川村渇真の「知性の泉」

極右も極左も不自由な社会を作る


右翼社会も左翼社会も自由を大きく制限する

 人々の政治的な立場を判断する基準として、右か左かという軸が使われる。しかし、この軸は適当だろうか。それを考えるために、左右両側に強く傾いた右翼社会と左翼社会を簡単に比べてみよう。
 まずは、右翼社会だ。代表的な例は、太平洋戦争前から戦中までの日本である。差別的な価値観を国民へ押しつけ、それを批判するおおっぴらな発言は許されない。高等警察に等しい憲兵によって、厳しい取り締まりが行われ、きちんとした捜査や審議のないままで処分が決まる。自由にものが言えない、非常に不自由な社会だ。政府が価値観を強制するため、ビジネスの面でも規制が多い。
 もう片方の左翼社会の代表的な例は、冷戦時代のソビエト連邦や中国。これらの国々に共通するのは、政府が社会全体を強く管理し、国民に多くの規制を加える点だ。言論の自由がないのはもちろん、ビジネスの内容まで幅広く制限を受ける。とくに政治的な批判には、大きな圧力が加わり、命すら危ない。
 以上のように、右翼と左翼の社会は、非常に似た姿になる。言論などの自由を大きく制限する特徴を持ち、強権的な高等警察による取り締まりもある。政府の秘密主義、人権の軽視など、他にも共通する点は多い。まったく正反対と思われている思想だが、結果としては似たような社会を作ってしまう。

不自由な社会の原因は安定組織病

 では、なぜ不自由な社会が出来上がるのだろうか。この原因には、“多くの人間により構成される組織の特性”が大きく関係している。一般的には「大企業病」と呼ばれている特性だ。
 組織が小さいうちは、ビジネスなどの目的が成功するように、構成員の全員がかなり努力する。大部分の行動が、外部に目を向けている状態だ。しかし、組織の規模が大きくなると、簡単に壊れることがないため、構成員の考え方に変化が現れる。外部よりも内部に目を向け、それに応じた行動に変わる。組織内での自分の立場を有利にするとか、派閥を作って別な部門の邪魔をするとかだ。結果として、本来の目的がおろそかになり、顧客を軽視して十分なサービスを行わないといった現象につながる。
 大企業病の特徴は、役所にも当てはまる。ほとんどの役所では、のほほんと活動し、住民に十分なサービスを提供しない。俗に言う「お役所仕事」だ。もっとも共通しているのは、サービスの提供相手を軽視する点である。相手を客だと思ってないから、サービスの質を向上させようとはまったく考えない。
 これらの現象は、大きな企業で発生すると思われている。しかし実は、組織の大きさではなく、組織の安定度に関係している。たとえ小さな組織であっても、それが絶対に壊れないなら、発生する可能性は高い。その意味で、大企業病ではなく「安定組織病」と表現するほうが適切である。大企業でも役所でも、仕事の質を厳しく問われる組織なら、安定組織病は発生しない。構成員がのほほんとしていられる組織だからこそ起こるのだ。
 さて、話を戻そう。右翼社会でも左翼社会でも、政府が社会全体を強くコントロールする。言論の自由を制限しているため、ジャーナリズムの圧力が機能せず、政府の思うがままだ。政府は失敗しても追求されないので、良い方向へと改善など起こらない。すると、大きな政策での失敗もますます増える。末端では賄賂や不正が横行し、健全な組織運営など不可能に近い。これこそ重度の安定組織病だ。
 マルクス・レーニン主義に夢を抱いている人もいるだろうが、この思想では“組織の特性”を理解していない。そのため、成功するのは不可能である。複数の国家による実験で既に明らかになったが、失敗するべくして失敗したのだ。

幅広いチェック機能で安定組織病を防止する

 両方とも不自由な社会を形成する思想なので、評価の軸として用いるほどの価値はない。では、いったい何を軸としたらよいのであろうか。
 これからは、新しい社会か古い社会かが軸となる。新しい社会では、安定した組織の特性を理解し、政府が健全な運営を保てるような仕組みを構築する。政府を2つ持って競争させるのは非現実的なので、意思決定方法や情報の公開が重要となる。加えて、市民による監視や、健全なジャーナリズムで補う。これらが総合して、政府の行動を常にチェックし、健全な活動へと向かわせる。幅広いチェック機能こそが、安定組織病を防ぐための現実的な方法だ。それが達成できれば、市民の生活を良くなるような政策が実施されるだろう。その中には、人権の重視や環境保護なども含まれ、実現を支援するための法律も用意する。このような環境で企業は自由に競争し、市民に質の高い製品やサービスを提供する。
 以上の考え方に照らし合わせると、現在の日本は、先進国の中で最悪である。密室での政策決定、各種情報の非公開、ジャーナリズムのていたらくなど、いくつもの悪い点が見付かる。結果として、レベルの低い政治家や官僚、証拠を隠滅する役人などが現れる。倫理問題だと思っている人がいるようだが、それでは何も解決しない。
 これからは、新聞でも雑誌でも、右か左かといった対立軸はやめるべきだ。政治家のほうも、右か左かを重視した看板を下げ、新しい価値観による軸を用いたほうがよい。時代遅れの価値観となった「右か左か」ばかりに目を向けていると、これからの時代には、適切な判断を下すことができない。

(1998年1月27日)


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