川村渇真の「知性の泉」

科学技術が関わる事故や事件の真の原因は人間


科学技術は単なる道具でしかない

 科学技術を使った事件が発生すると、科学技術を悪く言ったり、科学者全体を悪く言う意見が出る。こうした意見は、適切であろうか。それを明らかにするためには、科学技術が持つ共通の特性を理解しなければならない。
 どんな科学技術であれ、良い目的にも悪い目的にも使える。爆薬なら、トンネルなどの工事に使うと非常に有効だが、戦争などで殺人目的にも使える。通信手段である電話やインターネットも、低コストで情報伝えて人々を助けられるが、犯罪に利用したり悪い噂を流したりもできる。
 これらの例から分かるように、どれも人間が関係している。科学技術は、自分自身で良いことをしたり、勝手に悪いことを始めるわけではない。それを使う人間が、どういう形で利用するか決めている。つまり、科学技術を悪用した場合、悪いのは利用した人間であって、科学技術自体ではない。警察官や教師にも悪い人がいるように、科学者にも悪い人はいて、事件などを起こしてしまうのだ。
 こうした点を知ると、「科学技術の功罪」といった表現が不適切だと理解できる。正しくは「科学技術を利用する人の功罪」なのである。不適切な表現を用いることは、間違った理解を広めることにつながり、適切な意思決定を邪魔する。世の中にとって、非常に困った行為といえる。
 その意味で、マスメディアの関係者こそ、言葉を慎重に選んで使わなければならない。誤った表現をマスメディアが使い続けると、たとえそれが間違っている内容だとしても、正しい常識として定着してしまうからだ。また、後から訂正するには、広めるときとは比べものにならないほど大変な労力と時間が必要となる。

人間の不適切な意思決定や行動が大きな原因

 科学技術が犯罪に利用される場合は、犯罪者である人間が悪いと簡単に理解できる。犯人が複数だったとしても、犯罪を引き起こした直接の原因が、犯罪者だと明らかになるからだ(間接的な原因が別に存在する場合もあり得る)。
 しかし、世の中を見渡したとき、そう簡単ではない状況も意外に多く存在する。その代表的なパターンは、企業が問題を解決するための意思決定で発生する。たとえば、製品に技術上の欠陥が発生したとき、利用者に迷惑がかかったとしても、欠陥を公表しないで済ませようと行動する。この場合、技術的な検討結果は明らかに欠陥を示していても、別な意図により意思決定をねじ曲げてしまう。
 別な例としては、薬害エイズ事件が挙げられる。HIVに汚染されている可能性の高い血液製剤を回収しなかった。こうした意思決定は、患者の健康や命を守ることよりも、血液製剤を販売している業者の利益を守ることを優先して決められた。もし患者を最優先してたなら、米国の関係機関から詳しい情報を集め、科学的な評価結果で適切な判断をしていただろう。また、最初の決定が間違ったとしても、後で定期的に見直すことで被害を最小限に減らせたはずだ。
 これ以外にも、東海村の臨界事故のように、技術を適切に管理しないために発生した事故が起こっている。どの事件も、技術的な欠陥と言うより、責任ある人間の間違った行動が主な原因だ。事件として表面化したのは一部であり、同じような不適切な意思決定は世の中に数多くあるだろう。こうした行動や意思決定の原因として、以下のような点が挙げられる。

科学的な検討結果を重視しないで意思決定する理由
・自分や所属組織などの利益を優先する
・自分や所属組織のメンツ(体面)を優先する
・提案した人物が嫌いだから、邪魔する目的で
・他人事と考えて、得られた情報を無視する
・良識的に行動しようなどと最初から考えていない

 たいていの科学技術は、どんな風に扱っても大丈夫というものではない。問題を発生させないためには、決められた条件を満たすように管理しなければならない。その役目は、責任ある立場の人間が背負っている。
 また、科学技術の完成度がまだ低い分野もある。とくに発展途上の技術なら、簡単には解決できない欠点が残っているだろう。その場合でも、欠点を早急に直すかどうかや、欠点による影響が最小になるように工夫するといったことは、人間が判断している。また、発展途上の技術を採用するかどうかも、人間が決めている。つまり、科学技術に欠点がある場合でも、人間による意思決定が進むべき方向や行動を決めているわけだ。
 そして、見逃せない重大な特徴が1つある。不適切な意思決定をする人の多くは、第一線で仕事をしている科学者や技術者ではない点だ。該当するのは、科学技術に詳しくなかったり、興味すらない責任者である。そうした人が、上記のような理由により、優秀な科学者や技術者が調べた結果を無視して、不適切な内容を決めてしまう。困ったものだ。

社会や組織の仕組みとして対策を実施すべき

 では、どうしたらよいのだろうか。すべての人間の倫理性を高めることは絶対に不可能なので、社会や組織の仕組みとして対処するしかない。もっとも有効だと思われるのは、悪い意思決定や行動を発見できるようにすることである。
 そのための現実的な方法は、情報の公開だ。ただし、単に決定結果を公開するだけでは、どんな点が悪かったのか発見しにくい。途中の経過も含めて、レビュー可能な形式にまとめ、誰もが読める形で公開する。こうした公開方法は、決定する立場の人にプレッシャーを与え、より適切な決断を迫る。
 別な方法として、意思決定の権限や手順を改良する手もある。一人の人間が自由に決めるのではなく、何人かで協議して決定するとか、外部の審査を受けて決定するといった方法で、勝手な決定や判断ミスを通りにくくする。とくに外部の審査は、手続きが大変になる欠点を伴うので、現実的には、人間の命に関わるような重大な意思決定に限定することになるだろう。
 科学技術の中には、非常に危険なものもある。こうした技術や材料へのアクセスを制限する方法なども併用すべきだ。管理方法を法律で規定したり、安全性を確保するための対策を法律で義務化したり、技術を持つ人だけが取り扱えるように資格制度を整えたり、複数の方法が考えられる。
 もちろん、個人でできることもある。技術的な結果を無視した悪い意思決定に賛成しないこと、科学技術を正しく利用して適切な検討結果を導き出すことなどだ。また、意思決定の上手な手順を学び、間違った決定を選ばせない状況を作ることも少しは効果がある。もう1つ、本当に良いモノやサービスを提供しようとすれば、悪い決定などめったにしないものである。そんな意識で仕事を進めることも、意外に効果的だ。

 これからの社会では、以上のような内容を総合的に理解しなければならない。最大の問題は、個々の技術自体ではなく、適切な意思決定を邪魔する要因である。そのほとんどは人間が関係し、事故や事件の原因にもなっている。技術を正しく利用することと、それに基づいて最良の意思決定を確保することが、より良い社会には必須である。
 現状のように、人間の意思決定が悪いのにも関わらず、技術が悪いなどと言い続ければ、有効な改善など永久に実施されない。事件が発生したときは、本当の原因を突き止め、それに対する適切な防止策を施すことが極めて大切である。似たような事故や事件を繰り返し起こさないためにも。

(2001年1月10日)


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