川村渇真の「知性の泉」

良い人や直感と、論理的思考との関係


 世の中には、良いことをしたいと真剣に思っている人(ここでは、分かりやすいように「良い人」と呼ぶ)がいる。そんな人と論理的思考との関係は、どのようになるのだろうか。関係の中身だけでなく、その重要性についても、多くの人が気付いてなさそうなので、あえて取り上げる。また、この話題と関連の深い直感についても、簡単に触れる。

良い行為を目指しても、良い行為になるとは限らない

 一口に「良い人」といっても、人によって持っているイメージが違う。普通なら、良い人の中身を定義すべきだ。しかし、今回の説明内容では、中身の細かな違いはほとんど関係ないので、大まかな特徴だけ示す。
 ここで取り上げる良い人とは、日頃から良い行いをしようと考えているだけでなく、実際に行動を起こすような人。また、その人が考える良い行いとは、社会や他人のためであり、それに役立つなら何でも対象とする。全体としては、正義感が強くて行動派の良い人となる。短く表現するなら「良い志を持った人」となるだろう。
 では、良い人なら、良い行動を必ずするだろうか。もちろん、たまたま魔が差したとか、勘違いしたとか、運悪く失敗したといった、本人の意識と反する行為は除外する。より正確に表現するなら、「良い志を持った人が、良いことだと思って行うと、必ず良い行いになるか」という疑問である。
 たいていの人は「必ずしもそうならない」と知っている。一見すると良い行為のようだが、実は悪い行為だった、という状況が考えられるからだ。加えて最近の社会では、良し悪しを判断するのが難しくなっており、良いことをしようと思っても、どれがよい行為なのか簡単には判断できない。

様々な要因から、良い人が意図せず悪い行為を

 では、良い行為をやろうとしても悪い行為になってしまうのは、どのような場合だろうか。いろいろとあるので、代表的な例を何個か挙げてみよう。

・相手が良い人だから →→ 人の良さで判断
・可哀想だと思って →→→ 自分の感情で判断
・自分の好きな方を →→→ 好き嫌いで判断
・何となく良い方を →→→ 見た目や印象だけで判断
・スローガンが魅力的 →→ スローガンだけで判断
・政府が言うことだから → 政府を信じて判断
・テレビを観た感じで →→ マスメディアを信じて判断
・尊敬する人と同じに →→ 他人の(意見の中身でなく)結論で判断

 この中の「他人の(意見の中身でなく)結論で判断」とは、意見の大事な中身である根拠や理由を気にせず、尊敬する人が出した結論を無条件に信じる行為だ。宗教団体の信者などで多く見られる。
 上記の全部に共通するのは、判断対象の中身自体ではなく、別な部分を見て判断している点だ。かなり多くの人が、こうした判断をしている。たとえば、「あの人が悪いことをするはずがない」と盲目的に信じ、実際の行動や計画内容を調べない。また、「構造改革を実行する」といった目先のスローガンだけ見て判断し、具体的な政策を求めたりしないとかだ。上記に該当する内容は、世の中を見渡すと簡単に見付かる。
 こうした判断方法には、“根拠や論理性など気にしていない”という大きな問題点がある。その結果、間違った判断がどうしても含まれてしまう。必ず間違うわけではないが、判断を間違いやすい。間違った場合には、良い人(良い行為をしようとしている人)が悪い人(悪い行為をした人)になってしまう。良い人を目指しているのに、悪い人になるわけだ。ここで言う悪い行為とは、明らかな犯罪だけでなく、良い行為や最良の判断を邪魔する行為も含む。
 多くの人間が持っている特性も、判断が間違ったときに悪い方向に働く。その特性とは、「一度公にした決断を、途中で変えにくいこと」だ。たいていの人にはメンツがあり、過去に主張した内容を訂正したくない。とくに、誰かから悪い行為だと指摘された場合には、意地になって同じ行為を続けようとする。この特性のおかげで、途中で間違っていたと気付いた人でも、そのままズルズルと続けてしまう。結果として、悪い行為から抜けられない状態が長引く。

良し悪しの判断は、論理的思考が大いに役立つ

 間違った判断を少しでも減らすには、対象となる内容を冷静に評価したり、実態を明らかにする必要がある。そのとき役立つのが、論理的思考方法だ。
 使い方は、非常に単純。判断の対象となる内容に関して、論理的思考方法を利用してみる。対象となる内容には目的があるので、その目的から出発して、結論形式や思考の道筋を求める。続いて、適切な判断結果が得られるまで、細かく思考する。
 思考途中では、不明な点がいくつも出てくるだろう。資料によって解消できるなら、資料を探して利用すればよい。誰かに尋ねないと明らかにならない点は、直接質問して回答を得る。資料や回答から得られた内容を思考内容に加えて、さらに思考を進める。思考が深まるほど新たに不明点や疑問点が生まれるので、不明な点が解消されるまで、次々と調査や質問を続ければよい。
 個々の内容の中から、矛盾点や嘘を発見することもあるだろう。こうした点は、それを提供した側に示すだけでなく、そうなった理由も追及する。こうした追求により、相手のボロが出ることも多いからだ。ボロが出なくても、相手の態度から信用できないと気付くこともある。意外に有効な方法だ。
 真剣に検討されると困る側では、大事な点を隠したがる。そのため、判断する人が積極的に求めないと、大事な情報は集まらない。根拠や基礎データも重要なので、それらが得られるような形で求める。こうした形で要求すると、相手の嘘を見破りやすい。
 要求した情報の提供をかたくなに拒む相手もいるだろう。その場合、最後通告の形で「出さなければ信用しない」と伝える。それでも出さない相手は、何かやましいことを隠している可能性が高いので、信用しない方がよい。
 発言内容と実際の行動が一致してない人もいる。そうした人にだまされないためには、実際の活動内容を調べて、発言内容と矛盾しないか確認する。自分の行動を隠したがる人も、信用しない方が安全だ。
 悪いことをする人は、人々の特徴をよく知っている。表面的な人柄で判断すること、スローガンだけ聞いて判断すること、自分の直感や好き嫌いで判断すること、細かな点を調べずに判断することなどだ。これらを利用できるように、発言内容や態度や服装を整えている。こうした人の存在も知っておこう。
 論理的思考方法の作成物は、関係する相手へ積極的に公開する。第三者がレビューしやすい作成物なので、誰もが理解を深められるだけでなく、嘘を付いてる相手へのプレッシャーにもなるからだ。全体像を適切に理解する人が増えれば、本当の情報も集まりやすくなり、検討の質も高まる。
 論理的思考方法の作成物をみんなで作ると、事柄の漏れが大きく減る点も大きい。多くの人は、自分にとって都合の良い点だけしか言わないとともに、相手にとって都合の悪い点だけしか指摘しない傾向が強いからだ。この欠点を解消するためにも、論理的思考方法の作成物は共有すべきである。
 このような形で論理的思考方法を利用すると、良し悪しの判断の質が格段に向上する。スローガンにだまされたり、見た目だけで判断して間違うといった判断ミスが防げ、悪い行為は確実に減る。当たり前だが「賢くならないと、良い行為を選択できない」わけだ。もっと定義らしい表現を用いるなら、「良い人になる、または良い行為をしたかったら、論理的思考方法の習得が1つの必要条件」となる。

マスメディアの論理的思考能力も重要

 今の世の中、我々が受け取る情報の多くは、マスメディアを通して入ってくる。そのため、マスメディアから得られる情報の質が、人々の判断に影響を与えることが多い。現に、マスメディアが世論を誘導することもよくある。事件の犯人や被害者の一面だけ取り上げ、悪い人や良い人にしてみたりとかだ。また、人々の感情に訴える方法を好むので、正しくない内容を広めたりもする。
 日本のマスメディアの質だが、他の先進国と比べて低い。記事の書き方では、情報源を明らかにしないで、あたかも自分で見たような表現を用いている。また、報道内容が間違ったときも、明確に訂正したがらない。内容を少しずつ変えながら、訂正後の内容に持っていくという、情けない技で対応する。こうした点を以前から指摘されているにもかかわらず、改善しようと努力しているのはごく一部の関係者だけだ。
 こんな現状なので、適切な判断を増やすためには、マスメディアの改革が必須となる。しかし、日本における今までの状況を見る限り、改善はほとんど期待できない。問題点を指摘され続けているにもかかわらず、マスメディア自体で改良できないでいるからだ。
 仕方がないので、一般の人がマスメディアを教育するしかない。まず論理的思考方法や評価技術を身に付け、マスメディアの報道内容を評価する。その結果を、ウェブページや電子会議室で発表し続けるのだ。こうした人が増えると、悪い記事や表現は、少しずつ減っていく。
 長期的には、論理的思考方法の習得者を増やすしかないだろう。そんな人が増えれば、マスメディアに就職して良い記事を書いたり、内部から改革すると期待できる。一般人としては、良い記事を誉める行為も忘れてはならない。
 改良すべきなのは、マスメディアだけではない。社会全体の理想として、“物事を適切に判断できる仕組み”を備える必要がある。行政や企業における情報公開方法や意思決定方法などを、論理的思考方法に準拠した形に変えなければならない。そうすれば、今よりも格段によい仕組みが構築できる。
 それまでの間は、各人が自分で防衛するしかない。論理的思考方法や評価技術を習得すれば、マスメディアの誘導にだまされにくくなるし、所属組織の悪い意思決定を訂正することもできる。

直感で得られた内容は論理的思考で検査

 ここまでの話が理解できると、直感との関連も説明しやすい。なお、ここでは直感と表現しているが、似たような意味の言葉に、ヒラメキ、自分の感性、第六感などがある。これらも同じ特性を持つ。
 直感というのは、「何かについて考えているとき、正しいや素晴らしいと思う内容が、根拠や論理性などに関係なく出てくること」である。この「根拠や論理性などに関係なく」という部分が重要で、理詰めで思考した結果ではなく、突然とひらめく形で現れる。
 では、直感で得られた内容は、正しいのだろうか。正しい場合もあるし、そうでない場合もある。自分や周囲の人を冷静に観察した結果だが、正しくない場合の方が多い。矛盾点や欠点が含まれていたり、実現できなかったりして、そのままでは使えない。判断基準を厳しく設定すると(細かな欠点でも見逃さないで判定すると)、正しいのは1割ぐらいではないだろうか。
 直感の内容が正しいかどうかは、論理的思考方法で判断する。対象となる思考内容に入れてみれば、良し悪しは明らかになる。つまり、論理的思考は、直感で得られた内容を検査する道具として利用できる。
 直感で得られた内容が間違っていたとき、役に立たないわけではない。それがヒントとなって、有効なアイデアを思い付いたりする。もちろん、そのアイデアも、論理的思考方法によって検査し、合格したアイデアだけを採用する。自分の経験だが、直感で得られた内容は、直接役に立つよりも、ヒントとして役立つ方が多いようだ。
 もっとも危ないのは、「論理的思考が正しいとは限らない。自分の感性を信じる」という意見。適切な検討を邪魔して、議論の質を低下させてしまう。論理的思考方法を身に付けてない人が、こういった意見を言いたがる。困った存在なので、論理的思考方法の作成物を見せながら、説得するしかないだろう。

 以上のことが理解できたら、論理的思考方法や評価技術をできるだけ早目に習得し、直感で判断することは止め、直感で得た内容を検査しよう。そうすれば、間違った判断を大きく減らせる。

おまけ:ここまで登場した特徴を整理すると

 最後に、ここまで登場した内容のうち、一般の人々や悪い人の特徴を箇条書きで整理しておこう。主な内容は、次のとおり。

・表面的に良い人が、本当に良い人とは限らない
・言葉遣いや態度の良さは、良い行動と関係ない
・感情だけで判断すると、判断を間違いやすい
・スローガンと詳細内容の不一致が意外に多い
・言ってることと行動の不一致がかなり多い
・マスメディアの記事が正しいとは限らない
・直感で得た内容は、間違っていることの方が多い
・自分にとって都合の良い点だけしか言わない人が多い
・相手にとって都合の悪い点だけしか指摘しない人が多い
・悪い人ほど、自分の行動や詳細内容を隠したがる
・特定の方向へ誘導するために、資料へ嘘を盛り込む人がいる
・人々が安直に判断する特徴を、知ってて利用する人がいる

 これらは、深く考えてみれば気付くのだが、普段の行動の中に生かしている人は少ない。これを機会に、意識する癖を付けるとよいだろう。

(2002年12月20日)


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