未来社会:世間の常識にアナタはだまされている! |
現在の日本では、日付を表現する方法として、和暦と西暦の2種類が用いられている。このどちらを採用すべきかについて、論議を呼ぶこともある。
この種の問題は、どちらが優れているのか、論理的に比較して判断すべきだ。日本だから和暦を使って当たり前という考え方は、問題の本質を見失うだけでしかない。きちんと比較して選択しないと、社会的に無駄なコストや不便を発生させる。和暦と西暦の問題では、日付を表現するシステムとして、どちらの方式が優れているかを比べる。
比較する項目としては、現在だけでなく将来のことも考慮すべきだ。インターネットに代表される世界的なネットワーク化によって、外国の情報も一緒に取り扱う機会が増える。そんな環境での使用も考えて、どちらが優れているかを判定しなければならない。
2つのものを比較して評価する場合、両者の長所と短所を列挙するが一般的な方法だ。しかし、和暦と西暦の問題では、両者間に歴然とした差があるため、和暦の欠点を列挙するだけで十分である。その代表的なものを挙げてみよう。
1、未来を正確に表現できない
一人の人間の生死によって元号が変わる仕組みのため、明日の日付でさえ、その日になってみなければ正しいかどうか分からない。つまり、未来を正確に表現できないのだ。また、西暦3000年という遠い将来の表現は、絶対に表現しようがない。平成1012年と言うこともできるが、間違っていることは確実だ。
最近の例では、運転免許証の有効期限の表示で間違いがあった。「昭和×年の誕生日まで有効」という存在しない年の免許証を、何千万人が持っていたのだ。こんな非常に恥ずかしいことが起こるのも、未来を正確に表現できない欠点があるからだ。
2、過去も一部しか表現できない
現在の和暦が対応しているのは、明治時代からだ。その前の年代では、旧暦か何かで、現在と違う数え方だったと記憶している(確かめていないが、本内容の主旨から考えて確認不要と判断)。数え方が違うため、明治や大正より不便だ。無理して旧暦を使ったとしても、すべての元号を覚えるのは、ほとんど不可能に近い。それに、元号を覚えることなど、ハッキリ言って無駄だ。
また、元号を使う前のもっと過去(たとえば紀元前1000年など)は、もはや表現できない。現実には、和暦派であっても、過去の年代には西暦を用いている。一部の年代だけでしか使えないなら、全部を西暦で統一するのがマトモな選択と言える。
3、元号をまたがった年数計算が面倒
これは誰もが知っているし、経験していることだろう。昭和40年から平成5年までが何年間か、すぐには計算できない。非常に不便なシステムだ。
4、1年の途中で元号が変わる
どの元号でも元年は1年の途中で始まっているため、平成元年や昭和元年は1年間を意味しない。さらには、各元年の1月1日というのも存在しない。これでは使いにくいので、1年間を表すことにして用いている。間違いでありながら..。
5、元号が変わると用紙などに無駄を生じさせる
元号が変わると、役所などの登録用紙を変更する必要がある。古い用紙が無駄になり、新しい用紙に変更する余分なコストがかかる。コンピュータのシステムでもプログラムの変更が求められ、無駄なコストが生じる。
6、元号が突然と変わる
元号の変更が突然と起こることも問題だ。登録用紙などの印刷は間に合わず、元号を手書きで直して使うしかない。この作業も無駄だ。コンピュータのシステムも変更が間に合わず、古い元号のまま(つまり間違った表示のまま)使い続けることになる。突然の変更は、日本中のいたる所に、情けない状況を生むわけだ。
7、日本でしか使われていない表現方法
ネットワークの進歩により世界が狭くなり、情報を世界レベルで共有や利用する時代になっている。そのため、日付を表す仕組みは、世界レベルで共通化する必要がある。
和暦は日本でしか使われておらず、世界標準ではない。世界標準として広めたくても、上記のような欠点だらけなので、誰も相手にしないだろう。それと、これだけ欠点を持った和暦を真面目な顔で勧めたら、“論理的な思考能力が極度に低い”と判断され、信用を失うだけだ。マトモな人間なら、勧めようなどと思わないはず。
あまり深く分析しなくても、和暦にはこれだけの欠点がある。よりハッキリ言うなら、欠点と言うよりは、日付を表現するシステムとしては“明らかな欠陥”だ。つまり、和暦は欠陥システムなのだ。和暦か西暦かの問題に対しては、「和暦は欠陥システムだから使わない」と言うだけで十分だろう。このようにきちんと比較し、「欠陥」と明確に表現することが重要だ。そうすることで、劣っている和暦を無理やり採用しようとする人々に、大事な点を強く伝えられる。
和暦と西暦の問題以外でも同じなのだが、両者をきちんと比較して、どちらが良いかを議論すべきである。そうしないと、良い社会には向かわない。日本人だから和暦を使うという論法は、本質を見失わせるトリックであって、まともな議論を阻害する。
現在の役所では、ほんの一部の例外を除いて、和暦を用いている。余分なコストを発生させ、税金を無駄使いしていることに等しい。また、どのような意思決定ルールを経て、和暦に決まったのか不透明な点も問題だ。税金で運営されている組織なのに。
以上のように、きちんと比較した結果を知ったら、論理的な思考能力のある人は和暦を使わないだろう。欠陥システムだと知りながら使い続けるのは、論理的な思考能力が極端に低いと判断されかねないからだ。そんな状況は我慢できるはずがない。そもそも、欠陥システムだと知ったら、使いたくなくなるだろうが。
今後は明確に言おう。「和暦は欠陥システムだから使わない」と。
(1995年11月18日)
和暦は欠陥システム |