「永訣の月」は蓮である
この「永訣の月」完成までの不思議な話をしよう。
10年ほど前、ある人物が、義経公の墓所(胴塚)の前を通りかかる時、車のラジオから琵琶の音色を聴いた。気になって、局に問い合わせをしてみたところ、それは義経公が八島の合戦を戦う場面を謡った平曲であった。明らかに義経公からのメッセージであると考えた彼は、ある日こんな決断をした。
「御首(みしるし)は、相州藤沢の白旗神社にある。御体(おからだ)は、奥州栗駒の判官森に眠っている。この二つの御神体を何とか結びつけよう」
早速、山伏の姿に身を替えた彼は、朱色の笈を負い、まるで東下りの義経公のようになって歩いた。気が付けば、歩いて、歩いて、歩き続けて、四十三日間。500キロの徒歩の旅を終え、義経公の分断されていた御霊は、八百十年ぶりにひとつになった。まさに人の思いは叶うものである…。
「永訣の月」は、その人物の心に芽生えた種から発芽した蓮のような作品だ。ある日、村山の許に、「義経公の生き生きとした最期の表情を描けるのはあなたしかない。義経公の最期の夜の姿を描いて欲しい。」そんな依頼が舞い込んだ。少し躊躇はあったが、村山は不思議な因縁を感じつつ、この大作に取り組むこととなった。そして苦節一年。ついに村山は、自ら歴史画と称する強烈なリアリティと美的緊張に溢れる最高傑作「永訣の月」を完成させたのである。
この絵画を見て、「まるで義経公が生き返ってこの場にいるようだ」とため息を漏らす者がいる。それも不思議ではない。村山は、完成間近の頃、背筋がゾクゾクとして誰かに急かされている気がしたと語った。義経公の前にある一本の切られた蓮が、象徴的に何かを語りかけてくる不思議な場景は、今鑑賞するあなたにきっと何かを語りかけてくるはずだ。(佐藤)
中尊寺蓮
アフリカのたったひとりの太母から人は地に満つこの蓮も又
一粒の胤より出でて中尊の地に満つ蓮の命の輝き