川村渇真の「知性の泉」

古い価値観での評価に、多くの人がだまされる


時代によって価値観が変わる

 世の中には多くの常識が存在する。しかし、それらは本当に正しいだろうか。ほとんどの常識は、それが作られた時代の価値観から生まれる。古くから言われている常識なら、かなり昔の価値観をもとに作られている。
 理解しておかなければならないのは、時代によって価値観が変化するということだ。ある時代に正しいとされていることが、別な時代には間違っていると判断される。代表的なものとして、さまざまな差別がある。人種差別、性差別、階級差別など、昔なら当然と考えられていたものが、大きな間違いだったと現在では認識されている。まだ完全に解消されてはいないものの、確実に平等に向かって前進している。変化するのは、差別だけではない。人間のすべての行為や、物事の重要度が、時代とともに変わる。
 価値観の変化のもとになるのは、テクノロジーの発達だ。新しい道具が登場することによって、古い道具を使いこなす能力は、役に立たなくなる。たとえば、ソロバンを使いこなす能力は、電卓の登場によって不要になった。ソロバンは訓練が必要だが、電卓ならすぐに使い始められる。その次には、コンピュータとネットワークの発達によって、電卓さえも不要になる時代が来ていて、ソフトウェアという新しい道具を使いこなす能力が求められる。
 変化のもう1つのもとは、きちんとした物事の理解だ。たとえば、「最近の若い者は、正座もろくにできない」と悪く言う人がいる。これも、正座が体に良くない行為だと理解することで、「正座なんかできなくても構わない」と評価が変わる。それが常識になれば、正座できないことを悪く言う人もいなくなる。

古い常識で物事を判断するのは、無駄や遠回りのもと

 現実を見ると、ほとんどの人は、物事を評価するときに深く考えないで発言する。もし考えたとしても、背景にあるのは過去の常識が中心だ。近い将来どころか、現在でも時代遅れになりつつある内容の発言になりやすい。
 前述の正座の件では、今までの常識にしたがうなら、正座ができるように努力するのが当然だ。しかし、あとから正座ができなくても大丈夫だと分かったとき、それまでの努力は無駄になる。その時間をもっと役立つ能力の向上に使えばよかったと思うはずだ。
 ソフトウェアの件でも、もっと深い分析が必要だ。ソフトを使いこなすことが重要だと言われているが、これは曖昧すぎる。より詳しく見ると、ソフトの使用方法を覚えることと、ソフトを活用して何かを作ることに分けられる。ソフトの使用方法は、コンピュータの進歩によって、もっと簡単になる。現在の使用方法を覚えても、将来には役立たない可能性が大きい。それよりも、ソフトを使って何を作るかのほうが重要だ。使用方法が簡単になるほど、中身の充実に力が注がれ、質を問われることになる。だから、ソフトの使用方法は簡単な部分だけ覚えて、難しい機能は使わないように心掛ける。そして余った時間を、中身の充実に必要な能力の向上に振り分ける。このような考え方が将来を見越した対処方法といえる。
 あまり深く考えてない意見を信じると、無駄な失敗や遠回りを招く。無駄ならばまだいいが、一生を左右するような大きな失敗を招いた場合は、簡単には後戻りできない。

未来の常識は、ある程度まで予測可能

 将来にどんな道具が現れるかは、技術の進歩を分析することで、意外と簡単に分かる。技術といっても、その中心となるのは、コンピュータとネットワークだ。この分野に精通していれば、さほど難しいことではない。
 本当に難しいのは、その次の分析段階だ。新しい道具が、どんな変化を社会へ及ぼすかである。この部分を適切に予測できると、未来の常識を見抜ける。この段階では、分析力と論理的思考能力が必要となる。
 念のために加えるが、予測できるのは、すべての分野ではない。新しい道具が影響を及ぼす分野に限られる。ただし、影響を受ける分野は時代とともに広がるので、対象範囲はそれほど狭くはない。
 予測する内容の確度は、当然のことだが100%ではない。現実の世の中を考えた場合、50%以上ではあるが、100%には遠いと思われる。100%から遠ざかった理由は、現在の日本の状況にある。教育を中心とした後進的な政策や、適切な議論が生じにくく、ジャーナリズムが正しく機能しない文化などが、主な原因だ。このような状況も、世界全体が狭くなることで、だんだんと解消するだろうが、時間はかかると思う。これら全部を考慮した結果として、確度は60%としておきたい。

できるだけ早目に未来の常識を知ることが重要

 どんな常識でも、一気に広まることは少ない。最初のうちは一部の人が認識しはじめ、しだいに割合が増えていく。ある程度まで浸透すると、一般の常識として定着する。このように、だんだんと広まるのだ。
 ここまで「未来の常識」と表現してきたが、すでに始まっている内容もある。つまり、新しい常識を知って、それに合わせた生活を始めている人がいるのだ。新しい常識を、どの程度普及した段階で知るかによって、その人の対処時期が決まる。遅く知れば手遅れになることも、十分に考えられる。大切なのは、できるだけ早目に未来の常識を知ることだ。
 今後は、変化の度合いが大きくなる。早目に知ることが、今以上に必要な状況へと進む。とくに重要なのは、自分の能力に関する部分だ。どのような能力を伸ばしたらよいのかは、一生の生活を左右する。そんな分野だからこそ、未来の常識で判断して、自分の行動を決めるべきだ。それが、未来へ対応するためのもっとも安全な方法である。

未来志向の発言を見分けることも重要

 とは言うものの、現実の世界にはさまざまな意見が飛び交い、どの意見が未来の常識をもとにしたものなのか区別するのは難しい。一般的な言い方になるが、次の2点で判断するしかない。1つは、未来の技術進歩を理解して、論理的な分析ができているかどうかだ。この論理的という部分が、実は重要といえる。意見を聞く側にも、論理的な評価が求められるからだ。論理的な分析を加えず、ただ結論だけを述べている意見は、信用しないほうが無難である。もう1つは、意見を発表した人や団体が、新しい体質を持っているかどうかだ。政府機関のように競争のない団体は、どうしても古い体質や価値観を持っていがちで、古い常識をもとにした意見になる。公的な学校も、古い体質を持った団体の1つなので、素直に信じるのはやめたほうがよい。
 どんな内容が未来の常識になるかは、具体的に実例を挙げるしかない。このコーナーでは、未来の道具や価値観を元に判断した内容を、いろいろと発表していきたい。思いつきで述べているのではないことを証明するために、すべての項目で、背景となる論理的な分析を含めるつもりだ。それに納得できたら、信じるとよいだろう。ただし、どのような行動をとるべきかについては、個人の能力などによっても大きく変わる。ここで述べるのは、一般論であって、全員に当てはまる内容ではないことを、理解しておいてほしい。自分の行動は自分で考えて判断し、自分で責任を持つことこそ、未来の基本的な常識の1つなのだから。

(1995年6月29日)


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