川村渇真の「知性の泉」

良い思考結果が得られない主な原因


思考結果が悪い理由を調べて、論理的思考に役立てる

 論理的思考方法を実用的な内容に仕上げるためには、多くの人が使いやすく作るのだけでは不十分だ。思考結果が悪くなる要因を調べ、その影響を受けなくしたり、原因が発生しにくい状況を作ったりしなければならない。そんな機能も、論理的思考方法に組み込むわけだ。
 では、何が原因で、思考結果が悪くなるのであろうか。思考結果が悪い例を数多く調べてみると、原因はいろいろだった。それを分類した結果、とくに大きな4つ原因が発見できた。その4つの原因の特徴を紹介しよう。

原因1:論理的思考方法を知らない

 論理的に思考するためには、その方法を知る必要がある。しかし、大学でも教えてくれないし、どの専門学校でも教えていない。こうした状況なので、論理的思考方法を学校で学ぶ機会は得られない。
 論理的思考に関する単行本はどうだろうか。残念だが、書いてある内容のレベルが低い。扱う範囲がかなり狭い範囲の論理的思考だけで、しかも汎用的な手順などなく、作成物の書式も不明確だ。例を示しながら注意点を説明する程度の内容なので、それを読んだとしても、論理的に思考できるようにならない。
 では、論理的思考能力を持っている人は、どのようにして身に付けたのであろうか。おそらく、論理的思考への適性が生まれつき高い人が、様々な仕事の経験を通して、最良の思考方法を求めるうちに、論理的思考にたどり着いたのであろう。こうした過程でしか到達できないため、身に付けている人は極めて少ないし、そのレベルもあまり高くない。
 極めて少ないにもかかわらず、電子会議室での発言などを読むと、論理的思考ができると自分で思いこんでいる人は、意外に多くいるようだ。しかし、実際には、論理的思考の基礎すら身に付けておらず、本人の思い込みでしかない。どんな点を満たせば論理的思考が実現できるか知らないため、論理的思考を実現するための行動ができないでいる。そうした様子は、実際の発言内容から容易に見付けられる。
 該当する発言を何種類か紹介しよう。自分の主張に有利な材料だけ集めて、不利な材料は無視する。相手の主張に対しては、有利な材料を無視して、不利な材料だけ取り上げる。自分の主張と相手の主張を争わせるだけで、両者の良い点を集めた最良解を求めようとしない。検討の目的や結論の形式などを最初に規定しないし、検討内容を途中で整理しないので、議論の中心が変な方向に飛び回っていて、いつまで経っても結論が導き出せない。他にもあるが、これぐらいで十分だろう。厳しいかもしれないが、これらのどれかに該当する発言をしている限り、論理的思考の基礎が身に付いているとはいえない。大学教官や研究者なども含め、ほとんどの人が身に付けてない側に該当するので、該当しない人を見付けるのが極めて困難なほどだ。
 こうした状況を打開するためには、論理的思考方法を体系的に整理し、教育可能なレベルに仕上げるのが必須だ。その内容を、大学などの高等教育機関で教えなければならない。また、学校を卒業した社会人にも必要な能力なので、その人達が学ぶ機会も用意する必要がある。

原因2:論理的な思考を邪魔する人がいる

 複数の人間が参加して思考する際に、思考結果の質が低下する大きな原因となるのが、論理的な思考を邪魔する行為だ。これには、本人が意識して行っている場合と、意識せずに行っている場合の2種類がある。実際には、この2種類の中間も存在する。

 まず意識して行う方だが、いろいろな方法が使われる。行政の審議会などでは、参加者選びの段階から邪魔が始まる。行政側が出してほしい結論に好意的な人を優先して参加者を選択し、議論の結論を都合の良い方向へ持っていく。また、公聴会を開いて住民の意見は聞くものの、それをほとんど無視する方法も、邪魔する行為の一種だ。これも行政の得意技で、話を聞いたという実績さえ作れば、無視して構わないと思っているからだろう。
 議論の場面でも、いろいろな方法が使われる。気に入らない意見が出たとき、その良い点を無視するばかりか、アラを探してそこだけ悪く言うのが、代表的な方法だ。また、意見の中身ではなく、発言者自身に関する弱点を追求して、意見の信頼性を低下させようとする。さらに、本題から外れた部分に話題を移動し、マトモな検討をさせなくする。具体的には、言葉の定義が間違っているとか、言い方や態度が悪いとか、匿名だから信用できないとか、様々な手が用いられる。加えて、本題とは関係ない話題で皮肉を言い、感情的な争いを引き起こす人もいる。どれもセコイ行為に属するもので、人間として情けない行為ばかりだ。
 以上のようなセコイ行為は、顔合わせ会議でも電子会議でも広く行われている。こういった行為が行われない議論を探すのが、極めて難しいほどだ。高等教育のような高尚なテーマを掲げていて、社会的に地位が高いと思われている人が参加していても、セコイ行為だけはなくならない。
 面白いのは、セコイ行為で邪魔する人の意識だ。他人から見て誉められた行為でないことは、本人もよく分かっているので、できるだけ知られずに行おうとする。電子会議室での行為では、誰かに名指しで指摘されるのを嫌がる。もし指摘されたら、それ以降は登場しなくなる人が多い。情けない行為なのを、よく知っているからだ。そうであるなら、最初から行わなければよいのだが、自分の現在の地位を守るためとか、自分が属する組織の利益を守るためとか、自分よりも優秀な意見を出す人が気に入らないといった理由で、セコイ行為を行うようだ。

 2つ目は、本人が意識しないで邪魔している行為だ。こちらの方は、真面目に参加しているにもかかわらず、結果的に邪魔する状況となる。よくあるのは、「論理的思考の結果が良いとは限らない」と言い、マトモな思考結果に反対する行為。感覚だけで良いと判断した自分の意見が、論理的思考により否定されたとき、こうした行動を起こすことが多い。論理的思考の代わりとなる検討方法も提示せず、ただ反対するのが特徴だ。さらに、論理的な説明にも納得せず、最後まで抵抗する傾向が強いだけに、困った存在となりやすい。
 論理的な説明に納得しない原因は、本人の論理的な思考能力が低いことにある。発言内容も感覚的で、説得力に欠ける場合が多いので、その点からも能力の低さが見える。その意味で、前述の「原因1:論理的思考方法を知らない」が真の原因といえる。本人に論理的思考を習得してもらうのが一番だが、それは相当に難しいようだ。最悪のケースでは、退場してもらうしかない。

 以上のような邪魔する行為により、世の中の数多くの思考結果が、質を大きく低下させている。これを適切に対処しないと、現実社会では、良い思考結果が得られにくい。

原因3:思考内容に漏れがある

 思考結果の質を高めるためには、重要な考慮点を漏らすわけにはいかない。しかし、持っている知識が不十分だとか、大事な点を深く調べないで検討していると、重要な事柄が漏れたまま思考することになる。当然、思考結果は良くならない。
 漏れる要素としては、いろいろなものが考えられる。課題の成果が満たすべき大事な点を忘れている、重要な原因の1つに気付かない、影響する範囲の1つを洗い出し忘れた、一番有効な対処方法を見逃す、最良の評価方法を見付けられない、などだ。どの要素であっても、漏れた事柄が重要なほど、良い思考結果から遠ざかる。
 この原因の特徴は、狭い意味の論理的な思考は満たしているので、思考結果だけを見てレビューしても、問題点は発見できない。漏れている内容は考慮されていないが、思考結果に登場しないので、ダメな点としては指摘できないからだ。しかし、大事な考慮点が漏れていることで、思考結果の質は良くない。
 また、思考している本人自体は、良い思考結果を目指している。しかし、実際の思考結果がそうならないという、かわいそうな状況でもある。だからといって、思考結果が悪くても許されるわけではない。
 論理的思考方法では、こうした重要項目の漏れを、限界まで減らす工夫が欠かせない。漏れを完全になくすことは不可能だが、できるだけ減らす方法はあるので、それを盛り込まなければならない。

原因4:判断基準の絶対性が低い

 論理的思考では、物事の良し悪しの判断基準として、様々なものを用いる。一般的に正しいと認められている科学技術などの知識なら、判断基準に異論が出ることは少ない。しかし、人によって正しいと思う内容が異なる事柄もあり、このような場合は絶対的な判断基準が見付からない。俗に言う、価値観の違いだ。また、売れる商品の条件といった事柄は、どこでも通じる絶対的なものではなく、あくまで仮定でしかない。
 このような絶対的ではない事柄を、論理的な思考で扱うと、得られた思考結果も当然ながら絶対的ではなくなる。ただし、絶対的ではないものの、正しい可能性が高い思考結果は、工夫すれば得られる。とくに仮定の事柄では、仮定とそれ以外を区別して扱い、全体を論理的に思考することで、良い思考結果に近づける。また、複数の仮定を比べて、どれが当たっていそうかを適切に評価すれば、良い思考結果により近づける。
 価値観の違いは、もっと難しい。まず、本当に価値観の違いなのか、調べなければならない。意見が対立したとき、論理的な思考で劣っていると判断された側は、相手の主張を認めたくないために、価値観の違いを持ち出すことが多い。議論で負けたくないから、価値観の違いとして終わらせたいわけだ。
 もう1つ、お互いが主張している内容(価値観の表面的な内容ともいえる)の良し悪しも、評価した方がよい。主張内容に矛盾があれば、認められる価値観ではない。また、実質的に差別が含んでいたり、特定の人々だけに有利な内容であれば、その点も明らかにする。いくら価値観とはいえ、差別や不平等を含む内容だと言われることは、自信を持って主張できる内容ではないため、たいていの人は取り下げるか修正する。こうした評価を盛り込むことで、思考結果がとんでもない価値観に影響を受ける可能性が大きく減らせる。そして、評価する際には、論理的思考が大いに役立つ。
 本当に価値観が違う場合は、どうすればよいのだろうか。表向きの主張内容だけで判断すると、良い思考結果が得られない場合が多い。そうではなく、主張内容から得られる他の特徴も明らかにした方がよい。たとえば、ある意見を肯定したとき、似たような別な意見も肯定したことになるとか、反対の意味が含まれる別な意見を否定したことになるなど、主張内容から生じる別な内容を明らかにしてみる。それらを総合的に見てから判断すれば、良い思考結果が得られやすい。このように別な内容を導き出すのにも、論理的な思考が利用できる。
 以上のように、仮定が含まれていたり、主張内容の欠点を見付けたり、価値観の実質的な姿を見るのに、論理的思考が役立つ。加えて、この条件に該当しない部分は、どんな課題にでも含まれているので、その部分でも論理的思考が有効だ。つまり、絶対的な基準がない場合でも、論理的な思考を利用することで、より良い思考結果が得られる。
 もっと大事なのは、このような形でも効果的な利用ができるように、論理的思考方法を設計することだ。そうすれば、論理的思考方法の利用分野を増やせる。

論理的思考方法には、4大原因への対処を盛り込む

 ここまで、思考結果が悪くなる4つの大きな原因を見てきた。どれも、世の中の思考作業で起こっている問題である。実用レベルの論理的思考方法を目指すのなら、この4つの原因へ上手に対処しなければならない。
 難しいものもあるが、複数の工夫を組み合わせてれば何とかなる。実際、完璧に対処するのは難しくても、かなり効果のある対処なら十分に可能だ。このような機能の組み込みによって、論理的思考が役立つ範囲を大きく広げられる。

(2002年7月4日)


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