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  ● ボスラの位置

 シリアの南、ヨルダン国境の手前に、ダーレという町があります。この町から東側に41キロ程度進んだところが、 ボスラです。
 ボスラはシリア砂漠の中にある小さな村です。
 ダマスカスから137キロの距離にあり、ヨルダンとの国境までは約20キロほどです。

  ● ボスラの歴史

 ペトラ(ヨルダン〉で知られるナバタイ王国は、紀元前2世紀以前、パレスティナからシリアにかけて勢力を広げていましたが、その北の中心にあったのがボスラでした。そして紀元前2世紀末にローマの属領となりました。ローマ帝国は、ボスラを植民都市として重視したので、空前の繁栄を遂げました。ペルシャ湾(アラビア湾)と地中海を結ぶ商業の中継地として重要な位置にあったからです。そのころにボスラには数多くの建造物が作られました。
 その後のビザンチン帝国時代になっても、商業都市としての繁栄は続きますが、やがてイスラム教の台頭とともにイスラム帝国の支配をうけ、ウマイヤ朝がダマスカスを首都とするにいたって、ボスラは、聖地メッカへの巡礼路として栄えました。
 12世紀に入ると、十字軍が侵攻し、ボスラもたびたびその攻撃にさらされました。 さらにその後、モンゴル軍の侵攻により、ボスラは徹底的な破壊を受け、かつての繁栄を取り戻すことはありませんでした。

  ● ボスラ遺跡の見どころ

 私がボスラを訪ねたのは2000年3月中旬でした。
 ダマスカスからチャーターした車は、ダーレを左に折れるとそれまでの高速道路から一般道を進み、ときどき乾いた大地の中に点在する人家の間を抜け、やがて両側に低い建物が並ぶ通りから、いきなり シタデルの前の広場にとまりました。

シタデル(要塞)と円形劇場

 ボスラ遺跡を最も有名にしているのが、シタデルの中にある 円形劇場 です。中東地域のローマ遺跡には、円形劇場を備えているものがいくつかありますが、そのなかでもボスラのものは、保存状態が最もよいことで知られています。
 劇場は、北側に ステージ 、南側に客席があります。客席は、15000人を収容できる容量があります。
 この劇場は、紀元3世紀ごろに建てられたものですが、11世紀から12世紀にかけて、セルジューク・トルコの対エジプト・ファーティマ朝との戦い、そして反十字軍戦争のとき、セルジューク・トルコ、アラブ軍側によって要塞に作り変えられました。その面影は、円形劇場を取り巻く7つの望楼に見ることが出来ます。また内部には他の建造物素材を再利用しながら構築されたことを見てとれる場所もあります。

都市遺跡

 ボスラ遺跡はこのシタデルを中心にみると、東西南北にかなりの規模で広がる都市遺跡です。私は、恥ずかしいことにボスラというと円形劇場のイメージしかなく、ここへ来るまではこのような都市遺跡があるとは実は想像していませんでした。
 ボスラ遺跡の西端には 市門があり、そこから東側に 列柱道路 がのびています。かつてのメインストリートだったにちがいありません。円柱が完全に残っているものはほとんどなく、地上から2・3メートルの高さまでが残っています。破壊された円柱上部は、シタデルの回廊の天井部などの素材として使われたようです。また、遺跡内部には民家がかなりあります。家の壁に円柱部が埋め込まれているのを見て驚きました。円柱を利用して家の壁を作っているのです。
 列柱道路を東に進むと、黒い色の 凱旋門 が、南北を向いてあります。ボスラの遺跡建造物は黒いものが多いのですが、これはこの地域の建築素材が黒の玄武岩であったことによるようです。
 凱旋門の南側に、 ローマ浴場跡 がありさらにシタデルがあります。また、シタデルよりさらに南側には、かつて ヒッポドローム(競技場)がありました。現在はだだっぴろい原野のようになっています。発掘はこれからのようです。
 シタデルのさらに東側には、1辺が110余メートル、深さ6メートルもある正方形の貯水池 があります。 貯水池はこの他にも2ヵ所にあります。非常に規模の大きいもので、これらはナバタイ王国時代に作られたものと考えられています。
 また、ナバタイ王国時代、ローマ時代からビザンチン時代、イスラム帝国時代と各時代の支配を反映する建造物もいたるところで見かけられます。ナバタイ様式の門、アゴラ、キリスト教会、モスクなどがあり、さらにコリント様式の完全な円柱が4本あります。

  ● ボスラ遺跡にみる世界遺産の課題

 ボスラ遺跡が考古学的に発掘されはじめたのは1946年からのことで、広大な遺跡のなかでは、未発掘のところがかなりあるようです。  ボスラ遺跡は、シタデルといくつかのモニュメントを除くと、人々の生活の場となっているところが多く、保存と発掘を人間の生活とどのように共存させていくのかが課題であるような印象をうけました。遺跡の上に民家やスークがあり、人々の生活の場や 子どもの遊び場があるのです。遺跡の中を歩いていて、頭の上に荷物を載せて歩く女性や、カーキ色の制服を着た女子中学生などを見かけることがありました。子どもたちが無邪気に遊ぶ様子からは、ボスラ地域の穏やかな風土と治安のよさを感じ取ることができました。

シタデル・円形劇場 貯水池 ヒッポドローム 市門「風の門」 凱旋門 ローマ浴場 列柱道路 初期キリスト教会 キリスト教聖堂 コリント様式の円柱 ウマルモスク 王女のゆりかご

 
山崎喜世雄(やまざききせお) Kiseo Yamazaki
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1996.5.31