川村渇真の「知性の泉」

設計手法を幅広く利用して社会の進歩を実現


設計手法が利用できる対象は幅広い

 設計という言葉を聞くと、工学に代表される科学分野の製品が対象だと思われがちだ。しかし、文系として区分けされている分野でも、設計の対象となり得る。
 具体的な対象を、思い付くまま挙げてみよう。法律、制度、運営ルール、組織構成、教育内容、議論手法、評価方法、様々な書類の書式、作業手順、判定ルール、販売方法、管理方法、スキルアップ計画、命名方法、作文技術などなど、キリがないほどある。こうして挙げてみて分かるように、世の中の多くのことが設計の対象となるわけだ。
 こうした対象を設計する際には、形のある製品と違って、設計内容を設計図で表すわけではない。文章を中心にした説明で内容を表現し、全体像を伝える概念図など、一部の内容を表や図で補足する。
 設計内容が文章で書いてあっても、設計の作業自体は論理的で科学的な手法を用いる。また、レビューを実施しするなど、設計に求められる基本要素は満たさなければならない。そうすることで、設計内容の質を確保する。

良い結果が得られないのは、きちんと設計してないのが原因

 では、ここで挙げた対象は、実際にきちんと設計されているだろうか。残念だが、設計など考えてもいない対象のほうが格段に多い。あまりに多すぎると言っても間違いではないほどだ。いろいろと話し合って決めてはいるが、設計したと言えるレベルで結果を出している分野は、ほとんどない。
 たとえば、教育内容。過去からの惰性で続けているだけで、教育目的を明確にしてから教育内容や方法を設計したものではない。教育問題への対策を検討しているものの、教育内容の根本的な見直しには手を着けず、小手先の対処だけに集中している。こんな状況では、いつまで経っても問題が解決しない。
 教育以外の分野でも、似たような状況だ。社会の様々な問題が、解決されないまま続く。いろいろな組織が検討しているものの、有効な対策を生み出せていない分野が数多くある。古い問題が解決されないで残り、新しい問題が発生するため、社会全体としては問題が増え続けている。
 設計とは呼べないレベルでの話し合いを続ける大きな理由は、物事を設計するという行為を知らないためであろう。話し合い自体は必要なことだが、単に話し合うだけでは、論理的で科学的な検討を実現できない。結果として、最良の解決方法を得られないで終わる。こんな状況ばかりなので、世の中の問題は解決しないまま続く。
 もちろん、制度や解決方法を作っている人は、真面目に取り組んでいる場合が多い(そうでない場合もあるが、ここでは取り上げない)。しかし、真面目にやれば十分というわけではない。最適な結果を導き出せていないなら、冷静に評価して失敗である。非常に酷な言い方だが、仕方がない。そして、そんな分野が多すぎる。
 以上ように、きちんと設計されていない、つまり未設計の分野が世の中には数多くある。ということは、各分野で用いている、制度、法律、組織、運営ルールなどが適切かどうか、非常に疑わしい。世の中には多くのルールや組織があり、社会を構成かつ動かしている。そのルールが適切に決められてないとしたら、多くの問題が発生しても不思議ではない。現在の世の中の混乱は、ある意味で当然の結果とも言える。

未設計の対象に利用すれば大幅改善が見込める

 では、世の中の様々な分野で、物事をきちんと設計し直したらどうなるだろうか。設計時点での社会状況に適した設計結果が得られ、市民がおかしいと感じる問題の多くは解決される可能性が大きい。最適な方法を導き出すのが設計手法だからだ。
 設計手法を正しく用いると、特定の団体の利益を反映しにくくなる。検討が論理的に進み、別な専門家からレビューを受けるからだ。また、設計の過程まで含めて論理的に整理し、書類として後で公開するので、無理矢理にねじ曲げた部分などが明確に見えてしまう。こういった方法が当たり前になれば、取って付けた理由が使えなくなり、より適切な制度や解決方法が得られる。
 例として、公共事業の企画書に適用した場合を考えよう。現在は、事業内容を最初に決め、後から理由付けをしている。取って付けたような理由は、自分たちに都合の良い数字を用いるのも、理由が後付けだからだ。このような内容だと、設計過程説明書を書く段階で困ってしまう。無理して書いたとしても、ダメな箇所を簡単に指摘されやすく、無駄な公共事業を進めにくい。こういった効果を得られるのが、設計手法を採用した場合の特徴である。
 世の中では、情報公開が少しずつ進んでいる。この効果を最大限に生かすのが、実は設計手法だ。きちんと整理して書いてない情報だと、悪い部分の簡単なものしか指摘できない。もし設計手法を用いて、設計した内容を書類のまとめさせれば、もっと大きな悪い点まで指摘できるように変わる。大きな悪い点のほうが重要なので、より大きく社会を改善できるだろう。つまり、設計手法は、情報公開の効果を高めるのにも貢献する。
 もちろん、設計手法を適用しても最適な結果を得るのが大変な、かなり難しい問題もある。経済の成長を優先するか、地球環境の保護を優先するかといった、相反する特性を持つ問題だ。また、価値観に関わる問題も結論を出すのが難しい。そんな対象に関しても、設計手法を利用すれば、利用しないよりも良い結果が得られる。
 もっとも、現状の社会では、もっとレベルが低い。それほど難しくない分野でさえ、きちんと設計されていないのだ。だからこそ、薬害が発生したり、無駄な公共事業を続けたり、政策の失敗を重ねたりしている。このような状況を改善するためにも、世の中の様々な分野で設計手法を用いなければならない。
 世の中に未設計の分野が多いことは、設計によって改善できる分野が多いことを意味する。つまり、設計手法を広い分野に適用すれば、世の中を大幅に改善できる可能性が高い。

設計の基本要素自体は難しくない

 きちんと設計するためには、設計の基本要素を満たすことが求められる。この要素の特徴を、まず最初に、多くの人が理解しなければならない。
 設計の基本要素自体は、それほど難しい内容ではない。きちんと設計する場合に必要な、基本的な項目である。難しいのは、個々の設計対象に関する専門知識や技術で、実際に設計する際や、設計内容を評価する際に必要となる。もし専門知識が難しくても、その分野の専門家に手助けしてもらえばよい。大切なのは、専門家の意見が論理的かつ科学的に正しいかどうか、チェックすることである。複数の専門家に意見を求めたり、意見を述べた各専門家の利害関係を調べることで、意見の正当性を判断できる場合が多い。
 基本要素を実際に使うときは、ある程度の技術が必要となる。それは、論理的かどうかを検査する技術だ。設計内容と過程の説明書を全部読み、どの部分が悪いのかを発見できなければならない。論理的な評価や検査の方法を勉強し、多くのサンプルで練習すれば習得できるだろう。こうした検査能力を習得できれば、対象分野の専門家の力を借りて、設計内容を評価できるようになる(もう少し他の能力も必要だが、ここでは省略する)。
 このような能力を持った人材が社会に増えることで、ダメな制度、法律、政策などが通りにくくなる。結果として、社会の問題も段階的にだが減り、社会が少しずつ進歩する。

社会の進歩には、教育内容の根本的な改革が必要

 設計手法の基礎となるのは、論理的で科学的な分析や思考である。現在の世の中で、きちんと設計されてない分野が多い状況は、論理的で科学的な検討がされていないことを意味する。社会を見回すと、納得できないことでも平気でまかり通り、いつまで経っても改善されない事柄を、多くの人が経験しているだろう。
 先進国の社会では、ほとんどの人が何年もの教育を受けている。そのおかげで賢くなったとしたら、論理的でない事柄が改善されない状況は、何なのだろうか。教育によって少しは改善されているが、賢くなっているとは思えない。原因をハッキリと言ってしまうと、現在の教育内容が悪すぎるのだ。論理的で科学的な思考など、ほとんど教えていない。だから、10年以上の教育を受けたにも関わらず、的確な評価や判断ができない。
 このような状況に陥っている根本的な理由は、教育内容自体がきちんと設計されたものでないためだ。何度も繰り返すが、過去からの惰性で続いている内容であり、多くの関係者は疑問すら持っていない。教育目的から検討し直し、教育内容を根本から設計する必要がある。
 論理的で科学的な思考といっても、あまりに抽象的なので、どうやって教えたらよいのか悩むだろう。それを習得可能な形にまとめたのが、設計手法である。このように形を変えることで、論理的で科学的な思考が教育できるようになる。設計手法だけだと不十分なので、同じように工夫して別な手法も作り、教育内容に加えるとよい。その全部を教えれば、論理的で科学的な検討の能力が身に付くはずだ。
 社会が進歩するためには、市民の意識だけでなく能力も高める必要がある。その能力には、的確な判断、適切な分析、正しい評価などを含む。設計手法のような内容の習得によって、市民の能力が確実に高まる。こうした教育の責任は、教育内容を管理している国家にある。ところが、教育内容を改善する動きがまったく見られない。
 国家が教育を管理している以上、生まれた国によって、受けられる教育内容が決まる。ある国家が教育内容を大幅に改善し、ここで示したような教育内容に変えたらどうなるだろうか。その国の人々の平均的な能力は、確実に高まる。社会の仕組みも改善され、より先進的な国家に変われる。さて、そんな風に先に進むのは、どの国だろう。

(1999年10月17日)


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