0界住民台帳

芥川龍之介

小説家。代表作に「河童」「薮の中」など。明治25年3月1日、新原敏三の長男として生まれるが、母フク発狂のため母方の実家芥川家に引き取られる。大正2年、東京帝国大学英文学科入学。翌年、久米正雄、松岡譲らと「新思潮」を創刊。大正4年に夏目漱石の木曜会に入り、翌年「鼻」で文壇に登場。その後数多くの作品を発表するが、昭和2年、35歳で自殺。新人作家の登龍門である「芥川賞」は、彼にちなんだもの。


ええっ、あの芥川龍之介が0界の住民……??なんて驚く人も多いかもしれません。0界住民台帳係も少々とまどっています。しかし、実際彼の作品には神話や伝説、心霊現象に触れたものが数多くあります。例えば代表作である「河童」には河童の世界の心霊研究に触れた部分がありますが、これは当時一種のブームになっていた心霊研究の実際を踏まえたものです。
「薮の中」では巫女の口を借りて死霊が物語り、「きりしとほろ上人伝」は、キリスト教の聖者クリストフォルスを題材にしたもの。他にも魔術を題材にした「アグニの神」や、仏教説話の「蜘蛛の糸」、仙人修行を描いた「杜子春」、わけのわからない力で体の色が黒くなってしまった「白」などなど、芥川の小説の世界では、しばしば超常現象が登場しており、芥川自身が並々ならぬ知識と関心を抱いていたことがわかります。

ところで、この分野で彼に何らかの影響を与えたのではないかと思われるのが、二人の正真正銘の0界住人、福来友吉(1869〜1952)と浅野和三郎(1874〜1937)です。
東京帝国大学心理学科教授であった福来友吉が、御船千鶴子(1886〜1991)や長尾郁子(1871〜1911)などの透視能力を肯定したことから、結局大学を退官せざるを得なくなったのは、まさに芥川が入学した大正2年のことでした。
日本の心霊研究のもう一人のパイオニアである浅野和三郎は、東京帝国大学英文学科の先輩にあたり、明治33年から海軍士官学校の英語教官を務めていましたが、大正4年に「大本教」に入信して退官しました。その後任となったのが芥川だったのです。そして大正12年、浅野が心霊科学研究会を設立したとき、芥川の一高時代の先輩であり、ともに「新思潮」を創刊した豊島輿志雄(1890〜1955)もメンバーに名を連ねています。
福来や浅野と芥川とのつきあいは不明で、豊島との間で心霊現象がどの程度話題になったのかも不明ですが、福来事件は当時学校全体を揺るがせた大事件であり、芥川も事件の概要については承知していたと思われます。そしてこれらの人物への心霊主義への傾倒が、芥川自身の関心を呼び覚ましたというのも、根拠のない想像ではないでしょう。

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