美 とはなにか 

-古くて新しいもの-

1 美とは発見するもの

義経伝説のトップページ掲載の「中尊寺弁財天池の散り紅葉」の写真に触発された「匿名希望」氏の発言があり、「美」というものを、深く考えさせられた。考 えてみれば、かれこれ、一週間以上も考え続けている。実によきテーマをいただいた。

ところで、かの清少納言は、枕草子の冒頭で、「春はあけぼの、ようよう白くなりゆく、山際少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」と語った。

実に小気味よく歯切れのいい文章だ。ここには、春の夜明け前を見て経験した清少納言という女性の「美」の発見がある。彼女は、夜明け前の一瞬を文章として 一つのフレーム写真のように切り取ったのである。ただこれも、清少納言が、己の美意識によって、切り取った四季の表情ににすぎない。ところが、この清少納 言の言葉の影響を受け、「春は曙」という価値観がひとつの常套句のようになって一人歩きをしている。もちろん構わない。しかしじっと考えてみれば、春夏秋 冬、夜明け前というものは、いつだってドラマチックな表情をみせる。取り立てて春だけが、美しいのではない。冬の夜明け前だって、ものすごくいい。初日 は、冬の曙が見せる究極の美といってもいい。清少納言の美意識に限定されて、「春は曙」と思い込んでしまったら、それ以上その人の想像世界は拡がっていか ない。

私は、紅葉の頃が終わり、秋の日に彩りを添えた紅葉たちが、やがて力尽きて、池に水面に散るなどして、揺れている姿を見ていた時、杉の木立から木漏れ日 が、池に反射して光った時、息が止まるような感動を覚えた。そして文字通り、カメラのシャッターを息を止めて切ったのである。それは主観に過ぎない。でも その写し取ったものには「美」は紛れもなく存在した。

「美」は、このように誰かによって、見つけられるものだ。「美」には、必ず発見者がいる。

浮世絵の安藤広重(1797〜1858)は、東海道五三次」や「名所江戸百景」などを描いたが、どれもその構図は、大胆で、多くの人が見過ごしている風景 を写し取ったものだ。それが広重の発見である。葛飾北斎(1760〜1849)でも同じだ。北斎になると、その構図は、いっそう大胆になりデフォルメが利 いてくる。彼の描いた「富岳三十六景」は、特に現代絵画にも匹敵する凄みがある。

さてこの浮世絵というものも、当時は、江戸庶民の長屋の鴨居に飾る安価な版画に過ぎなかった。ところが、この浮世絵に芸術的価値と「美」を見いだした者が いた。それは鎖国されていた日本に来た外国人たちであった。彼らが蒐集した浮世絵の数々が、ヨーロッパに渡り、芸術家たちを驚かせた。まったく別の手法。 大胆なデフォルメ。繊細な線による描写。明るい色使い等々が、セザンヌやゴッホ、ゴーギャンという印象派の大芸術家たちの想像力を刺激したことは余りにも 有名な話だ。

柳宗悦(1889〜1961)という人物は、何気ない民芸品の中に、日本人が創造した「美」を発見した。それは庶民の日常に使用する茶碗であったり、皿で あったり、あるいは壺であったりする。余りに日常的に使用するもので、大芸術家も庶民も誰も、そこに美を見いだしたりしなかった。でも柳宗悦は、「美し い」と感じ、その自分の美意識を信じて、日本中の民芸品を見、そして蒐集した。彼の主張は、次第に認められるようになり、民芸品の中に「美」を見る人が増 えている。

民俗学の柳田国男(1875〜1962)もいる。彼が世に紹介した「遠野物語」は、いまでは余りに有名になってしまったが、彼が発見しなければ、ただの岩 手の辺境の「口伝え」に過ぎないまま、放置されていたに違いない。また彼は、日本中の民話や伝承を研究し、ひとつの学問体系をうち立てた。彼もまた遠野物 語という「美」の発見者と言ってよい。

縄文式土器は、どうか。これはフランスで、ピカソやマチスなどの多くの天才画家と接点を持ち、また一方で最新の民俗学を学んだ岡本太郎 (1911〜1996)が、「何だこれは?」と上野の森で、縄文土器をたまたま見つけたことで発見されたものだ。もしも仮に、岡本が、見つけていなけれ ば、依然として、縄文式土器の縄目の模様や原始的な躍動感に満ちた土器も、洗練された弥生式土器のツルんとした形状には及ばないとの価値評価が今も続いて いたことだろう。


多くの人は、テレビというメディアの出現によって、感受性が鈍感 に、しかも受け身的になってしまったという声がある。確かにそうだ。ジョンレノンの「イマ ジン」(想像してみよう)という言葉が、世界中に拡がって行くのは、想像力が衰えている現代人の魂が無意識で水を欲しがるように渇望している姿かもしれ ぬ。しかし一方で、マスメディアの発展が、不幸であるとも思わない。デジタルハイビジョンの出現は、人間の想像力に別の刺激を与えていくと確信する。

但し、今の現代人は、写し取った四角いブラウン管という小さな小窓を通して世界を見過ぎてしまう傾向がある。そして更にいけないのはブラウン管で起こるこ とは、現実でありながらも、全ては他人事に見えてしまう点だ。もう少しすると、自分の家の火事ですら、まずは自動で仕掛けられたテレビが発見して、我々家 主に教えてくれる時代が来るはずだ。そうなると何か、自分の家庭ですら、他人事のような妙な世界になってしまう。気がつくと世界のすべてが、あの小さなブ ラウン管の中に収まっていたりして・・・。しかし世界というものは、ブラウン管という小窓で収まるような小さなものではない。しかも、現在、その小窓に映 るものは、テレビメディアの制作者の主観が多く混じって規制がされ、形悪きものは、形良く、写ってまずいものは、意図的にはじかれているものである。

だからこそ、私たちは、自分なりの「美意識」なり感受性というものが、前の時代にもまして必要になっている。それは、テレビメディアが嘘の報道をしている という短絡した感覚ではなく、本物と偽物を見分ける直感力のようなものである。つまり日常の中で、我々一人一人が、「美」を発見する位の力がなければ、誰 かが、「西行・芭蕉」は素晴らしい。「広重・北斎」素晴らしい。「縄文土器は素晴らしい」と言ったことに同意して、手を叩く位のことしかできないことにな る。

結論である。本来「美」とは、見つけるもので、けっして他人から強要されるものではない。「中尊寺弁財天池の散り紅葉」の写真が、美しいか。美しくない か。それは見る人が自分の美意識をもって決めればよい。我々は不幸の時代に生きているわけではない。多様な美を蒐集し発見するのに実にありがたき時代に生 きている。その意味で、過去よりは、遙かに幸福な時代に生きていることになる。問題なのは、己の中に「美」というものを感じ、あるいは虚実を見極める「イ マジン」(想像力)というものがあるか否かという一点にかかっている。
つづく

佐藤

 


2004.1.8
 

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