菅江真澄
かすむこまかた





  夕づづのかゆきかくゆきくさまくら旅にしあればそことさだめず

雲ばなれ遠き国方(クニベ)にさそらへありき、ことしもくれて、みちのくの胆沢(イサハ)ノ郡駒形(コマガタ)ノ荘(サウ)ころもが関のこなた、徳岡(トクオカ)(胆沢郡胆沢村)という里なる村上ノ良知が家(モト)に在りて、あら玉の年をへぬ。ことし、天明八年といふとし戊申の正月朔日(ムツキノツキタチノヒ)、まづ、わか水に墨すり筆試るとて人々歌よむ。その筆をかりて、

  埋木も花咲春にあぶくまの河瀬の氷けふやとくらん

ひむがしの雪の山窓より、はつ日の光ほのぼのさしのぼるうららかけ(ママ)さに、軒のつららもとくとくと音してしただり落ぬ。

  旭影にほふかたよりとけそめて軒のたるひをつたふたま水


二日 
としのことほぎまをすとて、ここらの人とら、たちかはり入かはり来けり。入り来(ク)る童(ワラハヘ)には松の小枝に銭貫(ゼニサシ)て、是を馬に乗(ノセ)るとてとらせ、こは■(月+叟)馬(ヤセマ)也なンど、不足銭幣(トモシキタカラ)をしか云ひことわるさまは、いではの国にひとしかりき。あなたのひろびさしのおちくぼなる処には、人あまた居(キ)ならびて、濁(ニゴレ)る酒をくみかはして物語リせり。ことし雷神(ナルカミ)の年越え給ひし方(カタ)は正西(マニシ)にてさふらふ、雨こそをりをり零(フ)らめ、秋世ノ中よからむなンど云ひつつ大椀につぎみたらしたるを、二三(フタツミツ)もおのもおのもも(ママ)前にならべて、いざ尋飲(ヒロノミ)すべしかなンど進(ススム)れば、ゆるしてよ、飲(ノミ)ね、何の楽(タノ)しき事ありとも、このひと坏(ツキ)のにごれる酒に、あに、まさらめやとほほえみよろこぼひて、(末也)「出(イデ)て酌(サク)とれ稲倉魂(オガノカミ)」と、うち返し返しうたふ。あるじは、いといと大なる、白(サカヅキ)をとうでて進れば、いにしへの七賢(ナナノカシコキ)人とらも、とて、さかなとりどりに飲み、人みなのみにのみて心をやりぬ。こを見て、

  楽しさよ千代万代とくみかはすこころ長閑き春のさかづき

(本也)「飲(ノメ)や大黒謡(ウタ)へやえびす」と、うたひうたひて暮(クレ)ぬ。


三日 
けふは申の日なりとて、ありとある馬あまた、みな馬柵(マラリ)の内よりおひはなち、まづ吉方(エハウ)の方へとて追へば、ここらの五調小踊(ガムデウコヲドリ)して庭の雪ふみならし、去年の冬より、まをりこもりいて、かかる楽しさとやおもふ、あるは■(口+單)(イナ)き、あるは嘶(イバ)え、はねくるふさま、名所(ナダダル)尾駁ノ牧(ミマキ)もしかならんか。なほ雪ふみしだき、さばかりふかくつもりたるが、やをら、まことの春庭のごと、なからけちはつるなンど、いさましき駒遊び也。

  長閑なる空にひかれてつながねば心のままに勇む春駒

門々の雪にさしたる小松に栗の木の枝を立添ふるためし、しりくへ縄、ゆづる葉はいづこも同じ。

  幾春も猶立添(ソヘ)む栗駒の山にとしふる松をためしに

四日 
あゆみこうじて雪の深山に彳(タタズム)と見れば、かけろ(鶏)鳴ておどろ(き=脱)ぬ。かくておもひつづけたり。

  まだ去年の心はなれぬ夢のうちに鶏さへ春とつげのをまくら

あしたより、けふも雪いたくふれり。


五日 
庭の面を見れば板垣(キリカキ)の際(キシ)、杙(クヒゼ)なンどの雪うすきかたには、若草の仄(ホノカ)に萌そめて、いとはや春のここちす。ここを徳岡ノ郷上野(サトウハノ)といへば、

  おそくとくおかべの草のもえそめむ雪のうは野に春風ぞふく


六日 
きのふのごとうらら也。霞む名のみや空にたつらむ、遠かたのやまやまうすくもれり。こよひは、せちぶ也。「天に花開(サケ)地に登(ミノレ)、福は内へ鬼は外へ」と豆うちはやし、炉(スビツ)の辺リには並居て豆焼(マメヤキ)といふことして、一とせの晴零(テリフリ)の灰卜問(ハヒウラト)ふは、こと国も凡ソひとし。

七日 
鶏(トリ)の初声たつころより屋毎(ヤゴト)にものの音せり。真魚板(マナイタ)にあらゆる飯器(モノ)とりのせ、七草囃(ナナクサハヤス)とて、此地(ココ)に云(イ)ふ雷盃木(マワシギ)てふものしてうち■ク也。今朝の白粥(シロカユ)に大豆(マメ)うち入てぞ烹(ニ)るめる。こは、としの始より無事(マメダテ)とて、身に病(コト)なきを祝ふためしになん。此日立春(ハルタツ)といへば、

  此としの日数もけふはななわだにめぐれるたまの春は来にけり

雪はなほ、をやみもなうふりにふれれば、

  みちのくのあだちがはらの鬼もけふ雪にこもれる若菜つままし

此ごろ、ふみ書(カイ)贈りたる道遠のもとより、

  する墨の色さへにほふ水くきに硯の海の深さをぞしる

と、ふみにこめて聞えしかば、此返りごとすとて認む。そが中に、

  水ぐきのあともはづかしかき流す硯の海のあさきこころは

雪のいといとふりて、梅、さくら、なにくれの梢ども、わいだめなう空くらし。くれてやや晴たるげにや、月はづかさしたり。

  夕附夜そらたのめなる影そへて花とみゆきのつもる木々の枝

  やがて又かくとさくらの春風もこころして吹(フケ)雪の初花

家のあるじ村上良知の歌に、

  春風にさそひな行そ花と見ん庭のさくらにつもるしら雪

その弟(ハラカラ)良道。

  ふりつもる梢に雪の花さきて庭のさくらに春風ぞふく

夜更、人さだまるころ、はやち吹、雨ふる。


八日 
よべよりあたたけく、あしたの間雨猶ふれり。

  草も木もこころやとけむふりつみし雪の上野(ウハノ)今朝の春雨

やをら雨晴れ、日照れり。


九日 
雪はこぼすがごとくふりていと寒ければ、男女童ども埋火のもとに集(ツド)ひて、あとうがたりせり。また草子(サウシ)に牛の画(カタ)あるを、こは某(ナニ)なるぞ、牛子(ベコ)といへば、いな牛(ウシ)なりとあらがひ、また是(コハ)なに、猿(サル)といへば、ましなりと。論(ツリゴト)すなと家老女(トジ)のいへば止(ヤミ)ぬ。つりごととは論(アゲツラフ)ことの方言(クニコトバ)なり。また某々(ナゾナゾ)かくるを聞て、

  うない子が稚(ヲサナ)心の春浅みいひとけがたき庭のしら雪

をやみなう雪ふれり。


十日 
山早春といふことを、

  長閑しなみちのく山の朝霞こがね花さく春は来にけり

夕ぐれ近う雪ふれり。


十一日 
けふは物始(ハダテ)といひて貴賤(タカキヒキ)、家々に業仕初(ナリハヒシソムル)日なれば、雪の上(ウヘ)に鋤鍬(スキクワ)もて出てうち返す手づかひをし、また稲田ううるとて、芒尾花、わらなンどを雪の千町(チマチ)に佃(ツク)るあり。あな、こうじたりなンどうち戯れ、謡(ウタ)うたひ、小苗うち、いかになンど戯れり。帳とぢ、蔵びらきなンど業は、商人ならねば、さるよしも聞えず。ほどちかき水沢の信包、ほど遠き、ひむがし山なる田河津の為信なンどが歌ありしが、ここにはもらしつ。

十二日 
つとめて、小雪ふりていと寒し。午うち過るころより若男等(ワカヲラ)あまた、肩(カタ)と腰とに「けんだい」とて、稲藁(ワラ)もて編(アメ)る蓑衣(ミノ)の如(ゴト)なるものを着て藁笠(ワラガサ)をかがふり、ささやかなる鳴子いくつも胸(ムネ)と背平(ソビラ)とに掛て、手に市籠(イヂコ)とて、わらの組籠(クミコ)を提(サゲ)て木螺(キガヒ)吹キたて、馬ノ鈴ふり鳴し、また銜(クツワ)、鳴リがねといふものをうちふり、人の家に群れ入レば、米(ヨネ)くれ餅(モチ)とらせぬ。うちつづきかしましければ、「ほうほう」と声を上ゲて追へば、みな去(イ)ぬ。また、ものとらせて水うちかくるならはし也。

こはみな村々のわかき男(ヲノコ)ども、身に病(クワンラク)なきためにする、まじなひといへり。追へば、「けけろ」と鶏(トリ)の鳴まねして深雪(ミユキ)ふみしだき、どよめき、さわぎ、更るまでありく。是を鹿踊(カセギトリ)、また垰鶏(カセキドリ)といへり。また南部路(ミナブヂ)の垰鳥(カセキドリ)は、ややにてことなり。かかふる藁笠(ワラガサ)を鹿(シカ)の角形(ツノサマ)に作(ツク)り、それにささ竹をさし棒をつき、手籠(イチコ)もて餅もらひありく。此餅くれれば祝(イハヒ)の水とて、うちあぶせける。

また此垰鳥等に家の主、にくまれては、その家におし入り厩(マヤ)の前(サキ)に立て、木匱(キツ)とて、馬の秣咋(ハミ)てふもの入(イ)る舟のごときものを伏せて、「すはくへすはくへ」と口のうちにもの(と=脱)なへて、此木櫃(キツ)の底(ソコ)を杖にてうちつつきたりしが、今は、さる唱へ事ももはらとは知リたる人もさふらはず。ただ、しらぬ方より垰鳥来れば、雌鳥(メドリ)か雄鳥(ヲドリ)かと問ふに雌鳥(メドリ)といへば、さらばその卵(タマゴ)とらんとて、集め得し餅を奪(ウバ)ひとらんとし、また雄鳥(ヲンドリ)なりといへば、さらば、くえ(ケ)鳥せんといひて闘鶏(トリアヒ)のふるまひをして打合掴合(ツカミツキ)て、力立(チカラダテ)あらがひのみぞ今はしけると八十ノ翁の語(カタ)レり、あやしき事もありけるものか。此垰鶏等が姿(サマ)を見れば、田に立(タテ)るおどろかしの人形(ヒトガタ)に似たり。また鳴子附たるは鳥追ひ、猿(マシラ)追ひ、鹿(シシ)追ふ鳴竿(ナルサヲ)のごとし、さりければ年の始めの田祭ともならむかし。

さて、かの翁がものがたりに「すはくへすはくへ」と云ひつつ呪詛(ノロヒ)しはいかなるよしかと、考おもふに、保食ノ神は馬祖(ウマノハシメ)とし、又建南方ノ命を先牧(マキノハジメ)として、此ノ二(フタ)神を厩(ウマヤド)の神と祭る。此由来(ヨシ)をもて諏訪(スハ)と唱へ、また、くへは久比(クヒ)にて、■(虫+翁)■(虫+従)z(クヒ)は馬牛(ウマウシ)なンどの皮肉(ミノウチ)に生(アリケ)る虫にて、あるは腹やませ、また此虫ゆえに、うまうしの斃(タフ)れ死事あり。さりければ須波の建御名方ノ御神にまをして、此■(虫+翁■(虫+従)(オホムシ)を起さしめ給へと、黒心(キタナキココロ)もていのり奉りし事になむ。ゆくりなう雨ふれば、此垰鳥(カセキドリ)ら門の外(ト)に逃出(ニゲイ)で、あるは、十一日ノ日、物ノ始メに作リたる田の面なンどに群れたてり。さて今の世に山田の曽富豆(ソホヅ)といへるは久延毘古(クエビコ)にて、くえびこは即チ曽富騰(ソホド)也といへり。此事古事記伝十二ノ巻十四葉に精(ツバラカ)なり。

  春雨にぬれて曽富騰(ソホト)のたつか弓山田にあらぬ雪の仮田(カリタ)に


十三日 
あしたより雪零れり。

  泡雪のふり来るほどもなかぞらの光に消る春の長閑さ

垰鶏ら、雪にまみれてありく。


十四日 
よさりになりて戌ひとつばかり、れいの垰鳥ら桐木貝(キガヒ)吹キたて笛吹キ鈴ふり、馬の鳴輪(ナルワ)、鳴るがね、鳴子うちふりて諠■(口+舌)(カマビス)し。筒子(ツツコ)といふもの、また樽もて来るには、家々の手作(テツクリ)の酒やる也。去年は死(シヌ)べう病にふして、明なば垰躍(カセキトリ)してもの奉らんと、稲倉魂(ヲガノカミ)、あるは村鎮守(トコロガミ)にねぎ事して、三十四十ととしねびたる男(ヲノコ)も交レど、多くは村々の若キものの、戯れぞめきにこそあンなれ。

十五日 
けふは粟(アハ)ノ餅(モチヒ)を黄金(コガネ)ノ餅(モチ)とて喰ふためし也。家々の嘉例(シツケ)とて、祖(オヤ)よりのをしへのまにまに仕つれば、ものはたちに田佃ラず、けふにううる家あり。日の西にかたぶくころ、田ううるとて門田の雪に、わらひしひしとさしわたし、また豆ううるとて豆茎(ガラ)をさしぬ。

また山畑の雪の中に長やかなる柱を立て、此柱のうれより縄を曳(ヒキ)はえ、その縄に匏■(ヒサグワク)とて、麻苧(アサヲ)の糸巻瓠(マクフクベ)をさしつらぬいて、其縄の末(ハシ)を杭(クヒセ)にむすび付ケ、また、その杙頭(クヒカシラ)に、ふるきわらのふみものを、いくらともなう、とりつかね縛(ユヘル)処あり。そはそのむかし、神ノ道をになう尊み、あが国の神のみをしへ如(ゴト)なる事は、こと国には、えもあらじと、あけくれ神をいやまひまつり、父母にけう(孝)をつくし、ひたぶるにうち耕(タガヘシ)て、業(ナリハヒ)に露のいとまなくくらす男(ヲノコ)あり。

また其近隣(チカトナリ)に、あけくれ経よみ、仏の法式(ミノリ)をになう尊み、仏のみをしへにこゆる尊き事はあらじといひて、此二タ人リの男出会(イデアフ)ごとに、いつもものあらがひやむときなし。あるとし両人(フタリ)の男、またものあらがひしていふやう、さらばことし稲田(イナダ)を佃(ツク)れ、その田の能ク登(ミノリ)たらむかたこそ、そのみをしへの勝らめといふに、さらばためし試(ミン)といふ。此、親にけうなる男は、あしたよりくる(る=脱)まで、わら沓つゆの間もぬがず鋤鍬(スキクワ)とり耕(タガヘ)し、うえにううれば、苗高う茂り、秋のたのみ八束にたり、八重穂(ヘホ)にしなひて家とみ栄たり。

仏のをしへ尊める男は田も作らず、経典(ミノリ)をとなへ香を■(タ)き、花奉りて、いやびぬかづき尊みける。その秋、その男の千町田の面に夕顔ひしひしと生ひ、此蔓のみ延(ハ)ひまどふ。やをら花のしろじろと咲て、やがていといと大なる壷廬(フクベ)の子登(ミナレ)り。此男うち見て、何にてまれ仏(ミホトケ)のたうばりもの也、是喰ひて命生(イキ)んとてうち破りしかば、その瓠(フクベ)の中に精米(シラゲ)のみちみちたり。人みなあきれて、さらば神も仏も、志シのまめなる人を守リ給ふにこそあらめとて、あらがひをとどめて、むつびたりし。そのしるしに、今し世かけて、正月(ムツキ)の事始にかくぞせりけるといふ、此事書(フミ)にも見えたり。さりければ、わら沓と瓠を田畠の中にかざりけるとなむ。夕飯(ユフイヒ)くひはつるやいなや、白粉(シロイモノ)をわかき男女掌(テ)に付ケて、是を誰れにても顔にぬりてんとうかがひありく、是を花をかけるといふ。しかすれば稲によく花咲(カカル)ためしになむ。此花かけられじと心をくばる目づかひを見とりて、いな、さる事せじ、ここにわれ尋(タヅ)ぬるものこそあンなれ。さらばその掌(テ)ひらき見せよなンど、此花のさわぎに、うちとも、どよみわたれり。白粉(シロイモ)の、さはにあらねば、近き世には山より白土(シラツチ)を堀り来(キ)て、三四日(ミカヨカ)も前日(サキツヒ)より花白物(オシロヒ)よ白物(オシロヒ)よと肆(イチ)にうりもてありくを買ひ、水に解(トカシ)たくはひおきて是を塗(ヌ)る也。

むくつけげなる男なンどの、人とさしぐみに物語し居(ヲ)る後(ウシロ)の方より、稚キ童のさしよりて、青月代(アヲキカシラ)に、ちひさき白(シロ)の手形(テガタ)つけて逃行を、人みな立かかり笑ふなンど、また、さらぬだに白粉(シロキモノ)あつあつと化粧(ケハヒ)、紅(ベニ)かねによそひたる顔に、ゆくりなう花かけられたるは、深雪(ミユキ)のいやつもりたる庭に、今はた小雪の降り添(ソ)ひたるここちせられたり。また前沢ノ駅(ウマヤ)、水沢の里なンどにては、此花かけのさわぎなかなかの事にて、日暮ては、へそべ(釜底墨)とて鍋釜(ナベカマ)のすみをとりて、油に解(トキ)てぬりありく。男女老若(オユワカキ)のわいだめなう、此墨の花かけむとてむれありけば、みな恐(オヂ)て土蔵(ヌリゴメ)なンどに逃げ隠れ音もせで夜を更(フカ)し、あるは夜着(ヨギ)引キかがふりて病人(ヤマフト)の真似なンどし、また大キなる蘿蔔(ダイコン)を斜(ハス)に切(ソギ)て、それに大ノ字、正ノ字、十ノ字、一ノ字なンどをおのもおのも刻(エリ)て、油墨を塗(ヌ)りて、袖にひき隠し持(モテ)ありき、行ずりの男女の額(ヌカ)につき中(アテ)たるを月影にすかし見て、一文字面(ヒトモジヅラ)よ、こは大文字面(ツラ)なンどいひて笑ふ事也。此花塗(カク)る若男等は、まづ己(オレ)が面(ツラ)を崑崙奴(クロンボ)の如(ゴト)にぬりありけば、誰(タレ)かれと人しらぬ事となむ。此こころを、

  秋に咲八束(ヤツカ)の稲の花かづらかかるためしをけふにこそ見れ


十六日 
いまだ夜ぶかきに童ども起出て、大箕(オホミ)を雪の上へにふせて、■(木+若)(シモト)のごときものもて此伏セ箕(ミ)をたたいて、「早稲鳥(ワセドリ)ほい早稲鳥ほい、おく鳥もほいほい、ものをくふ鳥は頭(アタマ)割ッて塩(シホ)せて、遠嶋さへ追て遣(ヤ)れ、遠しまが近からば、蝦夷が嶋さへ追てやれ」また、前沢ノ駅なンどにてはおなじさまながら、「猪鹿(キノシシカノシ)勘六殿(ドノ)に追はれて、尻尾(シリヲ)はむつくりほういほい」とて追ふとなむ。夜明はてて見れば、炉(イロリ)の端の金花猫(ミケネコ)にも花かけ、庭に居(ヲ)る黒犬にも、誰(タ)が花かけしとて笑ふ。垰鳥らも、けふの午のときをかぎりののりとて、雪吹(フブキ)の烈(ハゲシ)さもいとはず貝吹、かね鳴らし、笛吹きいさみ、うちむれありく。なほ雪ふりて寒し。

  玉水の露も音せず空(ソラ)冴て軒の垂氷(タルヒ)の掛ヶそひにけり

十七日 
きのふのごとに雪のひねもすふりて、月も仄にてりて、外(ト)は、そこと庭の隈回(クマワ)も見えず。猶寒し。
  心あてにそれかとぞ見る月影の光そへたる庭のしら雪

童(ワラハ)どもの居ならびて、はや寝(ネ)て、明日は田うえ踊リ見んなンどかたりてふしぬ。夜更ていといと寒し。


十八日 
あした日照りて、やがて雪のいたくふれり。田植躍(タウエヲドリ)といふもの来(キタ)る。笛吹キつづみうち鳴らし、また銭太鼓とて、檜曲(ワケモ)に糸を十文字に引渡し、その糸(イト)に銭(ゼニ)を貫(ツラヌキ)て是をふり、紅布鉢纏(アカキハチマキ)したるは奴田植(ヤコタウエ)といひ、菅笠着(キ)て女のさませしは早丁女(サヲトメ)田植といへり。やん十郎といふ男竿鳴子(ナルサヲ)を杖(ツエ)につき出テ開口(クチビラキ)せり。それが詞に、「■(エンブリ)ずりの藤九郎がまいりた、大旦那(オホダンナ)のお田うえだと御意なさるる事だ、前田千苅リ後(ウシロ)田千刈、合せて二千刈あるほどの田也。馬にとりてやどれやどれ、大黒、小黒、大夫黒、柑子(カウジ)栗毛に鴨糟毛(カモカスゲ)、躍入(ヲドリコン)で曳込(ヒキコン)で、煉(ネ)れ煉れねつぱりと平耕(カケタ)代、五月処女(サヲトメ)にとりては誰(ド)れ誰れ、太郎が嫁(カカ)に次郎が妻(カカ)、橋の下のずいなし〔いしふし、またかじかの事也〕が妻(カカ)、七月姙身(ナナツキコバラ)で、腹産(コバラ)では悪阻(ツハク)とも、植(ウエ)てくれまいではあるまいか、さをとめども」といひをへて、踊るは、みな、田をかいならし田ううるさまの手つき也。「うえれば腰がやめさふら、御暇(オトマ)まをすぞ田ノ神」と返し返しうたひ踊(ヲド)る。そが中に、瓠(ナリヒサゴ)を割(ワリ)て目鼻をえりて白粉塗(シロイモノヌリ)て仮面(オモテ)として、是をかがふりたる男も出まじり戯れて躍り、此事はつれば酒飲せ、ものくはせて、銭米扇など折敷にのせて、けふの祝言(イハヒ)とて田植踊等にくれけり。

十九日 
きのふのごとに雪ふりて空冴え、去年にいやまさりて、埋火のもとに筆とるに、筆の末氷がちに暮たり。
続く



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