川村渇真の「知性の泉」

本当に役立つ教育を実施する時代に


知識が重要だったのは昔の話

 現在の日本の教育は、知識を詰め込むことが中心の記憶重視である。「数学まで記憶教科にしてしまった」と言う人もいるほどだ。記憶中心の教育にたどり着いたのには、理由がある。たしかに、出版やネットワークが発達していない昔の時代には、多くの知識を持っていることが重要だった。簡単に調べられない状況では、暗記しておくのが一番だからだ。また、少ない知識しか持っていない人が多い状況だと、できるだけ多くの知識を持つことが貴重とされやすい。
 しかし、時代は確実に変化した。出版文化の発達により、昔では考えられないほど多くの知識が、比較的容易に入手できる環境になった。さらに最近では、パソコンとネットワークの発達により、知識を得るための手間がさらに軽減された。この傾向は今後も続き、知識を得ることがもっと簡単になる。それに加え、自分が作り出した知識も、携帯型パソコンの発達によって、暗記しなくて済む環境に変わりつつある。いろいろな面で、暗記することの価値は確実に減っている。
 ところが、日本での教育は、時代の変化を無視し続けている。いまだに記憶重視の教育内容であり、パソコンやネットワークの活用など掛け声だけで、実際に役立てている例はごく一部でしかない。

人生に役立つ教育が今後は重要

 暗記することが不要になったら、どんな内容が教育の中心になるのだろうか。この問題を検討するには、何のために教育を実施するのかを考えることから始まる。ただ漫然と教育内容だけが独立して存在するのではなく、何かの目的のために教育が行われるからだ。
 本質に近い1つの回答は、「より良い人生を得るため」ではないだろうか。教育によって各種能力を身につけたり、考え方の違う人と議論するなどによって、それをしない場合よりも幸福な人生が得られるようでなければならない。このような観点から、義務教育だけでなく生涯教育も考えることが大切だ。それによって教育内容には、人生を良くするための全部の事柄が含まれるだろう。

新しい教育で社会的意味は増大

 教育内容をどうするかだけでなく、内容の質を高く維持するためには、教育内容の決定をチェックする仕組みも必要だ。今後の社会では、世の中の変化がだんだんと増加し、教育内容が時代遅れになるまでの時間も短くなる。教育内容を見直すことが、今以上に必要となるわけだ。その際、「より良い人生を得るため」という目的に適合しているかを、最優先でチェックする。教育内容の決定機関やチェック機関の検討も、今後の大きな課題である。
 義務教育の中心である学校の役割も、教育内容の変更によって大きく変わるだろう。もちろん、教師に求められる資質も変化する。このような内容も一緒に検討しなければならない。
 より良い人生を目的とする教育は、範囲が広くなるばかりでなく、社会的な意味も大きくなる。この分野の研究は、今後ますます重要となるはずだ。それは、未来社会を意識しての研究でなければならない。

(1995年9月11日)


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