川村渇真の「知性の泉」

基本となる考え方


自分の考え方を自分なりに分析してみました。当たっているかどうかは、自分だけでは判断できませんが、大きく外れてはいないと思っています。


根っからの分析魔なのです

 これまで、いろいろな仕事を経験してきました。それを思い浮かべていたあるとき、ふと気が付いたことがあります。自分の行動や発想の基礎となっているのは、何事も分析したがる性格のせいではないかと。これを自分では「根っからの分析魔」と呼んでいます。
 「思考支援コンピュータを創る」という研究テーマも、既存のコンピュータの仕組みの悪さを分析した結果として生まれました。「情報化社会で必須となる上手な説明技術」も、作成した文書やソフトでの理解しづらさから思いついたものです。現在の仕事でも、いろいろな使いこなし術を紹介する記事を書いていますが、その基礎にあるのは万物への分析欲といえます。
 どんな分野のどんなことでも「これでカンペキ」ということはありません。改良の余地が必ず残っています。改良には分析が必要なので、分析魔の性格は現代に合っているのではないかとも思っています。その意味では、今の時代に生まれたことは幸運だったのでしょう。
 根が分析魔だと、分析回路は自然に起動します。仕事をしていると、業界や職場の常識となっていることでも、「本当にそれでいいの?」と疑問を発します。そのため新しいアイデアを提案することも多いのですが、組織内で反発を受けることも何度かありました。論理的に納得できないことを強制されると我慢できない性格なので、組織というものになじまないようです。おかげで、過去に勤めた会社は5つにもなり、現在は自由業です。自由業というのは、半分気楽で半分厳しいといったところでしょうか。
 5つの会社経験も捨てたものではありません。国内および外資系の大手メーカーや米国系コンサルティング会社などの経験は、現在の仕事に大きく活かされています。いろいろと提案や注文を付けたおかげで、各会社で知り合った貴重な実力派の友人も何人かいます。これも財産の1つです。

映像作品も分析して楽しむ

 分析魔としての視点は、仕事以外のいたるところにも及びます。以前から好きだったことの1つに、映像作品を観ることがあります。一般の映画だけでなく、ドキュメンタリーやコマーシャルも興味のある分野です。
 一般の映像オタクと決定的に違うのは、データの暗記にまったく興味がないことです。映画オタクといえば、どの監督がどんな作品をいつ作り、それぞれの作品には誰が登場していたかを、こと細かく知っています。ところが自分は、監督の名前どころか、作品のタイトルすら忘れることがあります。名前を覚えることに、まったく興味がないからです。
 何に興味があるかといえば、映像作品の表現術を分析することにです。たとえば、感動するシーンや恐くなるシーン、ほのぼのと感じるシーンなどが目に付いたとします。すると、自分の分析回路が作動し始め、「どんなカットをつなげているのだろうか」とか「この音楽が始まるタイミングは絶妙だ」とか「照明の使い方を工夫している」というように、いろいろな要素を表現上でどのように利用しているのか見ていきます。上手い作品では感心することも多いのですが、下手な作品になると、「この部分にこんなカットを入れれば、もっと良くなるのに」と注文を付けたくなります。最近では、役者の演技にまで注文を付けたくなることも多くなりました。
 映像作品には、映像だけでなく、音楽や言葉や演技といった複数の要素を含みます。それだけに、最低限の表現レベルを確保するためには、各要素に対して基本的な表現技術を持っている必要があります。これが意外と難しく、素人が作ったものとプロが作ったものの差が顕著に現れるのが、映像という分野です。基礎的な表現技術を持っていない人が作ると、言いたいことが伝わらないボケた作品になりがちです。幸運だけで良い作品が作れる可能性が、もっとも少ない分野の1つといえるでしょう。
 自分の分析方法ですが、最初のうちは、ビデオデッキを利用していました。面白いと思った作品を録画し、ビデオデッキで再生しながら観ます。ポイントとなるシーンを選び、どんなカットをつなげているのか、何度も巻き戻ししながら再生します。場合によっては、各カットの秒数まで数えて、タイミングなどを分析します。だから、ビデオデッキとリモコンは必須なのです。このような楽しみ方だと、1本の作品を何度も観るわけですから、あまりお金はかかりません。これも、表現分析好きのメリットの1つです。
 以上のように、通常の映像オタクとはまったく異なりますが、かなり変わった楽しみ方といえます。映像の表現というのは非常に奥が深く、魅力的な作品に出会う限り、いくらやっても飽きが来ません。データの暗記が中心ではないので、より深く楽しめます。それに、作った人の思い入れがだんだんと理解できるようになる点も、のめり込んでしまう大きな理由です。

インフォメーション・アナリストについて

 「インフォメーション・アナリスト」というのは、自分で作った職業名称です。少し変わった名前ですが、これでさえ、自分が思い描いている内容を的確に表しているわけではありません。これ以上の名称を思いつかないから、続けて使っているだけなのです。
 個人的にもっとも興味があるのは、広い意味での情報と人間です。人間どうしのコミュニケーションに、情報は不可欠です。ここでいう情報というのは、コンピュータに入力するデータだけではなく、普段感じているイメージや、ちょっとしたグチやラクガキなども含みます。誰かに喋る内容は、すべて情報なのです。だから、すべての会話は情報交換だといえます。
 この広い意味での情報を人間が扱う場合、どのような環境やツールがあったら良いかを考えるのが、もっとも大きなテーマです。環境とツールが対象なので、新しいコンピュータの仕組みだけでなく、分かりやすく情報を表現したり伝えたりする方法、社会制度や教育カリキュラムまで含みます。これらすべてが、情報というキーワードでつながっているとともに、統合できるのです。その意味から「情報に関するすべてのことを分析する人」という考え方が出てきて、「インフォメーション・アナリスト」という名前にとりあえず落ちつかせたわけです。

実は、オチャラケも大好きだったりして

 真面目な内容だけでなく、オチャラケ物を作るのも大好きです。今までに、QuickTimeムービーやスタックで、変な作品をいくつか作りました。ほとんどがオチャラケに属するものです。もっと作りたいのですが、やりたいことがたくさんありすぎて、オチャラケ物の作成にまで時間を回せないのが現状です。ちょっと残念なのですが、時間ができたら、また作りたいと思っています。
 空いた時間を利用してちょこちょこと作れるようにと思い、ここにも「脳味噌ぐちゃぐちゃルーム」を設けました。ここだけは、全体の中での別世界として、盛り上げていくつもりです。


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