川村渇真の「知性の泉」

未来へ進むほど宗教の扱いが重要に


宗教は現代社会でも存在感を示している

 現代の社会は科学技術が発達し、いろいろな面で便利になった。また、法律などを含む社会の仕組みも少しずつ改良され、困った状態に陥ったとき、手助けとなる道が昔よりは充実した。
 こうした変化によって、人々の意識も少しずつ変わってきている。人権の尊重、差別意識の低下、地球環境の保護、発展途上国への支援など、かなり良い方向へと進んでいる。もちろん、全員の意識が変わったわけではないが、全体の平均を見ると確実に改善している。とくに社会が発達した先進国ほど、その傾向が強い。
 こうした社会になっても、依然として大きな存在感を示しているのが、宗教だ。世界中を見渡すと、相当に多くの人が、何らかの宗教を信じている。先進国でさえ、宗教を信じている人がかなり多い。また、一部の国では、その国家の重大な要素として位置付けられている。
 宗教は昔から、人々が充実した人生を過ごせるために存在した。宗教を信じることによって、その人の意識や活動が良い方向に進み、より幸福な気持ちで人生を過ごせる。悪い行為を防止できるので、個人だけでなく、社会の安全にも貢献する。この点こそ、宗教の存在意義であり、人々に広まった理由だ。

自分が信じる宗教だけを重視する考え方

 しかし宗教は、以前から悪い面も持っている。人々の争いの中でも、宗教に関わる争いほど、徹底的に戦う傾向が強い。宗教が絡むだけに、劣勢になっても終えようとせず、どうしても長引いてしまう。また、全般的には決着が付いたり、地域などを分離したとしても、一部の過激な人がゲリラ的に戦いを続け、スッキリと終わることがない。
 宗教は、人間を幸福にするという役割を持っていて、志が高い種類のものである。しかし、宗教に絡んだ悪い行為は、殺人でも平気で行う。しかも、宗教的な視点を用いて、自分に都合の良い解釈をし、正しい行為と信じてやってしまう。宗教が持つ本来の目的から考えて、とうてい許されるとは思えない行為なのに。
 こうなる背景には、殺す相手を“自分と同じ人間”とは考えない意識がある。自分が信じる宗教だけが良くて、それ宗教に属さない人には価値がないとても思ってのだろうか。非常に恐ろしい考え方だ。
 ただし、先進国になるほど、別な宗教を他人が信じていても、それを認める傾向が強くなる。そのため、異なる宗教を信じる人が一緒に共存しやすい社会を作れる。それでも、特定の宗教に属する人が大きな事件を起こすと、その宗教を信じる人が悪く言われたり、意地悪されたりする。こうした点は、そう簡単には解決できそうもないようだ。

未来社会と衝突する宗教

 以上の他にも、既存の宗教には重大な問題点がある。“論理的で科学的な思考と相容れない”点だ。社会が進歩するほど、論理的で科学的な思考にもとづく仕組みが、社会の様々な部分に入り込んでくる。そのため、この問題は、社会が進歩しするほど大きくなる。当然ながら、先進国ほど社会が進歩しているので、問題の影響が先に現れる。
 現状でも、この影響が少しは生じている。たとえば、民主主義の選挙なのに、自分の意志で投票せず、宗教団体が支持する政治家へ“何の疑いも持たずに”投票する行為だ。該当する人は怒るかも知れないが、結果だけ見れば、洗脳されているのに等しい。
 その他の影響も、社会が進歩するにつれて、だんだんと大きくなる。未来社会になるほど、社会を構成する様々な要素が、宗教の問題点と衝突する。社会の進歩と大きく関係するので、問題点による影響が、社会の仕組みなどの改善を邪魔する形で出てしまう。つまり、宗教の存在が、社会の進歩を遅らせるわけだ。
 宗教を信じるのは、各個人の自由に属する。そのため、宗教の問題点が明確に分かったとしても、そう簡単には改善できず、時間がかかる。また、宗教には良い面もあり、単純に禁止するわけにもいかない。このように、非常に難しい問題なのだ。それだけに、少しでも早く適切な分析を終え、見識ある人々が頭脳を結集して、何らかの手を打つ必要があるだろう。

 いろいろと考察してみたが、自分では解決方法を求めるまでには至らなかった。それでも、今まで検討した内容は、社会にとって価値があると思う。検討結果を整理した形で公開するので、世の中の見識ある人に検討してもらいたい。

(2002年1月11日)


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