川村渇真の「知性の泉」

電子会議は知的能力の差を明確化する


電子会議は発言しないと不参加と同じに

 ネットワークの利用方法の1つに、電子会議がある。離れた場所に住んでいても参加が可能で、発言する時間帯も自由だ。時間や場所という制約から解放されて、より多くの人が参加できる点が大きなメリット。
 ただし、顔合わせ型の会議と比べて、根本的に異なる点が3つある。最初の1つは、何も発言しなければ、不参加と同じ状態になることだ。
 顔合わせ型の会議では、会議室へ行って席に座るので、何も発言しなくても参加したと見なされる。とにかく、会議の場所に顔を出しさえすればよいのだ。実際には、何も発言しないということはあり得ない。議論の開始前や途中で雑談の時間もあり、そこで何かを喋ると発言したような印象が残る。また、賛成の相づちを打つだけでも、発言したように見てもらえる。雰囲気として参加した印象が残ればよいのだ。
 ところが電子会議になると、何もせずに顔だけ出すという手が使えない。発言して初めて、参加したと見なされる。もし1回も発言しなければ、最初からいない人と同じだ。真面目なテーマでの議論では、雑談に相当するゴミ発言がしづらい。このことが、雑談だけでも発言しておくという手を使えなくする。
 加えて、発言の多さや内容の濃さも、顔合わせ型の会議よりハッキリと表に出る。提案中心の発言を繰り返す人は、積極的な参加者と見えやすい。逆に、誰かの発言に相づちばかり打つ人は、中身の薄い短いコメントなりがちで、その雰囲気が明確に見えてしまう。どんな発言でも、内容に応じた印象を強く表面化するのが、電子会議の特徴である。

発言の機会が、地位に関係なく平等

 電子会議の2番目の特徴は、発言の機会が平等である点だ。組織上の地位、年齢や経験に関係なく、誰もが自由に発言できる。
 顔合わせ型の会議では、組織内で地位の一番高い人が議論全体を仕切る。その人と反対の意見を持つ人を、できるだけ発言させないことも可能だ。わざと指名しなかったり、発言を途中でさえぎったり、やろうと思えばいくらでも邪魔できる。このようなケースはまれだろうが、若い人に発言させない状況はよくある。重要な意見を述べるかも知れないのに、「経験が浅いから、黙って聞いてなさい」とか「発言できる立場にない」などと抑制する。とくに、上司の意見への反論は、発言途中で止められる可能性が高い。
 電子会議になると、上司が部下の発言をコントロールすることは難しい。書き込めばよいだけなので、誰でも自由に発言できる。途中に止められることもないため、かなり詳しい説明が可能だ。上司への反論も、やろうと思えば徹底的にやれる。反論の信頼度を高めるため、基礎データを添える人も出てくる。そうなったら、どちらが適切なのか誰の目にも明らかだ。上司といえども、内容のある発言をしなければ立場を保てない。
 自由に発言してほしくない上司ができるは、自分の地位を利用して、発言しないように圧力をかけることぐらいだ。それでも、言いたい人は発言してしまう。いったん発言されたら、それを皆が読めるので、無視することはできない。極端な場合には、他の部署から発言されることもある。発言者が自分の部下でないため、さらに圧力をかけづらい。
 自由に発言できる状況では、実力不足の上司ほど困る。実力のなさが電子会議の中で明確になり、信頼度はどんどんと低下するためだ。このように肩書きが役立たない点は、電子会議の特徴の1つである。

発言記録が残ることで提案者が明確に分かる

 電子会議の3番目の特徴は、参加者の発言が記録として残ることだ。この機能により、議論への貢献度が正確に見えてしまう。
 問題の解決方法を決める会議では、解決方法を提案する人、その改良案を出す人、提案に反対する人などがいる。途中の段階で意見の対立も起こり、最終的な解決案が決まる。その過程の全部が記録として残ってしまう。後から記録を見ると、どのアイデアは誰が提案したのか、どの部分は誰が改良したのかが明らかに分かる。つまり、成果を上げた人がハッキリするわけだ。同様に、反対ばかりしていて何も提案しなかった人、相づちを打っていただけの人も見えてくる。もっと怖いのは、場面ごとにコロコロと意見を変えるとか、内容が矛盾している発言なども見付かることだ。
 実際、顔合わせ型の会議でも、途中で意見を変えることはよくある。自分の主張が明らかに間違いだと悟ったときは、少しずつ意見を変えながら、全く正反対の意見にまで移行する。喋る方法なので、前の発言は残らず、移行を突っ込まれることは少ない。このように段階的に意見を変えれば、ある程度のメンツが保てるからだ。ところが電子会議では、すべての発言が記録として残る。途中で意見を変えたことが、後からでもハッキリと見えてしまう。
 以上の結果、議論で扱ったテーマに関して、誰がどれくらい貢献したのか、すべて明らかになってしまう。特に重要なのが、もっとも重要なアイデアを誰が提案したのかハッキリする点だ。組織や参加者の意向に関係なく、実力のある人が目立ってしまう。それが電子会議なのだ。
 コンピュータのビデオ機能が発達したら、テキストデータ中心の会議でなく、ビデオ映像中心の会議に変わるであろうか。答えはノーだ。音声や映像のデータは、テキストに比べると検索や整理が難しいし、多くの記憶容量を消費する。加えて、電子会議で決定した内容を報告書にまとめることも考慮すれば、テキストデータ中心にならざるを得ない。もし映像データを用いるとしても、テキストデータの補助的な役割しか持たせられない。喋った内容をテキスト化する機能を利用することはあるが、電子会議では、いったんテキストデータに変換してから発言する形で使う。以上のことから考えて、やはり中心はテキストデータだ。

電子会議時代には、発言方法の教育も必要

 電子会議が当たり前の時代では、発言できない人の立場は非常に弱い。発言できない人の中には、引っ込み思案な性格を持つといった理由から、会議で発言するのが苦手だと感じる人もいる。そんな人々のため、自分の意見を分かりやすく言えるように、訓練できる機会を提供する必要がある。学校などが最適な場所だ。そこでは、自分の考えをきちんと整理する方法や、矛盾した発言を防ぐ方法なども教える。また、コンピュータを利用して、きちんと発言できるように支援するソフトも開発すべきだ。電子会議時代には、必須の教育内容やツールとなるだろう。
 以上のような特徴は、すべての分野ではなく、知的な分野で強く出る。芸術作品を作る能力などは、作品自体の出来具合で決まり、言葉で説明できたとしても価値は低い。このような分野だと、電子会議では実力の違いが明確にならない。ただし、単純な仕事の多くが自動化される方向へと進むので、知的な分野の比率は少しずつ高まる。そのため、電子会議の特徴が及ぶ分野は広がるはずだ。
 最後に、重要な社会変化についても少し述べておこう。個人個人の貢献度が明確になる電子会議の特徴は、世の中が実力社会への向かう手助けとしても働く。それが所得の格差を広げ、最終的には貧富の差を拡大させる。貧富の差が極端に広がるのは、社会にとって大きな問題だ。犯罪の増加などに直結し、社会全体の荒廃につながる。そんな社会では、安心して夜道を歩けないといった状況が起こる。これは非常に困った問題なので、何とか対処しなければならない。実力社会へ向かう力は、テクノロジーの進歩と連動していて止められないので、貧富の差を大きくしないように、社会全体としての対処が必要だ。

(1997年12月25日)


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