川村渇真の「知性の泉」

無署名記事が無責任な記事を生む土壌に


無署名ならば記者個人に責任は生じにくい

 日本では、代表的なマスメディアである新聞や雑誌で、著者の名前が書いていない無署名の記事がなぜか多い。このことに関しては、ジャーナリズム関係者の何人もが、大きな問題だと指摘している。言い尽くされている話題だが、非常に重要な問題点なので、本コーナーでも理由を述べておきたい。残念なことに改善される見込みがまったくないので、一人でも多くの人が指摘して、プレッシャーを少しは増やすという意図もある。
 無署名にする最大の理由は、問題ある記事を書いたときでも、記者個人への責任追求が及ばないからだ。組織の内部では、それなりの責任は取るだろう。しかし、外部に名前が出ないことで、失敗した人は生き延びられる。このような体質の業界だと、競争による記者の淘汰が起こらず、レベルの低い人も仕事を続ける。個人的に大きな反省もしないので、問題のある記事を何度も書き続ける。また、業界全体として見ると、書いた記事の質が向上しないので、本当なら大きな問題といえる。
 個人への責任が生じない世界に長くいると、質の高い記事を書けるようになる可能性も大きく減る。業界全体では、レベルの低い記者の割合がどうしても増えてしまう。つまり、業界自体のレベルが低下するわけだ。こんな状況なので、無署名記事は問題だといくら指摘されても、改善する動きは出てこない。

署名式に変えると書き方が改善される

 日本のマスメディアの記事の書き方は、他の先進国と比べて、非常に低レベルだと言われている。警察が発表した内容を、あたかも自分で調べた事実のように書くのが当たり前。それが間違いだったとき、間違ったのは警察であり、自分たちに責任はないと居直る人までいる。こんなことができるのも、記事が無署名だからだ。
 すべての記事を記名式に変えると、書き方のレベルが低い問題は改善の方向に向かうだろう(現状が低レベルすぎるため、それに慣れた記者が多く、絶対に改善されると断言できない点が悲しい)。間違った記事を書いたのが誰か明らかになれば、その人が次から書く記事は信憑性を疑われてしまう。そうなるのが分かっているだけに、無署名のときよりは真剣に調べる。もし何度も間違うようなら、読者から非難の声が殺到し、その記者には書かせないように圧力がかかる。結果として書く場所を失い、記者としては脱落するしかない。このような淘汰が起これば、より良い記者が生き残って、記事全体でのレベルが向上する。
 悪いと判断される記事は、記述が間違った場合だけとは限らない。人権を無視したり、特定のグループを差別すれば、間違ったときと同様に読者の非難を受ける。また、環境破壊を擁護するような記事を書いても、非難を受けやすい。他の点でも、良識ある市民の意識から外れた内容は書けなくなる。
 もちろん、署名式を採用しても、レベルの低い記事を書く人はなくならない。現に、非論理的をモットーとする人の御用達雑誌では、未だに「南京大虐殺はなかった」といった低レベルな記事が書かれている。このような雑誌は、メジャーでないから続けて書けるのだ。メジャーなメディアだと、読者が多い分だけ圧力も強く、レベルの低い記事は続けにくい。その意味で、メジャーなメディアが署名式を採用したときの改善の効果は、かなり期待できる。
 以上のようなプレッシャーがあれば、先進国の記事の書き方を学ぶ記者が増えるだろう。それが紙面に現れるだけでも、今より質の高い記事になる。どの新聞社でもいいから、最高責任者の大英断により、全部の記事を署名式に変えてもらいたい。最初は苦労するだろうが、最終的には良い記者が集まり、競合紙との競争力が高まるだろう。

テレビでも内容の責任者名を明らかにすべき

 紙のメディアに関しては、無署名の問題をかなりの人が指摘している。しかし、もう1つの代表的なメディアであるテレビにも、同じ指摘が当てはまる。この部分を分析した人はあまりいないので、少し突っ込ん考察してみよう。
 テレビが紙のメディアと大きく異なるのは、記事ごとの区分けが明確でない点だ。紙のメディアなら、各記事の間に線を入れるとか、記事ごとに見出しを付けるといった方法で、区切りを明確にしやすい。しかし、テレビでは、いくつものニュースやコーナーが連続して放映される。紙のメディアと同等の署名を実現するには、細かなニュースやコーナーごとに名前を出すしかない。
 テレビの場合は、取材ですらたいていは一人でないし、編集にも何人かが参加するので、関係者は数人になる。全員の名前を出したいが、画面の細かさや使える時間の短さなどの制限により、何人もの名前を出すのは難しい。ただし、基本となる取材や編集方針を決めたのは、一人か数人に限定される。そのため、内容に責任を持つ人の名前を前面に出して放映するのが、現実的な選択であろう。残りのメンバーの名前は、後述するように別な方法で公表すればよい。
 テレビのもう1つの問題は、ビデオで録画するとかメモでもしない限り、責任者の名前が記録として残らない点だ。この欠点を解消するためには、当面はウェブページを利用して、ニュースやコーナーごとに関係者の名前を公表する。内容に関する責任者は誰で、各人が担当した役割も明確に伝える。ウェブページだと見れない人もいるが、コストや手間を考えたら現状ではベストな方法である。
 ニュースごとの責任者の名前だけは、番組を見ただけで覚えられるように工夫すべきだ。テレビの映像はすぐに消えるので、最初のカットで短時間だけ名前を出す方法では、名前を確認できない。そうではなく、各ニュースとも全放映時間に小さく名前を表示し続ける。こうして作れば、少なくとも責任者の名前だけは記憶しやすい。
 以上のような放送スタイルになると、紙のメディアで署名式に変えたのと同じ効果が得られる。番組を作る側での責任感が高まり、人権への配慮などが今よりは改善されるはずだ。将来的には、デジタル放送によって細かな情報を一緒に送れ、誰もが簡単に知れるようになるだろう。そうなったら、誰もが関係者の名前を簡単に知れる。

新しいメディアの新興勢力に期待する

 いろいろな人が指摘しても、非常に悲しいことだが、日本の既存のメディアが自分で改善する見込みはゼロに近い。何か特別なことでも起こらない限り、変わることはないだろう。
 既存のメディアより可能性が高いのは、これから登場する新興勢力だ。それも新聞やテレビといった旧来のメディアではなく、インターネットなどの新しいテクノロジーを利用して登場する組織だ。インターネット上での課金や集金のシステムが確立されれば、今までのメディアよりも低コストで運営でき、少人数からなら簡単に始められる。それほど遠い未来ではない。
 最初のうちは、いろいろな人が参入するだろう。その中には、先進国のジャーナリズムを勉強して、きちんとした記事が書ける人も含まれる。質の高い記事を書くことで、知的好奇心の高い人を中心に、一定の支持が得られるはずだ。そんな新興勢力が現れることを期待したい。少なくとも、現状のメディアが改善するよりは、実現の確率がはるかに高いだろうから。

(1998年12月30日)


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