川村渇真の「知性の泉」

コンピュータ無知からくる報道の間違い表現


人間対コンピュータは誤った表現

 チェスの世界チャンピオンとコンピュータの対戦は、コンピュータ側が1勝でもすると世界的な話題となる。テレビでも新聞でも大きく報道するが、その際の表現として「コンピュータ対世界チャンピオンである人間」が使われる。
 しかし、これは大きな間違いだ。現在のコンピュータは、与えられたソフトを実行しているに過ぎない。世界チャンピオンと対戦しているのは、チェスのプログラムであって、コンピュータはソフトを動かすための道具だ。たとえば、同じコンピュータ上で別なチェスのプログラムを動かすと、対戦結果は大きく違ってくる。逆に、同じプログラムを別なコンピュータで動かしたら、同じ対戦結果になるだろう。コンピュータは、単なる実行装置でしかないのだ。

正確にはアルゴリズム考案者との対戦

 チェスのプログラムは人間が作ったものであるから、設計者が必ず存在する。プログラマもいるが、ここで重要なのは、チェスのアルゴリズムを考案した人だ。対戦の状況をどのように解析し、次の一手をどう決めるかといった、基本となる論理を考えた設計者(複数人物の場合もある)だ。その人こそが、世界チャンピオンの真の対戦者である。コンピュータ自身が、チェスのプログラムを自動生成して対戦しているわけではない。
 対戦をもっと深く分析するなら、異なる方式による知的対決といえる。世界チャンピオンは、自分の頭だけを用いて、チェスの戦術を考える。もう片方は、コンピュータ上のプログラムを作ることで、同じことを実現する。用いる方法は異なるものの、人間対人間の知的対決なのだ。
 人間の世界チャンピオンは実名で登場するのに、アルゴリズムの考案者は、なぜ名前が出ないのだろうか。本当なら「○○氏が考案したチェスのプログラムが、世界チャンピオンの○○氏と対戦した」と表現すべきだ。そうでなければ、創造的な活動に価値を見いださないこととなり、アルゴリズム考案者に対して失礼である。

コンピュータにミスを押しつける表現もあった

 コンピュータとの対戦以外でも、コンピュータにまつわる間違った表現は多い。銀行預貯金や座席予約のオンラインにトラブルが発生したとき、「コンピュータが間違えました」と言うことがあった。実際には、ソフトにバグがあったとか、運用の担当者が何かを間違えたとか、すべて人間のミスである。
 もちろん、コンピュータが故障して、トラブルが発生することも考えられる。しかし、銀行などのオンラインシステムは、2台のコンピュータを並行して動作させ、片方が故障しても瞬時に切り換える仕組みで動いている。両方が同時に故障する確率は非常に低く、ハード上の故障ではそう簡単に停止しない。それよりも、ソフト上の問題や、人間の操作ミスのほうが圧倒的に多い。
 「コンピュータが間違えた」という表現は、もともと責任のがれの目的で使われたようだ。当然のことだが、トラブルを起こした本人は、本当の原因を知っている。もし正直に人間が間違えた報告すれば、責任を追及される。ところがコンピュータが間違えたと表現することで、責任の所在が不明確になるし、なんとなくだが、仕方がないと思わせられる。そんな表現を、マスメディアはそのまま報道したに過ぎない。マスメディアの多くがコンピュータに無知だったからこそ、通じた方法だ。しかし、コンピュータの普及により、本当は人間のミスであることが知られてきたため、最近では使われない表現となった。

よく考えて報道していない証拠

 この種の間違い表現に気が付くためには、ある程度の知識が必要である。対象となる内容により、浅い知識で済む場合もあるし、深い知識が求められることもある。自分にはコンピュータの知識があるため、今回の内容に気付いたが、他の分野では気付かなかっただろう。もっと幅広く考えてみると、間違った表現や適切でない表現が、別な分野でも結構あるのではないかと推測している。その数は不明だが、意外と多いのではないだろうか。
 こんな報道がいつまでも続く理由を考えてみると面白い。簡単にいうなら、深く考えていないことが大きな原因だ。情報を右から左へ流すだけの報道が多く、中身を分析する作業を怠っている。警察発表を調べもせずに報道することと、根本部分では同じだ。
 より正確な報道を求めるなら、最低限の知識を持つ必要がある。そして少しでも疑問を感じたなら、その分野の信頼できる専門家に尋ねて、評価してもらえばよい。また定期的に、各分野の専門家から報道内容についての意見を求め、その結果を自分たちにフィードバックすることも効果的だ。そんな活動を続けることで、報道全体での質が向上する。
 コンピュータに代表される不適切な表現が続く限り、情報を受け取る側では、いったん考え直しながら読むようにしたい。疑問に感じた箇所は、知人やネットワーク上で尋ねて解消する。報道する側のレベルが低い間は、それ以外に対処方法がなさそうだ。

(1996年4月26日)


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