川村渇真の「知性の泉」

ワープロ使用で漢字を忘れても大丈夫


古い価値観での評価した結果

 ワープロを使うと漢字が書けなくなる。ワープロ専用機やパソコンのワープロソフトを使ったことがある人なら、誰もが経験することだ。使用期間が長いと、簡単な漢字もすぐには思い出せなくなる。すると「あーあ、こんな簡単な字まで忘れている。どうしよう」と心配する人が多い。そう思うのは、漢字を書けなくなることが悪いことのように言われているためだ。漢字忘れの悪化を心配して、ワープロソフトの使用を止めた人もいるという。
 しかし、漢字を書けなくなることが本当に悪いのだろうか。何を根拠に悪いと判断したのだろうか。ハッキリと言ってしまえば、「あまり深く考えずに」悪いと言っているだけである。何も考えていないとまではいかないものの、ほとんど考えてないで判断した結果だ。それなのに、評価結果だけが一人歩きして、多くの人を不安にさせている。
 漢字を書けなくなることが悪いと判断した最大の理由は、既存の価値観を基準にしたからにほかならない。いや、価値観が変化しつつある現状では、もはや既存の価値観ではなく、古い価値観と言えるだろう。紙に手書きすることが中心の社会では、漢字を忘れることは効率の悪さに直結する。多くの漢字を調べていたのでは、文章を書くのに時間がかかってしまうからだ。
 しかし、私の正直な感想として、手書きの時代であっても、漢字を忘れることがそれほど悪いとは思えない。調べれば済むことを知らないとしても、なぜ悪く言われるのだろうか。たんに調べれば解決するだけのことなのに。私とは、明らかに違う価値観で、物事を評価している。おそらく、あまり深く考えずに、感覚だけで物事を言っているだけなのだろう。

未来社会を基準にすれば、悪いことではなくなる

 漢字を書けなくなることの是非については、もっと論理的に考察することが重要だ。その結果、書けなくなっても心配いらないことがハッキリする。
 漢字を忘れてしまう大きな原因は、覚えておく必要がなくなったからだ。パソコンとプリンタを問題なく使えていると、手書きで文章を書かなくなる。当然、漢字はかな漢字変換ソフトで呼び出すため、読みだけを入力すれば済み、漢字を書く必要性がなくなる。パソコンを駆使している人なら、ほとんどの書類をパソコン上で作るし、手紙も電子メールがほとんどになる。漢字を手で書く機会は、何かの申込書などの用紙に記入するといった、非常に限られた場合しか残らない。そのとき漢字を忘れていても、国語辞典で調べれば済むので、あまり困ることはない。最近では、国語辞典がパソコン上のソフトとして登場しているため、忘れた漢字をパソコン上で調べられる。実際、自分のノート型パソコンには、国語漢字辞典と英和/和英辞典をインストールしてある。これだけの辞典類があれば、たいていの言葉はパソコン上で調べられる。どこへ行くときもパソコンを携帯するので、辞書を持ち歩いていることと等しく、外出先でも辞書が引ける。
 このような例は、国民全体からみると、まだ少数派だ。しかし、パソコンの利用人口が増えるにしたがって、手書きをしない人は確実に増える。また、ネットワークも進歩するので、デジタルデータで情報をやりとりすることが一般的となり、漢字を書く機会は今以上に減る。つまり、漢字を書かなくて済む社会に向かっているわけだ。漢字を書けないことは、未来社会では当たり前になる。これは非常に確度の高い予測であり、ほとんど間違いない。
 パソコン上の辞書が普及し、多くの情報が電子化されると、漢字を読むほうにも大きな影響を与える。読めない漢字に出会ったとき、その文字を電子漢和辞典で調べられるからだ。それも、漢字をコピーして調べられるので、紙の漢和辞典のように、部首名や画数を用いる面倒くささはない。紙なら読めないまま済ませるところを、パソコン上なら読みを調べるようになる。さらには、読めない漢字だけでなく、知らない言葉の意味も、電子国語辞典で簡単に調べられる。分からない漢字や言葉に出会ったら、片っ端から読みや意味を表示する。知りたいと思ったときに調べられることは、物事を効率的にマスターする基本だ。だから、今よりも多くの漢字を読め、多くの言葉を知るようにもなる。また、知らない言葉があっても、すぐに調べられるので、さほど困らない。現在の環境とは、大きく変化するわけだ。

学校の漢字教育も見直すべき

 このような新しい常識で考えると、学校教育における漢字の試験は、その価値基盤が低下する。読みの試験はよいとしても、漢字を書かせる試験は、もはや意味がない。現在の小学生が大人になるころには、漢字を書ける必要性が、とっくになくなっている。もし漢字を書ける状態で卒業したとしても、ワープロソフトを使うことで、すぐに忘れてしまうだろう。つまり、将来無駄になる能力を身につけることに等しい。
 漢字を書けなくて困るのは、実のところ、学校内の試験だろう。試験はいまだに手書きであり、生徒たちが社会に出る時代のことなど、まったく考慮していない。学校にパソコンが導入されつつあるが、重要な部分については、何も変えようとしていない。
 学校で先生がパソコンを避けている間に、生徒は自宅でパソコンを使っている。そんな生徒の場合、試験の解答内容で漢字を間違える可能性も高い。それを減点の対象にするとしたら、時代に逆行する行為である。漢字を間違えるのは、手書きによる試験方法が、時代に乗り遅れているためだ。試験方法を急に変えるのは無理なので、暫定的な対処方法として、今後は「漢字を間違えてもいいですよ。読みしか知らない言葉は、ひらがなやカタカナで書いてもいいですよ」という方針に切り替えなければならない。すでにパソコンを利用している生徒がいる以上、いますぐに切り替えるのは必須といえる。

いろいろな試験でも、漢字の間違いへの減点は絶対禁止

 高校入試や大学入試でも、同様だ。もちろん国語の試験でもだ。漢字を間違えたからといって減点するのは、意味がないどころか、悪いことをしていると言わなければならない。減点はマイナス評価なので、悪くない行為(漢字を間違えること)に対して行うべきではない。悪いのは、時代に乗り遅れている試験方法なのだ。
 同じような問題は、学校外の試験にも当てはまる。いろいろな資格試験は手書きで記述するので、漢字を間違う可能性が高い。その採点でも、漢字の間違いを減点してはいけない。
 漢字の間違いをどうしても許したくないのなら、試験方法を改善するしかない。だが、現状の技術力やコストを考慮すると、電子試験を実施するのは難しい。そこで、暫定的な対処方法を採用する。試験問題と一緒に、国語辞典を配布するのだ。受験者に国語辞典を持ってきてもらう手もあるが、カンニングが心配される。だから、試験する側が国語辞典を貸し出すしかない。電子試験が実施できるまでは、このような暫定処置もやむを得ないだろう。

入社試験で漢字を書く問題が出たら……

 試験と言えば、入社試験が思い浮かぶ。企業によっては、いろいろな試験を実施する。その中に漢字の書き取りが含まれていたとしたら、パソコンを使いこなしている人ほど困るに違いない。かといって、入社するためには解答しないわけにいかないし。さて、どうすればよいのだろう。
 参考のために、私が考える対処方法を紹介しよう。もし入社試験などで国語のテストを受けたら、漢字を書く部分だけまったく答えを書かない。そして解答欄の横に「このテスト内容に関する能力は、今後の社会では不必要なので、まったく解答しません」とメモを残す。そのうえで、漢字を書く能力が不必要な理由を、小論文にまとめてテスト後に提出するだろう。それも次のような文章を最後に加えて。「貴社の将来は、本当に大丈夫ですか。入社を決定するような大切な試験に、漢字を書くという意味のない問題を出して..。率直に言って、私は、貴社の未来が不安になりました」と。それで合格通知が来たとしても、おそらくは入社を断るだろう。
 このような行動は、結果として良いことをしたことになる。相手の会社に重要なことを気付かせたのだから。もし、本稿を呼んでいるアナタが試験担当者で、漢字の書き取り試験を実施しているなら、すぐに止めたほうがよい。優秀な人材に指摘され、逃げられる前に。おそらく、指摘する人は少ないので、ただ逃げられるだけだろうが。

より重要な表現能力の向上に力を注ごう

 このように説明しても、「漢字を知らないより、知っていたほうがよい」という意見が出てくる。その種の意見には、次のように反論しておきたい。
 世の中が進むに連れて、要求される能力レベルは確実に向上する。それをすべて身につけるには、時間がいくらあっても足りない。漢字を書くための訓練に割く暇があったら、他にマスターしなければならない能力の開発に時間を使うべきだろう。たとえば、自分の意見を的確に伝えるための文章作成能力などだ。これは誰もが必要な能力であるにもかかわらず、実用的なレベルでマスターしている人は少ない。それほど簡単ではないことも理由だが、教育上で軽視している点も見逃せない。
 日本の学校では、なぜ作文技術をきちんと教えないのだろうか。また、自分の意見を人前で述べるとか、反対意見を持つ人ときちんと議論することも教えない。大事なことを意識的に排除しながら、教育カリキュラムを作成しているような感じさえ受ける。このような問題は、以前から指摘されているにもかかわらず、いっこうに改善されない。この改善されない点こそ、より大きな問題なのだが。

さあ、積極的に漢字を書けなくなろう

 漢字を書けなくなることが心配で、ワープロの使用をやめた人は、無責任な意見の被害者である。本当にかわいそうなことだ。十分な考察なしで述べられている意見には、気を付けたほうがよい。
 漢字を忘れることに不安を感じていた人も、それが未来の常識(より正確には、現在でも一部の人にとって常識)であることを理解できれば、何も心配しないだろう。ここでの説明で、心の中のモヤモヤが吹き飛んだことと思う。何も気にせずに、どんどんと漢字を書けなくなろう。そして、漢字を覚える暇があったら、もっと意味のある能力の向上に、より力を注ごう。

(1995年6月29日)


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