川村渇真の「知性の泉」

適性のある分野で能力を伸ばす


誰でも何かしらの才能があるもの

 人の才能というものは、外見から想像できないことが多い。「あの人にこんな才能が」と驚かされる機会は意外とある。どんな才能があるかは、実際に試してみないと分からないことがほとんどだ。しかし、手当たり次第に可能性を試す人はめったにおらず、隠れた才能が埋もれたままのケースがほとんどだろう。
 もし多くの人がいろいろな分野で適性を試してみたら、どうなるだろうか。かなりの人に、隠れた才能が見つかるはずだ。人と比べて最高という分野が見つからなくても、自分の中で一番適した分野は分かる。
 残念ながら現代社会は、いろいろな才能を発掘する仕組みを持っていない。旧態依然とした教育方法が幅を利かせて、子供の頃の多くの時間を奪っている。そのことに疑問を持つ人は少ないので、改善する見込みはほとんどない。自分で何とかするしかない状況なのだ。

適性のある分野へ進むと幸福になりやすい

 どんな道に進むかを決めるとき、自分の好みを優先することが多い。夢を追いかける気持ちは、良い結果を生むための大きな動機になる。しかし、もし自分の能力に適性がなかったら、かなり頑張ったとしても、望んだような結果を得られにくい。
 では、逆の場合はどうだろうか。適性が非常に高いと診断され、いやいやながらその道に進んだとしよう。当然、最初のうちは、それほどヤル気が出ない。しかし、適性があるのだから、普通の人よりも少ない努力で良い結果が得られる。周りから評価されると、だんだんと気分が良くなる。そのうちに面白く感じるだろう。そうなったらしめたものだ。本気で努力して、さらに良い結果を生み、好循環が期待できる。
 もちろん、最高の結果を出すのは、ごく一部の人だけだろう。それに入れなかったとしても、適性のある分野に進むことで、適性のない分野に進んだより良い結果を生む。精神的にも経済的にも、より良い生活を実現しやすい。

幅広い能力を生かせる社会が必要

 ここで言う才能は、非常に幅広く捉えることが重要だ。人の話を上手に聞くとか、優しく接するとか、我慢強いとか、本当にいろいろなものまで含める。残念ながら現在は、幅広い才能を生かせる社会ではない。
 しかし、よく考えてみれば、幅広い能力を生かせる社会は可能だ。たとえば、人の話を上手に聞ける能力は、ストレスのたまった現代人の話し相手になる方法で、仕事として成立させられる。また、優しく接する能力は、ホスピスを中心とした病院で生かせる。
 このような新しい仕事は、新しいサービスの提供を生む。話を聞いてもらってストレスが発散すれば、サービスを受ける人の側にもメリットがある。サービスを提供する側では、仕事として報酬を受け取ることで、生活の安定を確保できる。両方が幸福になる方法だ。
 より多様な能力を生かせるサービスは、複雑な現代社会に必要なものから始まる。どの分野でもアイデアが大切で、納得できるメリットを提供すれば成功できる。幸運なことに、これからはネットワークが大きく発達する。少ないコストで広く宣伝でき、新しいサービスが成功する可能性は高くなる。とくに新しいサービスの場合は、ネットワークの上手な利用方法が、成功に不可欠だ。
 より理想的には、子供の段階で、いろいろな可能性を試せる機会を作りたい。学校だけでなく、社会のいたるところで経験の機会を増やす。自分の適性を見付ける仕組みを、社会全体で提供するのが目標だ。

学校の勉強が苦手なら、別の分野を試してみよう

 とはいうものの、現実を無視することはできない。現状の中で、できることを考える必要がある。
 子供の時期に多くの時間を費やすのが、学校での勉強だ。かなり多くの科目を含んでいるように見えるが、実はそれほど広くはない。もともと狭い意味の勉強を対象としているのに加えて、とくに日本では、記憶中心の教育内容に比重が置かれている。本当の能力開発からは遠のいているばかりで、そんなことに何年も費やしている。社会に出てから役に立つ割合も、極端に低いと多くの人が感じている。この程度の内容であり、それほど重要視する必要はない。
 以上のことが理解できれば、もし学校の勉強ができなくても悲観しなくなる。学校の勉強に適していない、ただそれだけのことなのだ。だから、無理して勉強を続けさせるより、もっと違うことを試したほうがよい。スポーツや芸術や料理など、いろいろな分野が考えられる。その中から1つぐらい、適したものが何か見つかるだろう。これだというものが見つからなくても、試した中で一番合うものは分かる。それも貴重な情報で、最初に試した分野が良いこともあり得る。
 学校の勉強が得意かどうかは、小学校の高学年あたりで見極められる。もし苦手だと分かったら、別なことを試すのが得策だ。1年に1つずつ試したとしても、中学時代だけで3つの分野を調べられる。適してない学校の勉強で手を抜けば、かなり時間を費やすことが可能だ。ときどきズル休みして、時間を作りたい。
 ここで大切なのは、親の理解である。学校の勉強を親が重要視している限り、子供が適性を試すことはできない。「学校の勉強なんか狭い範囲のことでしかなく、できなくても大丈夫」と理解し、子供に表明することが大切だ。子供の自主性も重視する意味から、複数の候補の中から分野を選ばせる。また、親が協力すれば、学校を休むのも簡単だ。
 学校の勉強でも他の分野でも、適性がないと分かったら、ある程度で見切りをつけることが大切だ。現在の社会の状況を考え、能力を試す分野は、仕事として成り立つものに絞るべきだろう。自分の適性を知り、より良い人生を実現したい。

(1996年8月17日)


下の飾り