河野兵市氏の遭難劇に思う 

 
「河野が最終的に伝えたかったものは、家族の絆とか、人と人の結びつきとか、そんなものだった気がします。人の心は離れていても通じ合えるということを彼は言いたかったのだと思います」

冒険家河野兵市氏の死亡が確認された24日午後、河野氏の妻順子さんは次のようなコメントを悲しみを笑顔に代えて言った。この時私は遙か17年前のことを思い出していた。それは植村直己氏の遭難の時、やはりマスコミのカメラに囲まれた奥様が、時折笑顔を浮かべながら、「ちょっと、あなた情けないじゃないの、と言ってやりたいです」と気丈に答えていた姿だった。

歌にも「娘さんよく聞けよ、山男にゃ惚れるなよ」とあるが、てっきり植村氏も、奥様の姿をテレビで見るまでは、独身だと思っていたし、河野氏も当然独身だと思っていた。それがこのような気丈で素敵な伴侶を持っていたことに驚いている。ただひとつ植村氏と河野氏で違う点がある。それは植村氏には子供がいなかったが、河野氏は12才(女子)と8才(男子)の二人の子供を授かっていることだ。

冒険に一生を捧げるというのは、男子としてのひとつの夢ではあるが、ある面では家族にとっては大変な負担を強いられることになる。厳しい言い方をすれば、冒険は、冒険をする者の家族の寂しさという代償を持って紡ぎ出される人生ドラマである。それでも尚、その冒険家を愛し、黙してその後をついていく伴侶がいるのだから、これは冒険家その人の人間としての魅力というものだろう。

順子夫人が言われた「家族の絆」ということ改めて考えてみる。家族の絆は、いったい何によって、つなぎ止められているのだろう。それは通常であれば、毎日の家族の会話と一緒なる行動にある。しかしそれをできぬ冒険家の家族は、父や夫である河野氏の夢に挑戦する気概を誇りとして、寂しさを紛らわせ、時折マスコミや、支援者からやってくる情報によって、その無事を祈りながら、帰ってくる日を一日千秋の思いで暮らすのである。今回の冒険が順調にいけば、あと六年という家族にとっては長い長い歳月の父と夫の空白であった。そうすると、上の子供さんは、18才の立派な女性に成長していることになる。下の子は、14才の生意気盛りの男の子だ。

おそらく、夫婦の間では、侃々諤々(かんかんがくがく)の話し合いがあったことだろう。むしろはいどうぞ、という方が不思議だ。少なくても私だったら、大石内蔵助のように離縁しているかもしれぬ。家長としての責任を、冒険一本で成し遂げることは、この六年に及ぶ冒険以上に難しい「絆の旅」なのである。

私は今回の冒険家河野氏の遭難劇を通して、河野氏の勇気ある行動を同じ日本人、同じ男子として讃えるという気持ちと共に、それとはやや矛盾した気持ちながら、様々な心の葛藤がありながらも、気丈に振る舞っておられる妻順子さんの女性としての優しさとその強さ健気さにただただ頭が下がるばかりだ。
佐藤

ご遺族並びにご支援をなさっていた皆さまに
心より河野兵市氏のご冥福をお祈りいたします。

 

 


2001.5.25

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