川村渇真の「知性の泉」

年功序列が年齢序列に変わった現代社会


昔は経験イコール実力だった

 現代の社会では、コンピュータやネットワークの発達によって、いろいろな情報が容易に入手できる。ところが数十年前の社会では、ほしい情報を手に入れるのが格段に難しかった。もっとも利用されているのは印刷媒体だが、今ほど幅広い分野をカバーしてはいない。現代の印刷物も、実は、コンピュータやネットワークに裏で助けられている。それらを利用して得られた内容が、紙に印刷されて配布されているのだ。そんな基盤のない昔の社会では、情報の種類も少なく、発生から取得までの時間もかなり長かった。
 情報が簡単に入手できないと、技術などの進歩も遅い。そのため、仕事に求められる能力も、時間の経過であまり変化しない。また、簡単に入手できないので、頭の中に記憶する必要がある。そんな社会では、より多くのことを知っている(つまり、覚えている知識の量が多い)ことが重要視される。
 もう1つ、仕事の内容も現代とは異なる。コンピュータなどを駆使してシステム化する前の時代は、より原始的な作業が多い。設計や事務を手で計算するので、個人の手作業に近いものが中心だ。そうなると、経験の期間が長いほど熟練して、仕事の効率や質が向上する。
 このような状況だったので、長く経験しているほど良い仕事をするという法則が成り立っていた。長く経験すると、どうしても年齢が高くなる。結果として、年齢が高いほど良い仕事をできたわけで、これが「年功序列」の基礎となった。

過去の経験が生かしにくい社会に変わった

 ところが現代は、その法則が成り立たない。知識の入手が容易になり、記憶している価値が極端に低下した。また、昔に比べて知識の全体量が格段に増えたので、特定の分野でも全部を記憶することが難しくなっている。そのため現実的な対応は、大まかな知識だけを覚え、細かな知識は必要なときに調べる方法だ。
 大まかな知識を覚える際にも、大事な点がある。単に知識を記憶するだけでなく、その分野の重要なポイントを知り、それを考慮して最低限の内容を身に付けることだ。ソフトウェア開発を例にするなら、プログラミング言語やツールの使い方を知るだけではダメである。信頼性や柔軟性の高い設計方法、きちんと仕様をまとめること、品質を確保するためのテスト方法など、質の高い成果物を得るために必要な要素を全体として理解する。これらの技術に関しても、個々を細かく知るのではなく、上手に活用するポイントを中心に会得する。そうすれば、必要なときに調べる方法でも、使いこなすことが可能だ。
 経験の価値が低下したのは、世の中の変化による影響も大きい。身に付けなければならない技能や知識は、どんどん変わっている。それに付いていくためには、新しいことを求め続けるしかない。ほとんどが新しいことならば、若人も高齢者もスタートラインは同じだ。そんな環境では、長い経験がメリットにならない。過去の経験が生かしづらいのが、現代の社会である。

高年齢が欠点になる状況も発生

 経験の多いことが利点とならないどころか、高齢者にとってマイナスとなる状況も発生している。最近の典型的な例が、パソコンの利用。職場での新しい道具として、使いこなすのが必須となっている。ところが、高齢者ほど使いこなすのが難しい。大きな原因は記憶力や適応力の低下で、仕方のない部分でもある。だからといって、使わなくてもよいとはならない。そのため、最低限の機能は何とか使えるように必死で努力している。
 このような状況は、昔なら発生しなかった。世の中の変化が、現在と比べて格段に小さかったからだ。いったん覚えた内容は長い間活用できたし、新しく覚えるべき量はかなり少なかった。現代は逆で、新しいことがどんどんと現れる。今後の社会では、変化の大きさがますます拡大する。新しい技術が次々に登場し、それを使いこなさなければならない。その勢いは、時間が経過するごとに大きくなるだろう。ということは、高齢者にとって、より厳しい時代になると予測できる。
 今でも「年功序列」を採用しているとしたら、実際には「年功序列」になっていない。現実には、能力に関係なく年齢が高いだけで優遇される「年齢序列」に変わっている。ただし、例外もある。職人のような熟練を要する仕事だけは、例外として「年功序列」が保たれているはずだ。

経験が重要な能力もある

 ここまで、経験したことの価値が低い話ばかり述べた。しかし、すべての経験に価値がないというわけではない。リーダーとして人を使うとか、企画をきちんとまとめるとか、時代の変化にあまり影響を受けない能力は、将来にも大いに役立つ。この種の能力は、経験なしで上手にこなすことが難しい。その意味から、経験したことに価値のある能力といえる。
 それどころが、これらの能力は今後も非常に重要だ。より正確には、今よりも重要性が増すと表現すべきだろう。求められるレベルが高いほど、必要性が増す能力ばかりだからだ。
 ただし、注意しなければならない点もある。このような能力は、ボーッと仕事をしていたのでは身に付きにくい。強く意識するとともに、かなり努力しないと、能力を向上できない。つまり、経験した年数ではなく経験の質で、会得できるかが左右される。年数よりも質が問われる時代に変わった。

時間経過で陳腐化しにくい能力を身に付けるべき

 以上のような分析から、次のようなことが言える。これから身に付けるべき能力は、時間が経過しても陳腐化しにくいものを選ぶべきだ。論理的に物事を考えるとか、自分の考えを分かりやすく説明するとか、人と上手に接するとか、いろいろな能力が挙げられる。
 もし自分が身に付けたい能力が見付かったら、それが近い将来に陳腐化しないか考慮したほうがよい。パソコンの使い方を例に、少し考えてみよう。OSやソフトの使い方などは、意外と短い期間で役に立たなくなる。今後はもっと使いやすいソフトが登場し、より簡単に使えるだろう。当然、今まで覚えた知識は不要だ。逆に、陳腐化しないものもある。アウトライン・プロセッサを使って自分の考えをまとめること、データベース構築での業務の分析、表計算ソフトでのデータ分析方法などだ。これらすべて、ソフトの使い方ではなく、利用する内容自体や物事の思考方法である。パソコン以外の分野でも、同じように考えれば、何が大切かを判断できる。
 これからは、せっかくの努力が無駄にならないよう、努力の内容や方向も十分に見極めたい。その際に重要なのは、将来の社会変化を十分に考慮することだ。

(1997年7月16日)


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