川村渇真の「知性の泉」

夫婦別姓の次は、姓を含まない名前に


夫婦同姓の基礎は家系重視

 日本でも、夫婦別姓の問題がときどき見受けられるようになった。現在の法律では、夫婦同姓しか認められず、別姓を維持するために事実婚(籍を入れる以外は結婚したと同じ生活)を選択する人も増えている。
 夫婦が同じ姓を持つという考え方は、家系の重視が基礎にある。昔の上位階級である貴族や武士は、階級を家系に与えていたので、子孫に継承されるのが当然だった。だからこそ、家制度を守ることは非常に重要だと考えられていた。その時代には男性優位が当たり前で、男性の子孫がない場合でも、婿養子によって家系を守った。
 また数十年前までは、夫が仕事をして妻が家事を担当することが当たり前だった。もし結婚前に女性が働いていたとしても、結婚を機会に家庭へ入る。そのため、途中で姓が変わっても、ほとんど困ることはない。それより、女性にとっては結婚することが人生最大のイベントであると信じられていたため、姓が変わることは結婚の一部として受け入れられた。だからこそ、結婚による姓の変更については、疑問を持つ人がほとんどいなかった。

夫婦別姓を実現しても、子供の姓には悩む

 しかし現在では、日本でも、夫婦別姓の議論が起こっている。根本的なきっかけは、女性の社会進出である。結婚後も仕事を続けるとなると、途中で姓が変わることは面倒以外の何者でもない。逆に女性側の姓を選んだ場合は、男性が姓変更の面倒を感じることになる。どちらの姓を選んだとしても、変わるほうが苦労する。この問題を解決しようとして提案されたのが、夫婦別姓だ。夫も妻も以前の姓が使えれば、どちらも苦労しなくて済む。
 ところが、夫婦別姓にも問題がある。子供の姓をどちらにするか決めなければならないからだ。夫婦が離婚する可能性は、時代とともに増える傾向があり、離婚したらどちらかに付いて行く。普通に考えると、子供を育てるほうの姓を子供にも付けるだろう。それがどちらの姓になるかは、子供が産まれた時点では判断できない。

姓という制度は、もはや時代遅れ

 ここまで考えると「姓とはいったい何のためにあるのだろうか」という疑問に突き当たる。家系が重視された時代なら、家族全員が同じ姓を名乗ることには意味があった。ところが社会は変化し、家系よりも個人の価値観を重視する時代へと動いている。今後の傾向としては、家系を守る価値がますます小さくなる。それよりも、同じ価値観を持つ仲間との交流が深くなり、時間を共有する割合も増える。家族と一緒にいるより、仲間と一緒に過ごしたほうが楽しいと感じる人は、だんだと増加している。
 だからといって、家族の絆がなくなるわけではない。自分と血のつながりのある子供は可愛いはずだし、育ててくれた親に何かがあれば助けたいと思うのは当然の感情だ。新しい家族のつながりは、普段の生活では薄くなるものの、何か困ったことがあったとき助け合う形へと変化する。この傾向は、自分のやりたいことが明確な人ほど強い。一般的には、新しい世代ほど自分の好きなことが明確なので、普段の親との付き合いは薄くなる。つまり、親よりも子供側のほうが、いつも一緒にいたいと思う気持ちが少ない。
 もちろん例外もある。個人の好みや価値観で一緒に過ごす相手を選ぶのだから、親子に共通点があれば、一緒にいる時間が長くなる。もっとも多いのは、同じ仕事か趣味を持つケースだ。仕事や趣味が共通なら、悩みや興味なども同じことが多い。多くの時間を子供と過ごしたい親にとっては、自分の仕事や趣味を子供にも持たせるか、子供と同じ趣味を自分も持つかのどちらかが、かなり効果的だろう。

姓を含まない新しい名前へと社会は変化する

 以上のように、家族のつながりに変化が起きつつあるのだ。その結果、姓という名前の制度が時代に合わなくなっている。もっとハッキリと言うなら、現在でさえ時代遅れの制度なのだ。それが理解できれば、姓を含まない名前の仕組みを社会として取り入れることが妥当だと分かるだろう。現在は無理でも、遠い将来の社会では、姓のない名前が当たり前になる。これは全世界に共通する流れなのだ。
 姓を使わない代わりに、どんな仕組みの名前になるかは、他の社会変化も考慮しなければ予測できない。本人の価値観を伝えるための名前とか、いろいろな形式が考えられる。どのような仕組みに変わるにしろ、現在の仕組みからスムーズに移行できることも、新方式の重要な要素だ。そのための1つの方法として、次のような手順を提案しよう。まず最初は、夫婦別姓を認める。その次の段階では、子供の姓に自由な名前を付けられるようにする。それと同時に、姓という呼び名も止める。姓の代わりに何と呼ぶかは重要で、できるだけ特定の意味を持たない名称を付けることが必須だ。それ以降の変化は、時代の流れに任せても構わないだろう。

戸籍制度を無視して生きる手もある

 姓の仕組みが時代遅れだと分かっても、現実には戸籍制度が大きく存在してる。新しい名前の制度が出来上がるまでは、個人的に対処するしかない。もっとも有効だと思うのは、戸籍に関係ない名前を実生活で用いることだ。多くの女性は旧姓のまま仕事をしているが、普段の生活にまで広げる。それをより進めて、ペンネームのような自由な名前を用いるように変える。仕方のない状況以外では、その名前を積極的に用いる。仕事上でも会員登録でも、可能な限り使用する。また子供ができたら、戸籍とは別な名前も付けてあげ、その名前を使わせる。戸籍上の名前を使う機会もあるから、きちんと理由を説明して、戸籍制度の時代遅れを理解させる。そのうえで、普段どちらの名前を使うのか本人に選択させる。
 このような説明は、子供の教育にも大きな効果がある。現在の学校教育よりも、はるかに大きな効果がだ。古い制度の悪さを考えさせることは、既存の仕組みが本当に適切かどうか考えることの基礎となる。また、状況を説明して本人に選ばせることは、自己を確立する手助けになるだろう。
 自分の名前の使用にあたっては、時代遅れの戸籍制度に縛られる必要はない。所属する会社を説得するなどして、だんだんと身の回りの環境を変えていき、未来に適合した生き方をしよう。

(1995年8月9日)


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