川村渇真の「知性の泉」

ジェネラリストでは適切な記事を書けない時代に


コンピュータに関する認識間違い記事が目に付く

 新聞などの一般大衆向けメディアでも、コンピュータや医療などの専門的な話題を扱うことが多くなった。それらの記事を読んで目に付くのは、誤った認識の内容がときどき含まれている点だ。コンピュータに関する記事では、意外に多いのに驚いている。
 このような認識を明確に感じたのは、チェスの世界チャンピオンにコンピュータが勝ったとの報道だ。どのテレビでも新聞でも、人間とコンピュータの対決という表現を用いていた。コンピュータの基礎知識を持っている人なら分かると思うが、現状ではコンピュータが自分で考えてチェスをするわけではない。チェス専用のプログラムを“人間が設計”して、コンピュータはそれを実行しているだけに過ぎない。そのプログラムの中心部分はアルゴリズム(計算などの基本的な原理)であり、それを考えた人と世界チャンピオンとの知的な戦いなのだ。決して、人間対コンピュータの戦いではない。
 また、最近で目に付いたのは、パソコンに付属するマニュアルへの批判だ。パソコンが使えない大きな原因として、マニュアルが悪いとの記事を何度か見かけた。コンピュータというのは、今まで登場した全製品の中でも、比べものにならないぐらい機能が多く、使い方が難しいものである。それを何冊かのマニュアルだけで説明できるはずがない。考えてみてほしい。ビデオで番組予約をできない人がかなりいたため、Gコードが生まれた。パソコンの操作は、Gコードを使わない番組予約よりは格段に難しいのだ。
 実は、マニュアルに関してはもっと根の深い問題がある。マニュアル制作者ではなく、パソコンやOSを供給する側の意識だ。あれだけ機能の多い製品を説明するなら、マニュアルのページ数は相当に増やさなければならない。一般的には、詳しく説明するほど必要なページ数は増加する。ところが、製品のコストを優先するため、ページ数は増やさない。逆に最近では、オンライン・マニュアル化が進み、紙のマニュアルのページ数を減らす傾向が強い。
 パソコンが使えない大きな原因の1つは、使いやすさに関して深く考えられていない点にある。コンピュータの業界では、ソフトウェア技術の研究には熱心だが、使いやすく改良する研究には力を入れていない。遠い将来に役立ちそうな新しいインターフェースだけは少し研究しているが、既存のソフトを少しでも使いやすく改良するような研究は、ほとんど見たことがない。
 こんな現状にも関わらず、パソコンは簡単だと誇大宣伝をして買わせ、使えない人が多く出ている。パソコンは努力しないと使えないものであり、マニュアルが悪いなどとスケープゴートを作るのではなく、誇大広告は止めてもらいたいと報道すべきである。他の内容に関しても、ひどいと思う記事をときどき目にする。もっと本質を理解した記事に改善しなければならない。

認識間違い記事の原因は、世の中の複雑化

 以上はコンピュータに関する記事だけだが、他の分野でも似たいような状況だと推測する。コンピュータの記事だけが目に付いたのは、自分がコンピュータの専門知識を持っていて、業界の現状を知っているからに他ならない。他の分野に詳しければ、その分野の記事の問題点にも気付くだろう。
 このような状況が生じている原因を考えてみると面白い。世の中の大きな変化が深く関係している。かなり昔なら、記事で扱うのは一般的な内容がほとんどで、深い知識は必要なかった。そのため、少し調べて書けば済んでいた。
 しかし、現在では、新しい分野が次々に生まれるとともに、1つの分野に含まれる知識が格段に増えている。ラクしたい記者にとっては運の悪いことに、いろいろな専門分野の記事を一般紙で扱う機会が増えてしまった。対象となる内容を適切に理解するためには、ある程度の専門知識に加え、その業界の現状認識が求められる。
 多くの問題が複雑になっている点も見逃せない。1つの記事を書くのに、関係する知識が増えている。1つの専門知識だけでなく、関連する幅広い知識や現状認識が求められるのだ。たとえば、養護施設の問題を取り上げるなら、福祉の知識に加え、関連する法律、施設の経営に必要な知識などがないと、適切な記事が書けない。また、少子化の問題を扱うなら、働く女性の現状、子育てにかかる全費用、保育所が提供するサービス内容、関連する法律や政策などを知らなければならない。
 価値観の変化も大きな影響を与えている。世の中のいろいろな分野で研究が進むことによって、地球環境の破壊状況や、精神的な病気の存在が明らかになってきた。また、過去に差別された人々の意識を知ることで、差別をなくす動きも強くなっている。これからのジャーナリズムでは、地球環境保護、人権尊重、差別撤廃などの意識を持つことが、非常に大切である。
 このような点を総合的に理解して、記事を作らなければならない時代に突入した。昔と同じような書き方をしていたのでは、現代に適した記事は作れない。世の中は加速度的に変化するため、この傾向は今後もますます強まると予想する。

ジャーナリストごとに自分の専門を持つ時代に

 以上のように、世の中の状況は明らかに変化している。にもかかわらず、一般紙の記者は、昔と同じようにしか考えていない。現在の状況に合ったスキルアップが求められているにもかかわらずだ。取材方法や文章の書き方などは勉強するが、いろいろな専門分野の知識を努力して深めてはいない。
 これからのジャーナリストは、自分なりの専門分野を決め、その分野の知識を深める必要がある。また、関連する他の分野の知識も、ある程度は身に付けなければならない。そうしなければ、適切な記事が書けないからだ。もちろん、その分野で仕事をしている人と同等の知識を身に付けろというのではない。内容をきちんと理解できるレベルの知識で十分だ。
 専門分野の知識を身に付けるのが得意な人は、意識的に複数の専門を持つようになる。それを上手に活用すれば、他のジャーナリストよりもレベルの高い記事が書ける。これからの時代は、得意な専門分野がいくつ持っているかも、ジャーナリストのスキル評価の1項目となるだろう。
 専門分野を持っただけでは、良い記事を書くのは難しい。その分野の専門家で、現状と未来を適切に把握している人を探し、継続的に情報交換する必要がある。もし優秀な人材と仲良くなれれば、その分野の新しい技術や問題に対して、適切な意見を得られる。専門分野の優秀な人材を見付けて仲良くなるのも、良いジャーナリストの条件の1つとなる。

新聞社や出版社の意識改革も求められる

 ジャーナリストの意識改革だけでは、実際の記事が改善しない。もう1つの重要な点は、記事を載せる出版社や編集部の考え方だ。扱うテーマに対して、その分野の知識を持った記者を割り当てなければならない。もっと大切なことは、その分野に詳しくない上司なら、記事の内容に関して余計な口を出さない点だ。一般的な助言なら構わないが、知らない専門分野に関わる助言だと、記事を悪くする可能性のほうが高い。
 以上のような流れは、止められないばかりか、ますます強くなる。ジェネラリストが書ける内容の範囲は、これからもどんどんと減っていくだろう。少しでも適切な記事を書きたいと思ったら、自分の専門分野を持ち、その分野の専門知識や現状を理解する努力を続けなければならない。本物のジャーナリストにとっては、大変な時代になりつつある。
 このことから別なことも言える。まったく努力しないニセ物のジャーナリストとの差は、確実に広がっていく点だ。それによって、記事の質の差も段階的に拡大する。ジャーナリストの個人的な能力が重要となるわけだ。
 レベルの高い新聞や雑誌を目指すなら、本物のジャーナリストを率先して採用すべき時期に来ている。もう1つ、良い記事と悪い記事の差が広がる以上、記名原稿は必須である。このような状況を理解し、日本の新聞も、記名方式に早く改善してもらいたい。

(1998年9月24日)


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