ジャナ革:既存ジャーナリズムの問題点 |
ダイオキシンなどの汚染問題では、科学的な測定データをもとに議論しなければ、適切な判断を下せない。この種の測定データは、測定装置や専門知識などを持つ専門家でなければ得られないので、一般の人は、マスメディアから提供される報道内容に頼るしかない。では、その報道方法は適切なのだろうか?
テレビや新聞といったメジャーなメディアを見る限り、最終的な数値だけを報道する傾向が強い。たとえば、野菜のダイオキシン汚染の測定データなら、野菜の種類(これすら含まれていない報道もあるが)、採取した地区、汚染数値、大まかな測定時期ぐらいしか含まれていない。その野菜をどのような方法でどこから採取したのかなど、細かな情報は不明なままである。
このような形で報道すると、数値だけが一人歩きして、余計な憶測を生みやすい。どの野菜なのかが特定されないと、すべての野菜に可能性があり、不買運動などの対象が大きく広がる。また、採取時期や採取方法を明確にしないと、都合の良い解釈に利用されやすい。いろいろな面で、まともな議論や適切な対応を難しくする。
あるメディアが報道した数値は、別なメディアが参照する形で広まる。参照する方のメディアも、細かな情報など気にしないで報道する傾向が強いため、余計な憶測を広げたり、議論のレベルを低くするのに大きく貢献する。何とも情けない状況だ。
実際の測定データには、様々な情報が含まれている。野菜のダイオキシン汚染を測定したデータなら、どんな野菜なのか、調べた個数は何個なのか、野菜をどこからどんな方法で採取したのか、いつ採取したのか、どこが測定したのか、どんな測定方法や装置を用いたのか、いつ測定したのかなど、挙げていけば何項目も出てくる。これらは測定データの重要な一部であり、それを含めないと正確なデータとは言えない。つまり、細かな情報を含んでいない現在の報道データは、不正確なデータとみなされる。
理解していない人が多いようなので、あえて繰り返えそう。正確なデータと言うためには、“中心となる数値が正しいだけでは不十分”なのだ。データに本来含まれている細かな情報が揃って、正確なデータと呼ぶことができる。非常に重要な点なので、きちんと理解しておきたい。
もちろん、読者や視聴者の分かりやすさを考えて、最終的な数値だけを公表する考え方は理解している。しかし、何らかの形で正確なデータを一緒に公表しなければ、余計な混乱を招いてしまう。そのデータが“重大であればあるほど、細かい部分まで詳しく”報道しなければならないのだ。その意味で、現状のような不正確な報道方法は、早急に改善すべきである。
データを詳しく報道するためには、テレビならばある程度の放映時間が、新聞ならば紙面スペースが必要となる。重要度の低い記事も多いので、それを削れば簡単に捻出できるはずだ。もしデータ量が多くて難しい場合には、誤解を与えない程度に集計しながら、重要な情報を含んだ形で公表してもよい。その際には、細かなデータは別な形で公表しなければならない。
現在は、ウェブページなどの便利な道具があり、細かなデータを低コストで簡単に公表できる。このような道具を補完的に利用すれば、全データを公表するのは容易になっている。逆に言うなら、非常に特殊な場合を除くと、細かなデータを公表できない理由などない。
データを詳しく公表すれば、複数のデータが公表されたときに、それらの違いをきちんと比べて評価できる。データの数値が異なったとき、どちらかで材料の集め方が悪いとか、測定方法が違うとか、測定した時期が異なるとか、考えられる原因を絞り込める。そんな検討結果が次の測定に生かされ、より良い測定方法へと近づけられる。
忘れてならないのは、一般の読者や視聴者の中には、対象となる分野の専門家が必ず含まれる点だ。当たり前のことだが、該当する分野の専門家は、記事を書いている記者より詳しい。正確なデータを提供されれば、専門家が自分で分析することができる。その人たちが、分析結果をウェブページなどに公表することで、議論の質を上げることが可能だ。そのような基礎を作るのが、測定データの詳しい公表である。
もう1つ、テレビや新聞でデータの解説を加えた場合、詳しいデータを一緒に公表すると、間違った解説に誰かが気付く。メディアにとっては辛いだろうが、間違った解説を発見するのにも詳しいデータは役立つ。
以上のことから分かるように、重大なデータを報道する際には、そのデータが“きちんとした議論に使えるかどうか”が大切なのだ。その条件を満たせるように、データを公表しなければならない。
では、きちんと議論するために必要なデータの条件は、どのようなものだろうか。野菜のダイオキシン汚染を例にして、必要なデータ項目を簡単に紹介しよう。
この種のデータでは、測定するサンプルをどのようにして採取したかが非常に重要となる。汚染の程度は畑の位置によって異なるので、畑から直接採取し、通常の出荷と同じ行程を通して(そうしないと正しいデータが得られないから)、サンプルを得る方法も考えられる。もし卸売り市場で採取するなら、畑によってバラツキが多いと分かっていれば、かなりの数を採取する必要が生じる。毎日は出荷しない農家があるなら、1日ではなくではなく複数の日で、サンプルを集めなければならない。測定対象のいろいろな要素を考慮して、適切な採取方法を求めるわけだ。
その他の項目でも、測定データを評価するために重要と思われる項目は、詳しく公表する必要がある。簡単にまとめると、以下のような項目が考えられる。
野菜のダイオキシン汚染の公表に必要なデータ項目 ・サンプルの野菜:何をいつどのように採取したかが重要
・採取時期:採取した日付で、複数日の場合もあり
・採取した野菜の種類と個数:野菜ごとの個数
・採取場所:採取した場所を全部(可能なら選んだ理由も)
・採取方法:場所が離れた箱から1つずつとか、できるだけ詳しく
・採取した人:氏名でなく所属する組織名で
・汚染の測定方法:誰がどんな手法で測定したかが重要
・測定の依頼者:測定を依頼した組織名
・測定した人:測定した組織名(問題ないなら実施者の名前も)
・測定時期:測定した日付で、複数日の場合もあり
・測定方法:測定に利用した方式と使用した機器
・細かなデータ:可能な限り生データをそのまま出す
・野菜ごとの個々の測定値:野菜ごとの生データを個別に
・野菜ごとの汚染値:値の範囲と計算した平均値
・野菜ごとの汚染値のバラツキ:統計の値に変換したバラツキ度
(採取場所が複数ある場合は、採取場所ごとに分けて公表)
これを見て分かるとおり、データの正確さを求めようとしたとき、当たり前に思いつく項目ばかりである。満たすべき条件と書いたが、何も特別な内容を要求しているわけではない。他の分野でも、同様の考え方を適用すれば、必要な項目が洗い出せる。
このようなデータに加えて、基準となる値や他の地区の測定データを集めて比べれば、汚染の程度が明らかになる。また、同じ地区の複数のデータが集まったら、細かな情報を比較しながら、異なる理由を検討できるだろう。その結果を元に、再び測定すべきかどうかも判断すればよい。
既存の多くのジャーナリストは、測定データのきちんとした扱い方を知らない。今まではそれで済んでいたかも知れないが、これからの社会では複雑な問題が多く出てくるので、知らないでは済まされない。ここで解説した程度のことは、早急に理解すべきだ。
以上のような報道姿勢で臨むと、取材も変わってくる。きちんと議論できるレベルのデータを得ようと、質問したり要求したりするだろう。
どこかの組織が測定データを発表したとき、議論できる条件をデータが満たしていないなら、不足する部分を尋ねるのが当たり前になる。どんな項目が不足しているのか、どの部分があいまいなのか、具体的に指摘して相手に質問する。このように要求されるのが普通になると、データを発表するほうも、どのような形でデータを用意すればよいのか理解するように変わる。当然、発表するデータも良くなる。
要求しても、細かなデータを明らかにしない場合もあるだろう。その際には、データを報道するときの書き方で対応する。たとえば、「データの〜の部分も公表するように要求したが断られた。これではデータをきちんと評価できず、信憑性のあるデータとしては扱えない」などとだ。こうして書くようにすると、きちんと出さないとダメだと理解する組織が増える。
以上のように、きちんと議論できるレベルのデータをマスメディアが要求し続ければ、社会全体のレベルが向上して、正確なデータを出すのが当たり前になる。そのような方向へ動かすのも、ジャーナリストの重要な役割である。
残念ながら現状では、マスメディア自体が正確なデータ報道を理解していない。まず最初に、マスメディア側が問題意識を持って、自分たちの報道方法を改善すべきだ。そうしない限り、マスメディアが混乱を拡大するという情けない状況が、今後も続くだろう。
(1999年2月16日)
重大なデータを正確に伝えていない |