ、ほれ、ポルシェのキーね」
ヨコさんはキーを僕にアンダースロウで渡した。
「Tちゃん、何なら少し、乗っても、いいよ」
「ホントすか?」
「お、ポルシェっうのを味わうのも、未来あるライターの勉強よ、な、俺のてっさ、カレラなんだよな〜、な、彼等知ってた?・・・ハハハ」
僕の背後では、スタッフの大きな愛想笑いが起こっていた。
ヨコさんの車は予想通り、店の前に図々しく路上駐車してあった。
ポルシェには全く興味が無かったので、僕は企画書が入っている封筒を掴んで、あっさりと打ち合わせの和に戻った。
打ち合わせが一段落し、内容とデン助を確認した僕は事務所に帰ろうとした。
「Tちゃん、お、ちょっち、ちょっち」
「ハイ、」
「今日な、ナオンがウルサいんで、ジュリアナ行くのよ、一緒にどお?」
「ホントすか?俺、金無いっすよ」
「ば、何言ってんのよ、心配すんなって、タケ坊も誘って来いよ、な」
「はい、有り難う御座います、で、どこで待ち合わせますか?」
「ヤナセの本社前に、な、19:00」
「はい」
 
 僕とタケちゃんは、田町で降りて旧海岸通りのヤナセ本社に向かった。
ジュリアナの前を避けて三田駅側を歩いていると、コレカラオンナ達が集団みたくなって、ガードをくぐって行くのが眼についた。
「わ〜、何か相変わらず虫みたいじゃんね」
タケちゃんが僕の肩を押した。
「みんな、麻痺してんじゃねえの」
「そうだね」
「俺達もどっか麻痺してんだよ、きっと、じゃなきゃ、」
ポルシェ特有のホーンが響いて、ヨコさんの911カレラは僕とタケちゃんが立つヤナセの前に20:00近くになって現れた。
「オマタ、オマタ、お、タケ坊、ヒサシブリ、お、Tちゃん、コレがレイコ、
で、コレがミキ、で、コレが、カズミ」
「どうも、Tっす」
「タケっす」
僕らは右手を挙げて挨拶した。
「ねえ、キミタチ、車なに?」
カズミと紹介されたリカコを意識したメイクのコが口を開いた。
「車、持ってるワケないでしょ、」
タケちゃんが笑って言った。
「マジ?ゲロ、じゃ、私はヨコちゃんと一緒に行くワ」
レイコと紹介されたハチみたいな服を着たコが僕らを見ずに言った。
「まあ、そう言うなって、じゃあ、ミキとカズミは、2人と入り口で待ってろよ、な、俺、クルマ、置いてくるから、」
ヨコさんはレイコを乗せて、ガード方向に向かって行った。
「Tちゃん、どっちがライク?」
タケちゃんが自分のポケットからタバコを出しながら、カズミとミキに
気付かれない様に顔を下げ、僕に言った。
「どっちでも、」
「俺はカズミ、頂いとくわ」
タケちゃんは僕の肩を軽く叩いた。
僕はミキという石田ゆり子風のコに声を掛けた。
「じゃ、行きますか」
「そうですね、」
ミキは愛想笑いっぽい微笑い顔で僕に答えた。
たわいのない話をし始めると、あっという間に長蛇の列が見える入り口に到着した。
黒服が澄まし顔で、入場を制限していた。
僕らはヨコさんの到着を待っていた。
黒服のスタッフが僕とタケちゃんを見付けて、声を掛けて来た。
「タケちゃんさん、Tさん、どうぞ」
「有り難うマッちゃん、ヨコさんを待ってるんだよ、俺ら」
「そうすか、じゃあ、ヨコさんがいらっしゃったら、直ぐにどうぞ」
カズミがタケちゃんの右腕にしがみついて
「わ、ナニ、常連?カオキキ?」
と言いながらピョンピョンと跳ねた。
タケちゃんは、まあね、とだけ答えてシャツの内側からクロームハーツのクルスを出した、攻撃準備完了のサインだった。
「Tクンは、ヨコさんの事務所で働いてるの?」
ミキは両手を後ろに組んで、左右にゆっくりと揺れていた。
「いや、仕事は同一線上にあるんだけどね、所属は別」
「業界さん、なんでしょ?」
「ハハハ、俺は、物書き見習い、まだ、下っ端クンだよ、」
「じゃあ、業界さんには違いないんだ」
「どうかな〜」
僕の肩を強く叩く手があった。
「バカ、そういう時は、業界さんだよ、って、言っとけよ!」
ヨコさん登場だった。

 ヨコさんとレイコは入って左手のウォールバーに陣取って、常連客と呑んでいた。
タケちゃんはカズミとフロアでジュリ扇の波間で踊っていた。
僕は入って右側のアイランドバーにミキを誘った。
「ミキちゃんも車持ってるオトコがいいの?」
「ううん、別に気にしない、あ、ただ、ヤなのはあるかな〜」
「嫌なクルマ?」
「そう、」
「ナニ?」
「ほら、ここの周辺とか多いじゃない。」
「え?」
「・・・ビー、エム、中途半端なマルキンぽいじゃない、」
「ああ、ベームベーね」
「え?ナニ?」
「BMWってベームベーって言うんだよ」
「ああ、そのイニシャルなのね、くわしいの?クルマとか?」
「いや、」
「Tくん、ビーエム、好きなの?」
「いや、昔好きだったんだけどね、」
「ムカシ?」
「ガキの頃ね、憧れてたんだけどね、今はあんまし、ね、」
「六本木カローラ、になっちゃたから?」
「そんなところかな、」
タケちゃんがカズミを連れて来た。
「Tちゃん、珍しく踊らないじゃないすか、どぼじて?」
「ナニ?Tくん踊れんの?踊ろうよ、」
カズミはトムコリンズが注がれたグラスを手にして、
少し零しながら一気に飲み干した。
「もうちょっと、呑んでからいくよ」
「ねえ、ミキ、アンタは?」
「私も、もう少し呑んでる、」
 少し経つとヨコさんがやって来た。
「お、Tちゃん、俺、出るからよお、これ、タケ坊と2人でな、」
「え、こんな、いいんですか?」
「ば、当たり前でしょお、ヨコちゃんは、後輩タイセツよお、ジッサイ、」
「有り難う御座います、」
僕はいつの間にか、こういう空気を可笑しいとか情けないとか思えない感覚が備わってしまっていた。
麻痺していたのだ。
「で、さあ、明日、本郷に来てくんないかな、」
「本郷ですか、」
「そ、そろそろ、Tちゃんも名前出し〜の、大手やり〜の、みたいな、」
「え、○ド○ワですか、」
「ビンゴ、つうワケで、明日、13:00、ヨロシクな」

 僕はタケちゃんと半々にした軍資金を持って、ミキを次に誘った。
麻布十番を越えて六本木に着いた途端、BMWの3シリーズが鬼のように増殖していた。
「なんか、多いでしょ、やっぱ、ビーエムって、」
「確かにね〜、こう改めて見ると国産車っぽいよなあ、」
「え?」
「昔のベームベーは、もっと粋だったんだよね、デザインがさ、」
「そうなんだ、見てみたいな、」
「う〜ん、まあ、この界隈じゃ、無理だろうな〜、みんな新車くんばっか
だろ、古いクルマを大事に乗ってるヤツは、ここには来ないだろうな〜」
「でも、ビーエムって、高いんでしょ、普通車より、」
「まあね、俺も良く知らないケド、」
「あ、ねえ、あれも、ビーエムなの?」
「え?どれ、」
「あそこの、ほら、向こうの信号のところの大きくて白い、」
「あ、」
そこには、増殖している3シリーズとは違った雰囲気を纏い、全身から優雅な空気を溢れさせる、白い車体があった。
「ほら、豚の鼻みたいなマークがあるわよ」
「ああ、俺も初めて見たよ、確かにグリルのアレもボンネットのベームベーのエンブレムもあるなあ、何か一瞬、アメ車かと思ったぜ、」
「普通とは、ちょっと違う感じね、古いビーエムなの?」
「いや、古くは無いと思うよ、わっかんないケド、」
白い車体は2人の前を過ぎて行った。
「525ってエンブレムだったな〜、他のビーエムがチャチに見えるよ、」
「キレイな感じがするクルマだったわね、ビーエムに思えなかった、」
去って行く後ろ姿にさえ、何かしらの品格が備わっているような感覚を覚えた。
それは決して、ロールスやメルセデスやジャギュアーのそれとは違う、独特の色気だった。

 僕は軽い興奮を覚えながら、行き付けのショットバーを選んだ。
「もう、終電過ぎてるよ、大丈夫?」
「ええ、平気よ、気にしないで、ね、それより、今度会うまでに、
さっきのビーエムのこと調べておいてよ、」
「え?」
「ね、御願いね、」
「ナニ?買うの?ビーエム、」
「フフ、Tくん、いつの間にか、ビーエムって呼んでるわよ、」
「あ、ハハ、移っちゃたな、で、俺の質問の答えは?」
「買うのかどうかは、ワカラナイ、でも、気になるの」
僕は早々に次の場所を検索した。
タケちゃんのニヤケ顔が、ゆっくりと浮かんでも、来た。
「なあ、簡単なカケをしない?」
「ナニ?いいわよ、ナニをカケルの?」
「俺はこの時計、昔のセイコー製で、結構欲しがるヤツが多いんだ」
「ワタシは、」
「キスは、どう?」
「・・・ツマラナイ、」
「俺は興味津々だけどね、」
「じゃあ、ワタシは、この店の後のワタシの時間をカケルことにします、」
僕は喜びも含めて腕の文字盤を再確認した。
明日の本郷までは、ゆっくりと楽しめる時間が溢れていた。
「この店に次に入って来るのは、男性か女性か?ね、簡単でしょ」
「女性よ」
「え、どうして、」
「そういう気がするの、ワタシ、こういうのって、強いのよ、」
「じゃあ、俺は、男性、俺のソレは、キミのよりも、もっと強いと思うよ、」
そう言って僕は席を立った。
「どうしたの?」
ミキの言葉に返事をせずに僕は一度店を出た。
「な、男性だっただろ、」
再び入り直してミキの頬を人差し指で軽く押した。
彼女は大笑いして、
「アナタの勝ちだわ、」
と言った。

 僕らは店を出た。
100メーターも歩けば、朝を迎える場所があった。
途端にタケちゃんが汗をかきながら、僕らの前に現れた。
「Tちゃん、よかった、ここだと思ったんだな、」
「へ?どうした、タケちゃん、あれ、カズミちゃんは?」
「それどころじゃ、ねえよ、Tちゃん、ヨコさんがさ、刺されたんだよ、」
「あ?刺された?」
「ほら、彼女の友達のレイコってコと一緒のところを、他のオンナに見られて、」
「なんじゃそりゃ、嘘だろ、おい、こんな時に、」
「関係者集合らしいよ、行こうよ、俺らも、」
「あ、ああ、う〜、」
「う〜、じゃないでしょ、ねえ、ミキちゃんからも言ってやってよ」
「ヨコさん、きっと心細いんじゃないかな、Tくん、行かなきゃダメよ」
「ワカッタ、ゴメン、ミキちゃん明日また会えるかな、」
「ええ、多分、大丈夫よ」
「ホント、ゴメン、クッソ〜!!俺はこんな勿体ない思いするのは、初めてだよ、」
「バカね、」
そのまま、ミキは僕の右手を自分の頬にあてて、マタ、アシタと言った。
そこからタクシーを拾って、タケちゃんが事務所関係者から知らされた病院へ向かった。
 ヨコさんの傷は予想通り深かったが、大事には至らなかった。
本人から、今回の経緯は勿論、話自体も封印しろとキツク言われた。
病室の壁には、血痕が塗りたくられた、青空と雲のジャケットが掛けてあった。
そのジャケットを見ながらレイコは微笑んでいた。
そして、レイコはジャケットの血を小指でなぞって、唇にあてた。
ちゅっ、と小指をレイコは吸った。
理由は解らなかったが、僕にはその光景が、とても異常な風景に思えた。
僕はタケちゃんを急かし、挨拶を終わらせ長椅子に座って今日の成果を話し合った。
「あ〜、それって、5シリーズってやつでしょ、」
「え、タケちゃんベームベー詳しいの?」
「ううん、詳しくないケド、それって、○ソウ○○のホシさんが乗ってるヤツじゃないかな」
「あ、ホシさんって、面識ねえなあ、近々紹介してよ、」
「いいよ、でもさあ、Tちゃん、珍しいね、クルマに興味あるハナシなんて」
「そう、だね、何かね、昨日のベームベー、違ってたんだよな〜、その辺のベームベーと」
僕には昨日の夜の後ろ姿から誘ってくる、ベームベーが浮かんでいた。
「そんでさあ、ミキちゃんにどうやって連絡すんのよ」
「あ、・・・時間も場所も決めてねえよ、」
「うわ〜、マズイんじゃない、電話番号とかは、」
「ああ!おいおい、オラア何にも聞いてねえぞ、ゲロー、どうすんべ」
「どうすんのよ、」
「なあ、イズミってナオン、聞いてないの?」
「ナニ言ってんのよ、ワンナイトぐらいじゃ、聞くハズないでしょ、俺が、」
「だよなあ、」
「そんなことしてたら、アドレス爆発するし、身体も保たないでしょ、」
「・・・あちゃあ、フサガっちゃたよ、今回、」
「ナニ、ライク入ってたワケ、ひょっとして、」
「ああ、・・・何となくね〜」

 翌日、ヨコさん不在のまま、僕は本郷の出版社に向かった。
編集者との打ち合わせには、さっぱり身が入らなかった。
当然、ミキと525のエンブレムを背負ったクルマの事が気になって仕方が無かった。
その夜は、昨日と同じ時間帯を意識して、同じルートを尋ねてみたが、ミキもあの白い優雅なBMWも果たして、現れなかった。
 その年の終わりには教授が身体を壊され、僕は大学へ戻る事になった。
そして翌年には文筆業では無く、研究生を選択して大学に残った。
こうして僕の緩慢で麻痺を患った時期は、過ぎて行った。
当然、10数年後にあの時優雅だと思えたBMWの、E28のオーナーに成れるなんて、この時は微塵にも思っていなかった。

第3章・緩慢編〜了
第4章・考察編に続く・・・


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