ジャナ革:既存ジャーナリズムの問題点 |
世の中には多くの組織があり、いろいろな意見を表明している。問題が発生して釈明する声明もあれば、質問に対する返答の意見もある。その中の一部の意見は、新聞やテレビといったマスメディアに採り上げられる。社会的に影響が大きな場合だ。
では、マスメディアの取り上げ方はどうだろうか。ほとんどのケースでは、発表された内容をそのまま掲載する。発表した側の意見を、読者や視聴者に単純に伝えているだけなのだ。それが何を意味するのか、以前に表明した意見と矛盾しないかなど、突っ込むことはめったにない。
代表的な例を挙げてみよう。NTTよりも通話料金が安い東京電話が登場した後で、NTTも市内通話料金を値下げするオプションを発表した。それよりも前にNTTは、市外通話は黒字だが、市内通話は赤字なので値上げしたいと言っていた。競争相手が出てきたからといって値下げするのは、まったく矛盾する行為である。しかし、新聞やテレビなどのマスメディアでは、その点を突っ込まなかった。
これは1つの例でしかなく、他の記事でも似たようなものだ。発表された内容をそのまま掲載するだけで(もちろん、文章などは記者が作るが)、意味を考察したり、矛盾に突っ込んだりすることは非常に少ない。こんな報道姿勢なので、とてもジャーナリストとは呼べず、単なる情報伝達者でしかない。
環境問題などで取材される企業には、ある種の傾向がある。自分たちが悪い立場にいるとき、取って付けたような理由を挙げる点だ。その理由がいくら白々しい内容であっても、気にすることは少ない。取材する側のマスメディアが、ほとんど追求しないからだ。
これも例を挙げてみよう。缶ビールや缶ジュースの飲み口は、現在のように押し込むタイプに変わる前は、飲み口の部分が取れるタイプだった。取れるタイプは、取れた部分がゴミになるし、資源として回収されない欠点もある。改良版の押し込むタイプは米国で早くから普及していて、日本で採用していなかった時期に、記者があるメーカーに尋ねた。押し込むタイプをいつ採用するのかと。するとメーカー側では、確か「飲み口の金属が飲み物の中に入るのを、日本人は嫌がるだろうから採用しない」と答えた。採用するのが時間の問題と見られていたので、その場しのぎの“取って付けたような理由”でしかない。
この記事を読んだとき、次のように思った。この問題を理解している人の多くは、そのうち切り替えるだろうと予想している。だから、メーカー側の担当者(つまり発言者自身)も、取材している記者も、記事を読んでいる読者も、メーカーの発言を信じていないだろうなと。そんな状況なのに、何で本当のことを言わずに済んでしまうのだろうか。結果として、対処が遅れてしまうのに。
この種の話は、いつの時代にも繰り返される。最近では、カップラーメンの容器が話題に上った。環境ホルモン(内分泌撹乱化学物質)を含むのではと尋ねられても、詳しいことが判明していないなどと回答して、容器に使い続けているメーカーもある。これも記者が深くは追求しないので、他の例と同じように対処が遅れる。マトモな記者は、メーカー側の“意見の変化”を追いかけ続けてほしい。
矛盾する行動を平気でとったり、取って付けたような理由を言ったりすることに対し、マスメディアが追求するようになれば、世の中は確実に変化する。追求の仕方も大切なので、どのようにすればよいのか簡単に説明しよう。
NTTの市内通話の件では、まず「市内通話が赤字だというのは、ウソだったのか」と追求する。このように追求した場合は、取って付けたような理由を言う可能性が高いので、さらに質問しなければならない。しかし、それだけでは不十分だ。競争相手がいないとコスト低減努力をしない点、独占企業のコスト関連の報告書は信用できない点など、問題行為から判明した現象を明らかにする必要もある。このような分析結果は、NTT分割などの論議に反映させるように、マスメディアが強く主張することも大切だ。
メーカーなどが取って付けたような理由を言った場合は、「では、他社が採用したとしても、ずっと採用しないということですね」と突っ込む。もっと明確に「近い将来に〜すると予想しますが、そうしないわけですね」でもよい。相手がどのように回答しても、その結果まで含めて記事にする。採用しないと言っていたのに後で採用したときも、記者は突っ込まなければならない。「以前に『日本人は嫌がるだろう』と言ってましたが、なぜ採用したのでしょうか」などと。もちろん、その取材結果も記事に含める。
別な例も挙げておこう。ある証券会社の営業員が、顧客の資金を勝手に投資して失敗し、資金を失った事件だ。その証券会社に責任を追及したら、社員が勝手にやったことなので、責任は取れないと回答した。この回答に対して、マスメディアは強く追求しなかった。このような事件では、よく考えて追求しなければならない。社員の使い込みなどは、どの企業でも起こりうるし、完全になくすのは不可能だ。大切なのは、それを早目に発見して、顧客に迷惑がかからない仕組みを構築することである。そのため「顧客の資金を使い込む社員が出てくるのを完全には防げないなら、使い込みが発見できる仕組みを用意しないんですか」などと追求する。それでも改善しようとしないなら、こんな状況を顧客に伝えなければならない。「○○証券では、担当している営業員が勝手に使い込んだとき、顧客が失った資産を保証しないと表明した。また、使い込みを発見する仕組みも用意する予定はないという。このことは、悪い営業員に担当された場合、顧客が資産を失うことを意味する」といった具合に。そのうえで、補償の問題も追求する。
この種の追求は、記者が論理的で科学的な視点を持たなければならない。つるし上げるとか、いじめるような意識ではなく、事実をもとに淡々と質問したり考察することが大切だ。そうでなければ、マスメディア側の信頼を失ってしまう。日本では既に失われた状態なので、今後は信頼回復を目指す必要がある。
追及が厳しくなると、取材に応じず逃げる組織が多くなるだろう。その場合も、「取材にまったく応じません」と記事にするだけでは不十分だ。取材に応じない相手を集中的に調べて、見付かった事実をどんどんと記事にし、黙っているのが難しい状況を作る。きちんとした調査結果をもとに、データなどで外堀を埋める取材手法を、記者は習得しなければならない。
ただし、日本の現状では、逆の問題が心配される。マスメディア側にもひどい記者がかなりいるので、追求された側がきちんと対応しても、論理的で科学的な話が通じず、悪く書かれることもあり得る。苦肉の策でしかないが、当分の間は、まともな記者だけを選んで対応するしかないだろう。最近ではウェブページがあるので、そこで表明する方法がよい。もちろん、論理的で科学的に表明できなければ、墓穴を掘るだけだが。
マスメディアがこうした追求を続けていれば、矛盾する行動を繰り返したり、取って付けたような理由を言う企業が減る。また、市民の利益に反する行為は、早目に止めたり改善したりするだろう。そのような効力こそ、マスメディアに求められている点なのだ。
(1999年8月2日)
以前の行動と照らし合わせた評価や指摘をしていない |