しだれ桜通信2

平泉を訪れる人 々の思いを無視し た平泉バイパス

 平泉を心から愛するみなさん。
結論から先に申しましょう。あなたがかつて夢見た古き良き平泉はもうそこにはありません。松尾芭蕉が「夢の跡」と形容した平泉の美しき景色は完全に失われ てしまいました。ふたつの寺を除き、平泉の町は、工事現場そのものです。そして今や平泉の見所は、中尊寺と毛越寺しかなくなってしまいました。非常に残念 です。悲しいです・・・。
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冬間近の11月23日、東京から始発の新幹線に乗って、平泉に向かった。柳の御所に着くと、空は青々と晴れていたが、奥羽山脈から吹き下ろす風はさすがに 冷たかった。 柳の御所跡の景観は、余りにも変わってしまって言葉もない。変わらないのは、柳の御所に立っている一本の垂れ桜だけである。かわいそうにその桜もえん罪で 収監された囚人のように孤立していた。連休の日曜日だというのに、工事は高館直下で、休みなく続けられている。近づいてみれば、盛り土は、新高館橋の所 まで完 成した平泉バイパスの高さにまで積まれていて、まるで巨大な土塀のように見える。いずれこの盛り土には植栽によって、「景観に対する配慮」(国土交通省の 弁?) がなされることになっているが、もはや高館の景観は固有の存在観を失ってしまった。

いったいこの3年間、内外で盛んに論議された平泉の景観とはなんだったのか。問題として盛んに論議された「柳の御所−高館」のバイパス工事は、誰がどのよ うに観ても、景観破壊そのものである。この工事の最大の問題点は、東北有数の観光地でありながら、観光として訪れる人々の思いを無視して当初の計画が推し 進められたことだ。このままでは平泉を訪れる観光客はますます減り続けるだろう。そうなると、期待はやはり「世界遺産」しかない。またぞろ、世界遺産のウ ワモノ造りをめぐって、ゼネコン業者たちが、砂糖に群がるアリのように、復元のウワモノや史跡公園工事を鵜の目鷹の目で奪い合うのだろうか。考えただけで も、おぞましい話だ。

ここであえて断言しておきたい。この平泉の「夏草の景観」を期待に胸をふくらませてくる世界中の観光客の思いを無視したツケは必ずや平泉自身が、そう遠く ない将来 に必ず払わされることになるだろう。その時に、「何故、あんなバイパス工事などを許してしまったのだろう。」と後悔しても、もう遅い。おそらく、数年後、 ユネスコ世界文化遺産として登録される時に、今回の平泉の歴史的遺産の中でも至宝ともいえる「夏草の景観」を台無しにしてしまったことは、委員の間で当然 問題となるはずだ。

2003年晩秋、現代の万里の長城(平泉バイパス)は、完成に近づいている。おそらく地元の人々も、平泉バイパス工事で、自分たちの町がこれほどの変貌を 遂げてしまうとは思っていなかったはずだ。まず新高館橋が完成した時、「まさか、これほど巨大な橋ができるとは?」と違和感を口にする人がいた。確かにこ の巨大な橋は、束稲山からみると、新たに出来た白い万里の長城のように見える。早い話が、平泉という古都の景観に不釣り合いなのだ。このことは何故起こっ たか。それはそもそも平泉バイパスの工事計画が、景観という問題が日本で浮上する以前に立案されたものだったことに起因する。つまり古都平泉という町の景 観を損なわないなどということはハナから当時の建設省(現国土交通省)は考えていなかったのだ。残念だが、どんなに間違っていようと、一度立案された公共 事業を止めるのは、至難の技だ。

それにしても、この景観破壊がもたらす有形無形の問題に対し、いったいその責任は誰が取るのだ ろう。国土交 通 省の官僚達か、県知事か、町長か。いや誰も責任を取る人はどこにもいない。みんな、「地元の要望を十分に聞いた上で行った工事、しかも私の任期のずっ と以前 からあった計画」というか、あるいは開き直って、「君は何を言うか。平泉は洪水常襲地帯だ。歴史や文化を言う前に住民の安全確保が至上命令だ。よそ者がと やかく口を出す問題ではない」と声を荒げるか、だろう。そこには、平泉をふるさととして大切に守り続けてきた先人たちの思いを受け継ぎ次の世代によき姿で 手渡すというごく当たり前の心も、世界有数の価値を持つ歴史の古都平泉を大切にしようとする心も、また平泉の重要な観光資源と し ての「景観」に対する配慮も、まるで感じられないほど冷たいものだ。

私にはどうしても理解できないことがある。掛け替えのない景観の破壊には目をつ むっていながら、 一方で平泉の世界遺産の登録を声高に主張する人々がいることだ。現在、平泉の人々の間では、2年後に期限の迫った市町村合併の枠組みをめぐって熱くなって いる。しかしその前にすることがあるのではあるまいか。まず自らの住む町の景観がズタズタになっているあり様をこのまま放置していいのか。日曜日でも、柳 の御所や無量光院や高館を訪れる人は、ほとんどいない。この状況は異常ではないのか。平泉の景観の変貌は、観光地としての価値の失墜を招いている。このこ との意味をまず真剣に議論すべきではないのか。

残念だが紙面も尽きた。この平泉の景観破壊を結論付ければ、平泉にも、官僚による中央集権的で無責任な日本的政治システムの特徴が貫徹している、と断ぜざ る得ない。原因は、市民も参加した形での公共事業の正当な評価システム が確立していないこ とにある。時々 マスコミが散発的な報道をしても、行政の側は、風の中のひょうたんを決め込んで、じっと待て ばよい。結局、最終的に責任を取るのは、そこに住む市民となり、ワリを喰うのも市民 ということになる。それにしても残念だ。今や平泉の町には、もうどこにも、「夏草の生い茂る夢の跡」はない。その掛け替えのない宝を、永遠にこの平泉の 大地から消し去ったのはいったい誰だ。佐藤


束稲の山に流れる雪雲の雪は解けゐてわが頬を打つ


 

 


2003,11.30
 

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