川村渇真の「知性の泉」

もっとも安全なのは自分の能力を高めること


「こんなはずではなかった」が起こりはじめている

 現在のように複雑になった社会では、自分の思い通りにならないことも多い。「こんなはずではなかった」とか「こんなことが起こるなんて」という現象が増えている。たいていの人は、時代の大きなうねりに巻き込まれるだけで、本人にはどうすることもできない。このような変化が確実に起こっている。
 具体的な例はいろいろとあるが、もっとも代表的なものといえば、高度成長期に働いた人々の状況の変化だろう。年功序列制度ため、若いうちは低賃金で働いた。それも、家庭を犠牲にするほど激しくである。いくら実績をあげても、年功序列のために賃金はあがらない。その分は将来もらえるからと言い聞かされ、それを信じて懸命に働いた。高度成長の達成も、それらの人々が頑張ったからにほかならない。
 ところが、いよいよ高い賃金をもらえる段階になると、社会は変化していた。以前よりも実力社会に近づき、終身雇用すら崩れつつある。企業間の競争も激しくなり、賃金の高い高齢者から先に出ていってもらおうとしている。いわゆる肩たたきだ。対象となっているのは、これまで低賃金でも文句を言わずに働いてきた人々なのだ。
 当然、文句が出る。「それはないだろう。話が違うじゃないか」と。怒りたくなるのももっともだ。美味しいとこだけツマミ食するやり方には、我慢ならないだろう。しかし、表だって怒る人は非常に少ない。ハッキリと文句を言えば、優先的に首を切られるのがオチだからだ。

予想外のことが起こりやすい時代に突入

 「こんなはずではなかった」ことは、今後も起こるのだろうか。結論を言うなら、もっと大きく、もっと数多く起こるだろう。その背景は、時代の変化の大きさが増すことと、世の中がだんだんと複雑になることだ。どんな形で起こるかを予測するのは難しいが、頻度と大きさは確実に増える。現在よりも、さらに厳しい状況に向かっている。
 予想外のことに巻き込まれた場合、多くの人は当惑するだけだ。文句を言っても状況は改善しないし、文句を言うことで悪化させることもある。たいていは助けるのが難しので、誰かが助けようと思ってもできない。巻き込まれてから対処方法を考えていたのでは遅いことに、まず気が付くべきだ。
 「こんなはずではなかった」については、大事なことを学習する必要がある。それは、現在の約束が守られるとは限らないことだ。前述の例では、「年をとったら若いときの分ももらえる」という約束が、それに該当する。同じような約束は、現在でもいろいろとあるだろう。また、約束ではないが、本人が勝手に信じていることも同様だ。たとえば「役所や大きな企業に就職すれば、倒産することはないだろう」といった内容だ。役所の方針が変わって、能力のない人が追い出される可能性もあるし、大きな企業が倒産することや、不要な人を解雇することも今後は多くなる。

自分の能力向上で防御するしかないのが現実

 だとすれば、どのように対処したらよいのだろうか。予想することに力を注ぐよりも、もっとやるべきことがある。それは、自分の能力を高めることだ。所属する企業が倒産しても、職に困らないような能力を身につける必要がある。
 能力にある程度まで自信が持てると、仕事の仕方にも変化が現れる。たとえ企業の中で働いていたとしても、やめても何とかなるという自信から、より多くの冒険ができる。より大きな成果を上げられる可能性も増す。それに加えて、本人も楽しみながら仕事が出来るように変わる。
 能力向上の対象は、仕事だけとは限らない。今後は、趣味を活かして生活できる可能性も高くなるので、趣味に関する能力を向上させるメリットは大きい。その場合も、予想外のことが起こっても対処できるように考慮する。

どんな能力を向上させたらよいかが最重要

 仕事でも趣味でも、具体的にどんな能力を向上させるかが、もっとも重要な問題だ。それを間違えると、せっかくの努力も無駄になりかねない。一般論として言えることは、仕事に関しては、どんな内容の仕事にも役立つような汎用的な能力であろう。それを伸ばせば、仕事を変えたときの影響を最小限に抑えられる。
 伸ばすべき能力の選択では、将来の社会変化も考慮すべきである。たとえば、スポーツのプロ化が進むと予測できたら、スポーツで食べていける可能性が増し、それにかけてみることも選択肢の1つになる。もちろん、失敗したときのリスクも考えて、別な能力も一緒に伸ばすことも必要だ。
 趣味を生かす場合でも、もし一人では難しいなら、別な能力を持つ人と組むことも考えられる。このように、伸ばすべき能力の選択では、いろいろな点を考慮する。このコーナーでは、どのような能力が将来に必要となるかに加え、どのような視点で選択すべきかも解説していきたい。

人間的な進歩の視点も必要

 世の中の変化は、人間的な面でも現れる。環境問題や人権問題などへの適切な認識は、一人前の人間が持つべき基本的な要素となる。現状で認識しているのは、まだ一部の人だけだが、将来の社会では当たり前に変わる。人権問題を例に取れば、平等の方向へ確実に向かっていて、それを止めることはできない。
 先進国の中では人権問題の面で遅れている日本でさえ、将来の社会では、女性や韓国朝鮮人に対して差別的な発言をすることは、非常に恥ずかしいことに変わる。それとともに、今より大きな問題として扱われるようになる。ある程度以上の地位にある人が差別発言をすると、その地位を降りることは当然となり、社会全体から劣る人間とみなされる。当然、取引先として排除されたり、仕事から下ろされることにつながる。
 このような社会の変化を考慮するなら、差別的な感情が起こらないように対処すべきである。本を読んでも納得できないときは、差別感情の対象となる人々といろいろな活動をすることで、同じ人間であることが体験として理解できるかもしれない。この種の認識は、より未来の社会で生きる子供にこそ重要である。だから、親の差別的な価値観を植え付けると、子供が不幸になる。
 この種の認識が揃ってこそ、バランスの取れた将来の人間になれる。能力ではないが、将来の人生に大きな影響を与える要素だけに、きちんとした対処が必要だ。この点も含めて、強化すべき能力の選択を検討しなければならない。

多くの人の能力向上で、社会も大きく進歩する

 将来に重要となる能力は、社会を進歩させる原動力となる。ここで紹介する予定の能力は、質の高い成果を得るための能力である。それ身につけた人が増えることで、議論などの質も向上する。より内容の濃い本質的な議論ができると、社会の仕組みや政策にも影響を及ぼす。結果として、今よりも良い社会が生まれる可能性を高くできる。
 ただし、あくまで可能性であって、そうなるとは保障できない。重要な能力を身につけた人が増える前に、悪い政策の影響が大きくなると、負けてしまうことも考えられるからだ。ともあれ、社会が良い方向へ進むための基礎となる点だけは間違いない。

(1995年6月29日)


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