川村渇真の「知性の泉」

世の中の問題が複雑化して短い記事では説明不足


世の中の多くの問題が複雑になっていく

 今ほど世の中が複雑でなかった頃は、物事の白黒がハッキリしていた。善し悪しの判断は、多くの人の意見が異なることは少なかったし、考えなければならない範囲も狭かった。あまり悩まずに、たいていの問題で結論が出せた。ところが現在の社会では、多くの問題が複雑になっている。
 このように変化した大きな理由は、人々の価値観の変化とテクノロジーの進歩だ。人々の価値観の変化では、まず人権の尊重が挙げられる。人種、性別、年齢による差別の撤廃、プライバシーの保護など、昔なら重視されなかった考え方が登場した。何をするにしても、人権を無視した形では世間から認められない時代になった。法律やルールを作るときや、メディアでの言葉の使い方など、いろいろな面に影響を与えている。また、体の一部が不自由な人への配慮も、機器や建築物を設計する際に考えるようになった。加えて、従業員の不当解雇やイジメなどが問題とされるように変わってきた。全体的に見ると、みんなが人間らしく生きることが、以前よりも尊重されている。
 テクノロジーの進歩に関しては、大きく2つに分けられる。1つは、いろいろな技術が発達して、正しい知識が増えるとともに、多くのデータを測定できるようになった。地球環境の保護などは、いくつもの技術が進歩したから判明したものだ。さらに、医療技術の進歩により、脳死といった特別な状態が起こったり、出産前の遺伝子検査なども可能になった。これらは新たな問題を引き起こしている。もう1つは、コンピュータやネットワークの発達である。情報が簡単にやり取りできることで、重要な考え方や視点が広く伝達できる世の中になった。外国などの別な世界を知ることで、自分たちの地域のやり方が本当に正しいのか考える機会を提供する。また、重要な意見が世界中に伝わりやすく、短時間で人々に大きな影響を与えられる。
 以上のような理由で、1つの問題で考慮すべき項目数がかなり増えている。公共事業なら、有用性や採算性だけでなく(これすら満たしていない場合も多いが)、環境保護を重視したり公正な入札を求められる。メディアの記事でも、以前よりも正しさを要求されるし、プライバシーの保護も考慮しなければならない(日本は先進国の中で遅れているが)。新しい問題である出産前の遺伝子検査は、体に障害がある人への差別という側面を持っている。寝たきり老人の看護では、社会がどの程度までサポートするべきか、簡単には決められない。
 以前から存在する問題は、人々の価値観の変化によって考慮すべき点が増え、前よりも複雑になった。問題自体は同じだが、昔は今よりも無知だったので、簡単に済ませていただけだ。新しい問題は、テクノロジーの進歩により出てきたもので、以前からある問題よりも難しい要素を含む傾向が強い。価値観の変化とテクノロジーの進歩という2つ影響で、多くの問題が前より複雑になっている。

関連知識を一緒に提供しないと内容の理解が難しい

 世の中の問題が複雑になると、内容を適切に理解するためには、関連する多くの知識が必要となる。起こった現象を表面的に伝えただけでは、問題の本質を分かってもらえない。対象となる問題に関して、考えられる多くの視点で検討する必要があり、検討した部分まで含めて説明しないと、納得できる記事にはならない。
 問題に関係する視点にも、短い説明で済まない内容が増えている。たとえば、人権尊重の1分野であるプライバシーの範囲が、具体的にどの程度なのか、簡単には説明できない。いろいろな例を紹介しながら解説するので、かなり文章量が必要となる。他の視点も同様で、多いものだと単行本で数冊の分量にも達する。
 ただし、視点に関する説明が多いと言っても、似たような問題で共通な知識なので、毎回説明する必要はない。簡単に参照できる仕組みを用意して、必要な人に見てもらう方法がベストだ。知らない人は最初に読んで理解し、知っている人は知らない部分だけ読めばよい。その意味で、本来の記事から簡単に参照できる提供方法が求められる。
 視点に関係する知識では、満たすべき重要な条件がもう1つある。世の中は刻々と変化するので、それに合わせて更新しなければならない。記載していない新しい事例が出たとか、未検討の項目を追加するとか、新しい技術やデータによって基準が変わったとか、内容を最新の状態に保つ作業が発生する。それを怠ると、安心して使える知識とはならない。手間は大変だが、地道な維持管理が求められる。
 これからの記事は、以上のような条件を満たす形で作成しなければならない。全体の説明量がかなり増えるとともに、個別の記事だけで提供する方法自体が、確実に時代遅れになりつつある。

既存媒体よりもオンライン媒体が適する

 こうした問題の変化にも関わらず、新聞や雑誌の記事は、昔と同じ書き方をしている。1つの記事に割り当てられる分量は、昔と変わっていない。記事を読むのに必要な知識も、積極的に提供しようとしていない。
 雑誌の場合は、特集として取り上げて多くのページ数を割り当てられるので、新聞よりも少しだけ有利だ。それでも、説明すべき内容の量と比べれば、ページ数はまだまだ足りない。繰り返しの説明を減らす苦肉の策として、小冊子を付けて参照しやすくする例もあるが、入れられる量が少ないので効果は不十分だ。また、たいていの記事は初心者を考慮するので、同じ内容を何度も繰り返してしまう。多くは初心者向けの基礎知識で、それ以上の知識へ進むことは非常に少ない。
 テレビの報道番組も基本的には同じだ。ごく一部の番組だけは、特集として比較的多くの時間を割り当てる。それでも、問題の複雑さに比べれば、まだまだ十分ではない。雑誌と同様に、どの番組でも初心者を考慮するため、初心者レベルの同じ内容を何度も紹介してしまう。全体としては相当な時間を使っているが、知識の充実には結びつきにくい。
 このような状況を打開するには、新しい媒体を利用するのが効果的だ。ネットワークを利用したオンライン媒体が最適で、もっとも有力なのが、現状ではウェブページであろう。文章量を気にせずに書けるので、必要なだけ詳しく説明できる。さらに、好きなときに追加できるため、書き終わったら一部だけでも公開が可能だ。いち早く情報を提供し、だんだんと追加しながら充実させる方法が使える。
 もっとも有効なのは、関連する知識の提供だ。リンク機能を利用することで、関連する知識を簡単に呼び出せる。両方を一緒に表示しながら読むことも可能だ。また、価値観や評価の基準が変化する現代においては、常に最新版を読める点も大きなメリットである。小冊子や単行本を用いて、古いままの知識を参照する失敗も防げる。
 全体的に見てオンライン媒体は、現代の問題の質に適したジャーナリズムの道具といえる。それに比べて、既存媒体は欠点が目立つし、その程度は日増しに大きくなっている。オンライン媒体で購読料を取れる仕組みが用意され、読める機器を持つ人が増えれば、普及の条件は整う。

オンライン媒体でも整理した書き方が重要に

 オンライン媒体が普及してくると、今度は記事の書き方が問われるようになる。人々がオンライン媒体に慣れるに従って、オンライン媒体に適した書き方を求め始めるだろう。
 現在のオンライン媒体は、既存の媒体と同じ方法で記事を書いている。執筆時点で判明した内容を、独立した新しい記事として追加する方法だ。毎日更新する記事なら、その日に分かった内容を、独立した1つの記事として書いて加える。この方法だと、一連の記事を毎日読んでいて、それを覚えている人には理解しやすい。しかし、途中から読み始めた人や、後で参照する人にとっては、全体像が見えなくて読みづらい。
 この欠点を解消するには、少なくとも、テーマの全体像を的確に把握できる方法が必要だ。現実的な作業まで考慮すると、毎日の記事とは別に、全体を整理した記事を別に用意する方法が考えられる。エレガントではないが、最小限の手間で済ませられるメリットは大きい。理想的には、もっと別な良い方法があれば、それを使いたい。
 全体像を見せる記事が提供できた場合でも、一度公開した過去の記事を残す必要がある。間違った情報を流した場合、記事を訂正するとともに、間違い情報の公開自体を記録として残さなければならない。間違い記事をそのまま残すかどうかは議論の分かれるところだが、何らかの形で失敗自体も公開し続けなければならない。この点は、日本のメジャーなジャーナリズムが大きく欠けている点で、早急に是正が求められる。これをしない限り、ジャーナリズムとは呼べないのだが...。
 オンライン媒体に適した記事の書き方は、多くの人が模索する中で生まれると思われる。というより、生み出さなければならない種類のものだ。オンライン媒体は既に存在するのだから、最適な記事の書き方を模索してほしい。現在は、何でも試せる時期なのだから。

(1998年12月7日)


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