川村渇真の「知性の泉」

「教養の定義」について思考を試みる


 論理的思考の例として、極めて難しい課題を取り上げる。その課題とは「教養とは何か?」である。ただし、「何か?」という疑問に回答する形だと、十分に説明できてない内容で終わりやすい。そこで、取り上げる課題としては「教養の定義を求める」に変更する。
 なお、思考過程を細かく説明すると膨大な量になるので、途中で悩んだり迷った内容を省き、重要な内容だけに絞って解説する。途中の作成物も、理解できる限り簡単な形式(事柄の一覧のみ)で示す。

極めて難しい課題なので、思考の例として価値がある

 教養について語っている文章や発言は、たまに見かけたことがあるだろう。そのほとんど(おそらく全部)は、教養の中身自体については触れず、他との関係などで間接的に説明している。実際には、説明と言えるほどの内容に達してはおらず、雰囲気だけで説明したと思わせるような書き方になっている。
 こんな内容なので、「説明している」とはとても言えない。もっと適切に表現するなら、「あいまいに語って、誤魔化している内容」だ。こんな結果になるのは、教養について、語れるレベルで理解していないからである。理解していないのに、理解している風に語っているのは、単なる勘違いか見栄を張っているかのどちらかだ。
 定義として説明できるレベルで理解できないのは、どうしてだろうか。理由は簡単である。この種の内容は“思考の課題として極めて難しい”からだ。だからこそ、論理的思考方法を身に付けていない人とって、手も足も出ない状態となる。
 逆に、論理的思考方法を習得し、それを鍛えた後では、ぜひとも試してみたい課題となる。ただし、極めて難しい課題なので、少し習得したぐらいでは不十分だ。論理的思考方法を十分に使えるようになった段階で、試すべき課題である。
 こうした極めて難しい課題を取り上げるのは、本コーナーで紹介している論理的思考方法の可能性を示すとともに、難しい課題をどのように扱えばよいのか、ある程度の考え方を示す価値がある。どんな風に考え進み、どんな形で結論を出すべきなのか、という点を示す価値が。
 もちろん、ここで紹介する思考の例は、完全に正しいという内容ではない。教養のように、もともとあいまいな言葉の中身を定義すると、誰もが同意する内容にはなりにくい。それでも、かなり掘り下げた思考を提供するなら、同じ課題や似た課題を思考するのに役立つ。
 なお、この思考結果に反論がある場合も、論理的思考方法を用いなければならない。そうではなく、説明になってない雰囲気だけの表現で反論するなら、マトモな反論とは言えず、自分が理解していないことを公表するだけに終わる。もっとも、その不理解を見極めるためには、論理的思考方法の習得が必要だが。


 ここからは、思考内容を複数の工程に分け、工程順に紹介する。工程1〜3はどの課題でも同じだ。工程4以降の内容は、工程3で求める。

工程1:思考目的を明確化する

 一番最初に行うのは、思考目的の明確化だ。課題が「教養の定義を求める」なので、この表現自体が目的でもある。あまりにも簡単な表現なので、もう少し詳しく表現した方がよいだろう。
 表現に入りそうなことを、何点か挙げてみる。前述のような「教養の中身自体を説明すること」も大事だ。その説明も、短い文章ではダメで、かなり細かく説明する必要がある。また、「教養」という言葉を使う際には、「教養がある」とか「教養がない」とい表現を用いる。この使い方を正しく行うには、教養の有無の基準が必要となる。以上をまとめると、次のとおり。

「教養の定義を求める」における思考目的
・教養の定義を作る
・定義では、教養の中身自体を説明する
・定義の内容は、できる限り細かく説明する
・「教養の有無」の判定基準を作る

 思考目的が複数の事柄になってしまったが、それでも構わない。目的が適切に解釈できるように、誤解の余地を少しでも防ぐことが大切だからだ。

工程2:思考結論の形式を設定する

 目的の明確化が終わったら、思考結論の形式を設定する。こういった課題の場合、結論の形式が一番重要となる。最終的に得られる結論の中身が、ほぼ決まってしまうからだ。思考作業の中で、もっとも力を注ぐべき工程である。
 形式を求めるには、教養の特徴を明らかにしなければならない。教養というのは、人間が習得するものだ。ということは、習得する要素を洗い出してみればよい。能力、知識、経験の3つが真っ先に浮かぶ。
 しかし、この3つだけ十分だろうか。習得という条件を外して、人間性を決める要素を洗い出してみよう。価値観、好み、感情などが思い浮かぶ。この中で、教養に関係ありそうなものは、価値観だ。これを4つ目の要素としよう。
 4つの要素が洗い出せたので、それぞれでどんな内容が含まれるのか、簡単に説明しなければならない。どの要素でも様々な中身が考えられるので、代表的な事柄を挙げるとともに、それらを上手に分類する必要もある。もう1つ大事なのは、それぞれの深さだ。知識なら範囲、経験なら深さ、能力ならば習得レベルとなる。
 ここまで考えて、価値観だけが少し異なると分かってきた。これは代表的な事柄を挙げるのではなく、方向性とか傾向として説明するしかできそうもない。それはそれで仕方がない。
 記述方法に関しても、補足的に決めておく。種類、範囲や深さやレベル、方向性や傾向の3つについて。この辺は、定義を作る際に修正するかも知れない。
 以上は教養の中身だが、それらを身に付けることで、どんな価値があるのかも明らかにした方がよい。教養の存在理由であり、教養を身に付ける目的にも関係する。価値を明らかにできれば、中身の定義と整合性を確認できる。つまり、定義した中身の習得によって、目的の価値を生むことを示せる。
 ここまで出た内容をまとめると、次のようになる。かなり簡単に表現しているが、実際に作るのは大変そうだ。

「教養の定義を求める」における思考結論の形式
・教養の価値(存在意義)
  ・身に付けるとどんな価値があるのか
  (注:定義要素との整合性を確認すること)
・定義に含まれる要素(中身)
  ・能力:能力の種類とそれぞれの習得レベル
  ・知識:知識の種類とそれぞれの範囲
  ・経験:経験の種類とそれぞれの深さ
  ・価値観:価値観の方向性とか傾向
・要素定義の記述方法(全部の要素に共通)
  ・種類:漏れを確認できる形で事柄を分類する
  ・範囲や深さやレベル:事柄ごとで大まかに示す
  ・方向性や傾向:特徴を示すだけしかできなさそう

 「教養があるかの判定基準」に関しては、定義から導き出せるので、形式の設定を省略する。簡単に考えると、教養の定義を満たした状態を「教養がある」と判定すればよいからだ。
 これ以降の作業では、この結論形式に沿った中身を作ることになる。この段階で、結論形式をある程度まで決めておくと、とんでもない結論しか得られないと言った大失敗が防げるし、思考の道筋が適切になりやすい。

工程3:思考の道筋(残りの工程)を求める

 結論形式が設定できたら、これ以降の思考の道筋を求める段階だ。難しい課題なので、この段階での出来の良し悪しが、最終結果に大きく影響する。
 思考結論に含まれる内容は、教養の中身と価値の2つに分けられる。この場合、先に中身を求めて次に価値を導き出す方法と、その逆順の方法がある。通常なら、先に中身を求め、中身から価値を導き出すだろう。
 しかし、今回の課題は、その方法が非常にやりにくい。最大の理由は、多くの人が教養という言葉を使っているにもかかわらず、その中身に関する説明がほとんどないからだ。逆に、外から見た特徴とか、他のものとの関係だけが説明されている(説明の深さは非常に浅いが)。こんな状態なので、中身から先に定義するのは非常に難しい。
 逆に、教養の価値を定義する際には、世の中に存在する“教養の浅い説明”でも少しは役立つ。教養の中身を新たに創作するのが目的ではないため、世の中にある説明は無視できない。というわけで、教養の価値から先に定義し、それを満たすような教養の中身を定義するのが、妥当な作業順序となる。
 教養の中身に関しては、価値の定義を満たすような材料を広く集め、それらを利用して4要素を定義する流れとなる。最後に、教養の中身の定義から、教養の有無の判定基準を作る。以上の点を整理すると、思考の道筋は次のとおり。

「教養の定義を求める」における思考の道筋
・工程4:教養の価値(存在意義)を定義する
・工程5:教養に関する材料を集めて整理する
・工程6:材料から4要素の定義を求める
・工程7:4要素の定義から判定基準を作る

 この道筋が良いかどうかは、実際に思考してみないと分からない。とりあえず最初に用意した道筋で試してみて、良くないと思った時点で変更するしかない。その場合、この工程からやり直す。難しい課題では、こうした戻りがよくあると認識しておきたい。
 また、思考の道筋である作業工程の分割では、工程ごとの作成物を規定するのが基本だ。しかし、課題が難しいため、途中の作成物を上手に規定できない。仕方がないので規定せずに進める。ただし、工程を進むごとに、作成物の中身(思考内容の中身)を段々と細かくしていく点だけは、強く意識しなければならない。

工程4:教養の価値(存在意義)を定義する

 この工程では、教養の価値を定義することで、教養の中身の定義に必要な教養の大枠を設定する。勝手に創作するわけにはいかないので、まず最初は、教養に関する説明を集めてみよう。
 あまり期待できないが、国語辞典で調べてみた。広辞苑第五版には、「単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる」とあった。大辞林第二版では、「社会人として必要な広い文化的な知識。また、それによって養われた品位」に加え、「単なる知識ではなく、人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術など」となっている。どちらも、具体的な内容を思い浮かばない、表面的な説明内容だ。他にも調べてみたが、似たような内容ばかりだった。
 国語辞典の説明によると、広い知識を単に知っているだけではなさそうだ。知識の意味を深く理解することまで含んでいる。当然、そうだろう。知識に含まれる言葉だけ単に暗記していても、教養があるとは言えない。これ以上に深い考察は、国語辞典の説明からは無理なようだ。
 仕方がないので、もっと根本的な点を考えてみよう。「何のために教養が必要なのか?」という疑問だ。この回答となる一般的な表現として、「人間として成長するため」というのが一番先に浮かんだ。なかなか良い回答ではないだろうか。これを掘り下げてみよう。
 そのためには、人間として成長した状態を考える。成長した状態というのは、「様々な活動において、適切な判断ができること」ではないだろうか。その判断に基づいて行動することで、素晴らしい活動が行える。
 成長した状態を、他人や社会との関係で考えてみよう。他人との関係では、「多くの人に適切な助言を与えて、より良い人生に向かうように手助けできること」だろう。これにより、教養の価値は非常に高まる。社会との関係では、「大事な点を指摘し、何をすべきなのか示すことで、社会を良い方向に導くこと」こそ、成長した人間として価値の高い行為である。全部の分野では不可能だが、一部の分野でもできれば素晴らしい。
 以上のように成長した状態になると、世の中の様々なところで貢献できる。これも定義の中に入れておこう。まとめると次のとおり。

教養の価値(存在意義)の定義に含まれる事柄
・基本:人間として成長するのに役立つもの
・人間として成長した状態
  ・物事を適切に判断して行動できる
  ・多くの人に適切な助言を与えられる
  ・社会を良い方向に導ける
・こうした特長を生かして、世の中に貢献できる

 この定義内容では、「適切な判断」、「適切な助言」、「良い方向」などの中身が明確ではない。しかし、より詳しい内容は、教養の中身で定義すればよいので、教養の価値の定義はこの程度にしておく。

工程5:教養に関する材料を集めて整理する

 教養の価値(存在意義)の定義が終わったので、それを満たすような事柄を集めてみる。集めた事柄は、教養の中身の定義を作るために、次の工程で材料として利用する。
 材料を集めるために、前工程の作成物を利用する。主な事柄は、「適切な判断や行動に役立つ」、「他人との関係を良くする」、「社会との関係を良くする」の3つだ。最後の「社会」だけは、少し修正する必要がある。社会との関わりでは、相手となるのが特定の組織となる場合が多い。該当する組織には、政府、民間企業、NGOなどが含まれる。そのため、「社会」を「社会や組織」に変更した方が、適切な表現となる。実際、社会の方向性を決めるのも、行政やマスメディアなどの組織である。
 前工程の3つの事柄ごとに、材料を集めてみた。あまり細かな内容だと材料の数が非常に多くなるため、できるだけ多くの内容を含む形で、材料を表現してある。また、重要な材料だけに絞った。その結果は、次のとおり。

教養の定義を求めるための材料(集めた事柄)
・適切な判断や行動に役立つ要素
  ・論理的思考方法や評価技術などを習得している
  ・基本的な知識を理解している(覚えているではなく)
  ・基本的ではないが重要な知識を理解している
  ・知らない知識を上手に調べられる
  ・適切な判断に基づいて行動する
  ・自分の行動結果を冷静に評価して改善する
  ・ズルイ行為やセコイ行為をしない
・他人との関係を良くする要素
  ・自分の考えを正しく説明できる
  ・他人と上手に対話できる
  ・質の高い議論ができる
  ・他人の悪い行為を指摘できる
  ・指摘した悪い行為の改善方法を示せる
  ・人間の特性を理解している
・社会や組織との関係を良くする要素
  ・組織の活動内容を適切に評価できる
  ・組織の改善点を提案できる
  ・組織などの管理がある程度できる
  ・部下の成長を手助けできる
  ・社会や組織の特徴を理解している

 個々の内容を詳しく説明すると長くなるので、大事な点だけ簡単に紹介しよう。「適切な判断や行動に役立つ要素」では、論理的思考方法や各種支援技術が中心となる。それを身に付けなければ、適切な判断などできないからだ。数学などの学問を中心とした基本的な知識も必要で、覚えているのではなく、理解していなければならない。基本的ではないが重要な知識については、次の工程で解説する。すべての知識を理解するのは不可能なので、知らない知識を上手に調べる能力も必要となる。また、適切に判断しただけではダメで、それに基づいて行動できなければならない。さらに、自分の行動結果を冷静に評価し、常に改善し続けることも大切だ。加えて、人間としてダメな行為に属する、ズルイ行為やセコイ行為をしないことも必須といえる。
 「他人との関係を良くする要素」では、上記の要素に加える点を挙げた。自分の考えを正しく説明でき、上手に対話し、質の高い議論もできなければならない。必要なときには、他人の悪い行為を指摘し、改善方法を示せる必要がある。もっと根本的なこととして、「ルールが甘いと、ズルイ行為をする人が出る」といった、人間の特性も理解していることも大事だ。
 「社会や組織との関係を良くする要素」でも、上記の2要素に加える点を挙げた。社会の各機能はどこかの組織が担当するため、組織に対する活動としてあげてある。組織の外にいる立場では、組織の活動内容を適切に評価し、改善点を提案できなければならない。組織の中にいる立場では、担当する部署の管理がある程度できて、部下の成長を手助けできる必要がある。

工程5の補足:論理的思考を含まない教養なんて

 工程5の作成内容を見て、違和感を感じる人がいるかも知れない。とくに、幅広い知識を知っていることが教養だと考えている人にとって。この違和感は大事な点を含んでいるため、あえて取り上げよう。
 分かりやすいように、凄く幅広い知識を持ってはいるが、論理的な思考が苦手な人の行動を考えてみる。凄く幅広い知識といっても不明確なので、世の中にある全部の知識を知っていると仮定しよう。もちろん、論理的思考自体の知識を除いて。
 すべての知識を知っているのだから、どんな質問にも的確に回答できそうな気がする。確かに、回答が知識で済む質問なら的確に回答できる。しかし、知識を利用しながら思考する必要がある質問だと、的確に回答できなくなる。その場合、論理的思考方法や評価技術などが必要となるからだ。
 世の中には、知識だけで解決できない問題が多く残っている。知識だけで解決できる問題は解決が容易なので、早目に消えていくためだ。残った難しい問題を解決できた人こそ、価値の高い人材となる。もし教養が知識だけなら、難しい問題には手も足も出ない。それどころか、実際には、論理的思考能力がないために不適切な意見を述べてしまい、適切な解決を邪魔する存在になってしまう。
 誰かとの実際のやり取りも考えてみよう。通常、何か意見を述べたときは、その根拠を求められる。論理的思考能力を身に付けていれば、提案でも反論でも明確な根拠を示せる。しかし、身に付けていなければ、説明になってない内容を話したり、ひどいと誤魔化したりする。これらはズルイ行為やセコイ行為に属する。こうした行為は、プライドが高い人ほどやりがちだ。
 知識だけの教養では、このような人も生む。とくに学歴が高いほど、そうなりやすい。その意味で、人間的な成長を保証できない教養といえる。忘れてならないのは、論理的思考方法を学ばないで論理的思考ができるようになる人は、ゼロに近いぐらい少ない点である。そのため、知識だけの教養を学んでも、人間的に成長できる人は極めて少ない。そんな教養に、価値があるのだろうか。ハッキリ言って価値はない。
 論理的思考方法、評価技術、議論手法などは、優れた人間に必要な要素である。これらを含んだ教養なら、身に付ける価値が非常に高い。含まない教養と比べることで、大きな差があることがよく分かる。
 いろいろと説明したが、もっと単純に考えても明らかだろう。論理的思考ができない、説得力のある意見が述べられない、物事を適切に評価できない、質の高い議論ができない、こんな状態でも教養があるなんて言えるだろうか。もし言えるとしたら、そんな教養なんて価値が極めて低い。

工程6:教養の4要素を定義する

 話を本題に戻そう。前工程の作成物を利用して、教養の定義の結論形式に含まれる4要素を求める。それぞれが少しずつ関係しているものの、独立して検討できるので、別々に取り上げる。
 なお、本来なら定義という形でまとめるべきなのだが、思考の例を示すのが目的なので、定義に含まれる内容を箇条書きで挙げる段階までしか作らない。内容が伝わるので、それで十分と考えた。

工程6-1:教養の「能力」要素を定義する

 4つの要素の中で、重要な位置を占めるのが「能力」だ。含める内容としては、論理的思考方法、各種支援技術、それらを用いた判断結果を実行して改善し続ける能力の3つだ。
 このうち、各種支援技術に関しては、数多くの技術があるので、どこまで含めるべきかの判断は難しい。絶対に必要なものを挙げると、作文技術、調査技術、評価技術、説明技術、質問回答技術、議論技術、レビュー技術、管理技術だ。これらは、前工程で挙げた事柄を実現するための基礎となる。
 挙げなかった各種支援技術が不要かといえば、そうではない。できれば、各種支援技術に含まれる全部の技術を学び、基礎レベルだけでも習得した方がよい。しかし、定義に含める内容かどうかの判断が難しいだけだ。
 妥協点として、次のような内容が考えられる。先に挙げた技術に関しては、上級レベルの習得を設定する。他の技術に関しては、個別に細かく検討して、初級レベルか中級レベルを設定する。各種支援技術の全部を含めるが、重要度に合わせて習得レベルを個別に設定するやり方だ。
 個々の技術での習得レベルの中身は、各技術に依存する。どの技術でも、段階的に習得できるように、複数のレベルに分かれている。その中から選ぶ形で設定すれば、実際の習得もやりやすい。
 判断結果を実行して改善し続ける事柄は、該当する内容がないので、ここで規定しなければならない。その内容は、評価技術のような各種支援技術を利用したものとなる。規定するのは可能だが、そこまで深く検討する必要性がまだないため、今回の検討では省略した。挙げた内容を整理すると、次のとおり。

教養の「能力」要素の定義に含まれる内容
・論理的思考方法を身に付けている
  ・基本要素と実用要素の全部
  ・強化要素は大事なものだけ
・各種支援技術を身に付けている(以下は主なもの)
  ・作文技術:何をするにも必要な能力
  ・調査技術:知らない内容を調べられる
  ・評価技術:物事を適切に評価できる
  ・説明技術:自分の考えを分かりやすく説明できる
  ・質問回答技術:対話の質を向上できる
  ・議論技術:質の高い議論を実現できる
  ・レビュー技術:計画や設計の内容をレビューできる
  ・管理技術:組織や部下を上手に管理できる
  (数が多いので、これ以降は省略)
・判断結果を実行して改善し続ける
  ・適切な判断結果を自分で実行できる
  ・自分の実行結果を冷静に評価できる
  ・自己の評価結果から改善案を作り出せる
  ・改善案を自分で実行できる

 以上のような能力を身に付けると、かなり難しい課題に対してでも、優れた思考結果が作れる。適切な判断で自分が行動できるだけでなく、多くの人に良い助言を与えられるし、社会や組織に対しても優れた提案ができる。

工程6-2:教養の「経験」要素を定義する

 教養の「経験」要素には、能力に含まれる要素を実際に使った経験が含まれる。論理的思考方法や評価技術のような能力は、資料を読んで勉強しただけでは身に付かない。実際に試してみるだけでなく、悪い点を修正しながら、上手にできるように練習する必要がある。
 このような意味の経験なので、含まれる内容は能力と同じになる。細かい事柄を省略してまとめると、次のとおり。

教養の「経験」要素の定義に含まれる内容(細かい事柄は省略)
・論理的思考方法を使った経験
・各種支援技術を使った経験
・判断結果を実行、評価、改善した経験

 当たり前だが、試した回数を単に数えるのではなく、作った作成物の質が設定したレベルを満たしているときだけ、経験として数える。どれだけの回数が必要か決めるのは難しい。対象となる能力によって異なるし、初級レベルと上級レベルの経験を一緒にはできない。
 現実的な数え方としては、対象となる能力ごとに決めるのはもちろん、1つの能力内でも、レベルごとに決める。ただし、1つの能力内で上位レベルの回数を満たせば、下位レベルの回数を満たしてなくても大丈夫とする。
 具体的な回数は、定義が本当に必要になったときに決めればよいので、今回の検討では省略する。1回というのは絶対になく、レベルごとに数回となるだろう。

工程6-3:教養の「知識」要素を定義する

 教養の「知識」要素の定義では、含める範囲の設定が非常に難しい。知識の特徴として、世の中の全部の知識を理解するのは一生かかっても不可能なので、必要なときに調べて済ますことが多いからだ。その意味では、通常の社会生活で困らない程度の知識が、必須の内容となる。調べれば何とかなるものなので、少し狭く設定しても構わないだろう。
 最初に挙げるべきなのは、基本的な知識だ。学校で習う、学問を中心とした知識だけでは不十分。契約、税金、弁護士利用といった、人生で役立つ社会生活で必要な知識も必要である。こうした知識を知っていると、自分が困った状況に陥りにくいだけでなく、他人にも良い助言ができる。
 基本的ではないが、重要な知識も含めるべきだ。例として「品質保証というのは、品質基準を設定しないと意味がない」といった知識が挙げられる。評価基準と評価結果も同様だが、これらは評価技術の中に含まれているので、「知識」要素には入れない。他の例として、「すべての製造物には精度があり、精度を高めるほど製造コストが増える」とか、「給料をもらっている人には費用がかかっていて、営業担当者を呼ぶのはただだと思っているかも知れないが、相手に費用を発生させている」などがある。
 良い行動をした様々な実例の知識も大事だ。人類の歴史の中には、素晴らしい行動をした人が数多くいる。迷える人を立ち直らせたとか、組織を大きく改革したとかだ。その行動の中身を分析して、役立つ知識に仕上げる。物語風に語る知識ではなく、どんな点をどのように考え、どんな風に行動して、どんな成果を上げたのか、論理的な内容として用意する。これを数多く知れば、いろいろな場面で役に立つはずだ。
 本人が生きている時代に重要な話題も、知っておく必要がある。今の時代なら、地球環境保護、子供も含めた人権尊重、行政や企業の情報公開などが挙げられる。こうした知識は、世間のニュースに目を通していれば自然と入ってくるので、特殊な環境にいた人でない限り、あらためて調べる必要はない。
 人間や組織の特性に関する知識も重要だ。人間の考え方や行動、組織内での人間の行動、それらが集まった組織としての行動、多数の組織と人間が集まった社会全体での動き、これら4つに関する知識に分けられる。これらの知識は、社会の仕組みやルール、教育方法などを設計するときに利用する。
 加えた方がよい知識は他にもあるかも知れないが、主な知識はこれぐらいだろう。以上の内容を整理すると、次のとおり。

教養の「知識」要素の定義に含まれる内容
・基本的な知識
  ・学問を中心とした知識
  ・社会生活で必要な知識
   (礼儀、契約、税金、弁護士利用、救命方法など)
・基本的ではないが重要な知識
  ・良い思考に必要な知識
   (品質基準と品質保証、製品の精度、コスト意識など)
  ・良い行動をした様々な実例の知識
   (人を立ち直らせた、組織改革など)
・生きている時代で重要な話題の知識
 (今なら、地球環境保護、人権尊重、情報公開など)
・人間や組織や社会の特性に関する知識
  ・人間の考え方や行動の特性に関する知識
  ・組織内での人間の行動に関する知識
  ・組織としての行動の特性に関する知識
  ・社会全体での動きに関する知識

 知識で大事なのは、覚えているのではなく、理解していることだ。そのなるためには、対象となる知識に関して、自分の言葉で説明できなければならない。また、教養を身に付けるための知識として用意する場合は、良い理由や何が大事なのかを明確にした形で作る必要がある。
 個々の知識の範囲は、設定が難しい。学問を中心とした知識については、必要なときに調べれば何とかなるので、高校で習うぐらいの内容で構わないと思う。それ以外の知識は、具体的な中身を用意する必要があるため、挙げた知識で全部となる。具体的な知識の中身だが、今回は省略する。

工程6-4:教養の「価値観」要素を定義する

 教養の「価値観」要素は、他の3つの要素と異なる性質を持つ。そのため、他の要素のように具体的な項目を挙げるのが難しい。それでも、傾向だけは示せるので、前々工程と前工程の作成物を満たす形で何とか作ってみた。
 まず「社会を良い方向に導ける」ためには、世の中の進歩の方向を見極め、持っている価値観が、その先頭グループにいなければならない。たとえば、人種や性別による差別なら、世の中の最近の変化として、差別しない方向へ確実に動いている。この点を理解し、差別をしないとともに、差別を解消しようと努力する価値観を持っていなければならない。地球環境保護や情報公開など、差別以外の面に関しても同様だ。もちろん、進歩を邪魔する人へは厳しく対応し、進歩を早めるように日頃から行動する。
 自分の行動に関する価値観も重要だ。できる限り良い意見を述べられるように、様々な面で努力し続ける。大事な話題に関しては、論理的思考方法や評価技術を用いて検討してからでないと、自分の意見は述べない。また、不明な点は調べてから回答する。当たり前だが、人間としてダメな行為は、ネット上の匿名であっても行わない。
 他人や組織への対応に関する価値観も、自分の行動と同じぐらい重要だ。友人や知人など、自分の周囲にいる人にも、良い行動を求める。自分に対してほど厳しくはないが、人間としてダメな行為は見逃さず指摘し、良い方向へと導く。自分が属する組織へも、同様に対応する。勤める会社の不正行為を阻止したり、政府に改善を求めたりする。
 以上の点をまとめると、次のようになる。例を挙げないと意味が伝わりにくいと思うので、すべての事柄に例を加えてある。

教養の「価値観」要素の定義に含まれる内容
・進歩に関する価値観
  ・社会の進歩の方向を理解し、先頭の側にいる
  (例:人種や性別などの差別を嫌い、平等な社会を目指す)
  ・進歩を邪魔する人へは、厳しく対応する
  (例:差別を正当化する人へは、悪い点を鋭く指摘する)
・行動に関する価値観
  ・良い意見を述べるために、様々な面で努力する
  (例:論理的思考方法で深く検討してから述べる)
  (例:知ったかぶりをせず、不明な点は調べてから述べる)
  ・人間としてダメな行為をしない
  (例:ズルイ行為やセコイ行為をしない)
・他人や組織への対応に関する価値観
  ・友人や知人にも良い行動を求める
  (例:友人や知人に悪い行為をやめさせる)
  ・自分が属する組織へも良い活動を求める
  (例:自分が勤める会社での不正行為を阻止する)
  (例:自分が属する政府や役所に様々な改善を求める)

 価値観というのは、あくまで本人の心からの思いでしかなく、実際の行動に結びつくとは限らない。良い価値観だけしか持ってないと、外見が良さそうな悪い人にだまされたり、一見良さそうな悪い意見を支持したりして、意図に反して悪い行為へ加担する。そうならないためには、論理的思考方法などの能力を身に付け、正しい知識を得なければならない。
 つまり、教養の「価値観」要素は、「能力」要素や「知識」要素と一緒になって、期待した成果を生む。中でも重要なのは「能力」要素である。これを身に付けていれば、知識の間違いを見付けられるからだ。

工程7:4要素の定義から判定基準を作る

 教養の4要素の中身が明らかになったので、「教養がある」と言うときの判定基準を作ろう。そのためには、判定基準を作るための考慮点を知らなければならない。
 大きな考慮点は2つだ。1つ目は、判定が可能な内容であること。たとえば、他人の心の中は覗けないので、別な形で判定する必要がある。通常は、日頃の発言や行為から推測する。該当するのは価値観で、定義された内容を持っているか判定する方法を用意しなければならない。このような方法は、判定基準に対応する判定方法として位置付けられる。
 判定基準を作るというのは、通常、判定方法まで用意することに等しい。そうしないと、同じ判定基準を用いて同じ対象を判定したとき、人によって異なる判定結果を出しやすい。判定基準として不完全になるわけだ。
 もう1つの考慮点は、判定基準のまとめ方。全部の条件を満たしたときだけ「ある」と判定する基準にするのか、条件を数個に分解し、種類分けやレベル分けした基準にするのかだ。どうするかは、利用の仕方によって決める。
 今回の教養の場合は、全部を満たす人が極めて少ないどころか、世界中で1人もいない可能性がある。何しろ、論理的思考方法や評価技術などを、世界中のどの大学でも教えてないからだ。仕方がないので、種類分けとレベル分けの両方を用いる。種類分けは、4つの要素をそのまま適用する。能力と経験は同じ内容なので一緒にし、3要素に変更するのがよいだろう。レベル分けは、3要素とも数段階で用意する。習得が容易な内容を下のレベルに入れ、難しい内容を上のレベルに含める。
 レベルの値に数値を用いるなら、一番下がレベル1で、一番上のレベルが段階数と同じ値にする。5段階のレベルなら、一番上はレベル5だ。そして一番下のレベルを満たしてない状態を、レベル0(ゼロ)と表現し、満たしたものが何もない(ゼロ)という意味も持たせる。一番下のレベルの値を1に設定したのは、ゼロと矛盾させないためである。
 大まかには、こんな感じで基準を作ればよい。具体的な中身を作ると大変なので、この段階で終わる。ここまでの話でも、どのように作るかの概要は理解できるはずだ。
 種類分けとレベル分けを併用した基準は、それに適した形で使う。たとえば、「彼の教養は、能力がレベル1、知識はレベル3、価値観はレベル0だ」と表現する。まったく満たしてないなら「彼の教養は、能力も知識も価値観もレベル0だ」となる。


まとめ:論理的思考とは何かを理解すべき

 全体の量を減らすために簡略化して説明したが、ここまでの内容を読んで、どのように感じただろうか。教養の中身にまったく触れずに、教養について語っている発言と比べてみてほしい。検討の深さに関して、とんでもない差があると感じるはずだ。そして、教養を語っているほとんどの発言に、中身がないことも分かるだろう。
 論理的思考というのは、今回紹介したような形で内容を作ることである。思考の目的や結論形式を明らかにして、課題対象の中身を細かく作ることに等しい。単に作るのではなく、設計と呼ぶのが相応しい。
 作業の途中では、対象内容の価値も強く意識し、作成した中身との整合性も確かめる。価値を強く意識するのは、より価値の高い思考結論を求めるためだ。このような意識で作り進むことにより、思考結論の質は確実に向上する。この意識も、論理的思考能力の一部である。

 以上のことが理解できると、多くの人が教養について語っている状態の滑稽さが見えてくる。“教養の中身を明らかにできないのに、教養があるとかないとか語っていること自体、意味のない行為であり、非常に滑稽だ”と。このような基本的なことに気付かなければ、論理的思考などいつまでも身に付けられない。
 同じことは、教養以外の話題でも見かける。代表的な例は、論理的思考だ。論理的思考の中身を明らかにしないで、論理的思考に関する話が数多く出てくる。しかし、一番大事な論理的思考の中身に触れないので、話は空回りするばかりで、無意味な言い合いが延々と続く。最悪なのは、その無意味さにも気付かない点だ。
 もっと普通に考えると、論理的思考について語るなら、その中身を真っ先に明らかにすべきである。中身を示せないなら、論理的思考を理解していないと、自分で気付かなければならない。このような根本的なことを知らない人が、あまりにも多すぎる。だから、無意味な言い合いが繰り返されるのだろう。

おまけ:教養について語っている人の教養は?

 最後に、面白い質問を1つ取り上げよう。「会議室などで見かける、教養について語っている人には、教養があるのだろうか」というものだ。大事な要素を含んだ質問なので、続きを読む前に考えてみてほしい。今回の内容を理解しているなら、それほど難しくないはずだ。
 回答を簡単に示そう。まず考えなければならないのは、「教養がある」とする判定基準だ。その基準がなくては、何も判定できない。判定基準として普遍的なものは存在しないどころか、教養について語っている人からも出されていない。そのため、「判定基準がないため、教養があるのか判定できない」が一般的な回答となる。
 では、今回のように判定基準を作れたらどうなるだろうか。判定基準を一緒に示しながら、判定基準に基づいて判定結果を述べればよい。実際に適用すると、ほとんどの人の判定結果が「教養は、能力も知識も価値観もレベル0」となるはずだ。知識がレベル0になるのは、「基本的ではないが重要な知識」を身に付けてないためだ。また、教養の中身を知らないのに知ったかぶりをしている限り、価値観もレベル0となる。さて、アナタ自身の判定結果は?

(2002年1月28日)


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