冒険とは何か!?

河野兵市氏の遭難劇に思う2 


 
冒険家河野兵市氏が冒険の最中で亡くなった。そこで冒険というもののを少し考えてみよう。冒険は、個人の夢から始まる。河野氏の冒険も、自転車でアメリカ大陸を横断したりするようなことから始まった。そこで植村直己という世界的な冒険家の行動に出会って、自分もそのようなスケールの冒険をしようということになる。そこで彼は山登りを学び、カヌーに乗り川を下ることを覚える。いつも頭の中には、敬愛する植村直巳があった。そして彼は植村が、犬ぞりで踏破した北極を、徒歩で渡るという夢に挑戦し、これを実現してみせた。

次第に彼の冒険心は、肥大し壮大な夢を語るようになった。以前はアルバイトをして必死で貯めた100万円を持って、砂漠をリヤカーを引いて歩いた男が、地元の英雄となり、支援者が現れ、その輪が大きくなり、ついには企業スポンサーまで付くようになった。

個人の極めて小さな夢であったはずの冒険は、瞬く間に筋立てが出来て、環境問題入り込み、冒険家の腕には、小さな日の丸が貼られるまでになった。このようにして冒険は個人のものから、逸脱して、どんどんとエスカレートしていった。

これまでは「やめた」と彼がそのように思えば出来たはずの「個人の意志」は、もはや通らないような責任と義務が「冒険」に張り付くようになった。それは彼が望んだはずのものとは、いささかかけ離れた質の冒険だったが、走り出した巨大な船を、個人の小さな意志で、止めることは不可能となった。

彼にこの冒険を止めるチャンスはなかったか、と言えば、それはあった。この最後の冒険を初めて早々、北極点の天候の悪化により、自然という神様は、凍傷という「気づかせ」のシグナルを発した時、彼はこの冒険計画が「神の加護」を受けていないことを知るべきだったのだ。しかし一旦治療の為にベースキャンプに戻りながらも、彼は巨大になりすぎた冒険計画に自ら「やめた」というような言葉を言うことができなかった。

もしもこれが極めて個人的な質のレベルの冒険であったならば、今回は状況が許さないから、「止めました。また機会があれば挑戦します」と言えたはずである。夢を追う河野氏は、個人としては大好きなタイプの人物だ。しかし彼はやはり少し真面目すぎたし、欲が深すぎた。あくまでも個人レベルの冒険の質を守っていたならば今回の悲劇は防げたと思う。

これから河野氏の最後の冒険計画全体を含めた検証がならさていくことだろう。基本的に冒険とは、個人的なものだからこそ、人の気持ちを打ち、感動を呼ぶ、というのが私の冒険観である。私は河野氏に対する尊敬の念を持ちながらも、彼の最後の冒険における肥大した計画に、いささか無謀なものを感じない訳にはいかない。佐藤



冒険家河野氏消息を絶つ
河野兵市氏の遭難劇に思う1

 

 


2001.5.28

義経伝説ホームへ

義経エッセイINDEXへ