川村渇真の「知性の泉」

論理的な思考能力の欠如


記者クラブ中心の低レベルさ

 松本サリン事件は、日本のジャーナリズムの大きな欠点を浮き彫りにした。容疑者として警察から追求を受けた河野氏を、あたかも犯人のように報道し続けた。自分で調査したのではなく、警察発表をそのまま伝えたにすぎないが、大きなミスを犯したことだけは確かだ。
 日本のジャーナリズムは、以前から低い評価だった。記者クラブとして警察に張り付き、そこから得た情報を伝えることが中心のため、本当のジャーナリズムではないと。記者クラブのルールに従わない者は、仲間外れにされて情報を与えられない。しかたなく記者クラブに入り、本当のジャーナリストとしての仕事を忘れていく。ある程度まで慣れると、本当の仕事のやり方ができなくなり、もはやジャーナリストとは呼べないレベルまで落ちる。最初から記者クラブで育つと、本当の仕事方法を知らないまま、経験年数だけが増えていく。こんなやり方なので、ジャーナリズムとしての評価は低い。
 もちろん、まともなジャーナリストがいないわけではない。しかし、その数は非常に少ないので、全体から見ればいないに近い。マトモな人が少ないと、新しい人も育たないので、悪循環が保たれる。

専門家に尋ねたら分かること

 日本のジャーナリズムの悪い部分が顕著に現れたのが、松本サリン事件であった。この事件は、きちんと調べることで失敗を防止できる部類に属する。サリンという毒ガスは、専門的な知識に加え、本格的な装置がなければ作れない。そんな情報は、専門家に尋ねればすぐにわかりそうなものだ。きちんと調べて結論を出せば、河野氏が自宅で作れるような代物でないと分かり、別な犯人の可能性を追求できただろう。
 警察もジャーナリストも、同じミスを犯した。この両者に大きく欠けているのは、論理的な思考能力だ。犯人になりうるためには、どんな条件を満たさなければならないとか、もっと論理的に分析すれば、単純な過ちは犯さない。
 調査や分析の過程で、専門知識が不足することもあるだろう。しかし、外部を見渡せば、何人もの専門家が見つかる。その人々に尋ねたら、専門知識は簡単に入手できる。複数の人に尋ねることで、情報の確度も向上させられる。技術的な内容なら、論理的に整理されている可能性が高いし、マトモな相手を選ぶことで、整理した情報は簡単に得られる。

論理的な思考や分析に慣れてない人ばかり?

 専門知識が集まったら、残りは、その専門知識を利用する側の論理的な思考能力だけだ。それがマトモなら、適切な判断を下せる。条件を満たすかどうか、教わった内容に照らし合わせながら、犯罪の情報を集めればよい。そのうえで、本当に犯人かを判断する。この過程は、非常に論理的なものである。
 ところが実際には、大きな間違いを犯した。それも、ジャーナリズム全体でだ。この部分こそ、非常に驚くべきことであり、あまりにも情けない点だ。論理的な思考能力を持った人材が少しはいなかったのだろうか。そんなことはないだろう。少しはいたはずだ(だとしても非常に情けないレベルだが)。それなら、なぜ、論理的な人が賢明に説明して、ジャーナリズム全体を説得できなかったのだろうか。ここが大きな疑問であり、やっかいな問題でもある。
 新聞などの記事の書き方を見る限り、新聞特有の記述方法を差し引いても、論理的な説明に慣れてない様子が見て取れる。ジャーナリズム全体では、論理的な考え方に慣れていないのだろう。そのことが、マトモに考えると導き出せる結論を、打ち消してしまったと推測している。非常に残念だが、もっと論理的に考えたり分析したりできないと、いろいろな問題について適切な情報提供はできない。一部の人だけがマトモでも、それが一般まで伝わる可能性が低い。もっとも簡単な部類に入る松本サリン事件でさえ間違うぐらいだから、他の複雑な問題では、さらに悪い状況に陥る。なんということだ。

(1996年8月13日)


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