本物はじっくりと咲く

ソメイヨシノ論

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今我々が見ている桜は、ソメイヨシノという種類の桜がほとんどである。ヨシノというとすぐに吉野桜を連想するが、江戸時代に染井という植木屋が、江戸彼岸桜と大島桜を掛け合わせて作った新種の桜である。

この桜が、全国的にヒットした理由は、何と言っても成長が早いことがあげられる。しかし成長は早いが木の寿命は短いのが欠点である。どんなに長生きしてもせいぜい100年位しか生きない。しかもこの桜は、人間に植えてもらわないと増えない桜である。何か現代の若者に通じるようなひ弱なもやしっ子のような感じがする。要するに人間が人工的に作りだしたひ弱な桜なのだ。
 
桜守の佐野藤右衛門氏(さのとうえもん=「日本さくらの会」の会長で世界的な桜の権威)は、このソメイヨシノが大嫌いだそうだ。私も同感である。古来からある日本の山桜(吉野桜)などは、成長は遅いが何百年と生きる。ソメイヨシノとは逆に、環境が良すぎるところに植えると、逆に枯れてしまったりするらしい。寒風が吹き、雪に閉ざされるような所でこそ美しい花をつける。このたくましさこそが、桜本来の性質である。

人間も同じだ。「かくも貧乏という最高の宝をくれた両親に感謝したい」このように言って、会場を笑いの渦に巻き込んだ人物がいる。今年のアカデミー賞外国映画賞を「ライフ・イズ・ビューティフル」で受賞したロベルト・べニーニ(イタリアのチャップリンと言われる)監督である。彼はイタリアの貧乏な家庭に生まれ、苦労の末に、今年世界的な名声を手に入れた。まさに遅咲きの桜である。

桜も人間も楽なことばかりしていて、人生という素晴らしい花をつけることなどできない。所詮現代のソメイヨシノは、人間が自分の都合に合わせて作った桜でしかない。本物はそんなものではない。何百年という気の遠くなるような歳月を、生きてそして見事な花を我々に見せてくれるからこそ、感動が深いのである。

ソメイヨシノのように、所詮早く成長するものは、寿命も短く、感動も薄い。人間でも、早く一人前にしようと思って、子供のうちからなんでもかんでも詰め込むと、ろくなものにはならない。何事もじっくりと成長するからこそいい。それでこそ本物の花をつけることができるというものだ。結果ばかり早く求めては、ソメイヨシノのように早く枯れてしまう。佐藤

 


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1999.3.29