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童 話
明玉さまの嘆き
 
 

この話は、千葉光男著「栗駒の話」、第26話、「明玉様はお帰りになった」に依っている。佐藤


 

今から百年も前の話です。ほんとにふしぎな話です。もう誰もそれがほんとかどうかなんて思いもしません。こんなこともあったのかなぁと思いながら、親から子へ伝わってきた話なんです。 

むかし、ひとつの村には、ひとつの神社にしなさい、というお上からのお達しがありました。沼倉の村でも大騒ぎになりました。何しろ各地域ごとに、先祖代々お祀りしてきた神さまがあるのに、神さまの気持ちも聞かないで、ひとつにするというのですから、たまりません。色んな反発の声が上がりました。 

「おらほの神さまの気持も聞がねで、明治政府だがなんだかしゃねげっと、先祖代々祀ってきたものを、いっしょにするごだ無理だべ。おら反対だ」 
「ほだ。ほだ。どごさ。神さまつうものは、それぞれの地域を護ってもらうものだがら、あるのだべちゃ。ほでねが。なあ」 

しかしお上は、その当時、神さまや神社よりも偉いものになってしまっていましたから、沼倉の村人たちも最初は、とんでもない、と言っておりましたが、次第に不満の声も大人しくなって、段々と「仕方ねがもしゃねなあー」という諦めのムードが強くなってしまいました。こうして結局、沼倉の村人たちも長いものに巻かれる形で、六つあった各地域の神社を一の宮の駒形根神社に併せることになってしまったのです。 

その中に明玉神社の社がありました。明玉さまは、玉山の地域の人々の神さまで、明玉山の頂上に鎮座しておりました。玉山は栗駒山の麓にある集落で、そこにまるでピラミッドに木々が生えたようなかっこうの明玉山があります。 
 

何でもこの山には、こんな伝説があります。大むかしの夜に、空に大きな光る玉が大音響と共に落ちてきて、それから夜となく昼となく、七日七夜の間、まわりの山野を明るく照らし出したというのです。興味しんしんの村人たちは、何が起こったのかと、遠くの村からも玉山にたくさん集まって来たそうです。でも皆、その妖しい光に畏れを抱き、誰も近くまで、近づく者は居りませんでした。

やがてその玉は、光を失って大きな石となりました。村人は畏れながら、「きっとどっからが神さまが飛来して来られたのでながべか・・・」ということになりました。そこで飛来した神さまを明玉さま、そしてこの石の飛来した山のことを明玉山と呼びようになったというのです。 

さてそんな尊い明玉さまでも、やはりお上のやり方に逆らう訳にはいかず、村人は泣く泣く神社の社を壊して、ご本尊の石を抱えて、一の宮に遷したのでした。秋の夜のことでした。合祀を祝い、たいそう賑やかなお振る舞いが一の宮でなされました。各地域、合祀した社の氏子達が、今日からは、一の宮の神社になるということで、けじめと親ぼくを兼ねて集まったのでした。

村の人々は、出されたご馳走を見て、びっくりしました。獲れたばかりの銀のシャケ皿にのり切れないほどの真っ赤なタイ、それからホヤやホタテや山菜など、海の幸、山の幸が次から次へと運ばれてきました。人々はそのご馳走に圧倒され、いつのまにか、合祀に反対していたことすらも忘れて、呑みそして食べ、唄を歌い、踊り、すっかりいい気分になりました。

明玉山の氏子としては、玉山の作ジイが参加していました。作ジイも、最初は少し気分が沈んでいて、何やら悲しかったのですが、酒が入ると次第に、これも時代の流れかと思い、心の中で「明玉さま、こんな立派な神社に一緒に祀られで、いがったのでねがすか?」と洩らしてしまいました。その時、遠くで、雷のような音がゴロゴロと聞こえましたが、作ジイは気にも止めていませんでした。 

夜も更け、楽しい宴も解散ということになりました。作ジイは、挨拶を済ますと、いい気持ちになって、家路に着きました。、一の宮の神社を出ると、空には赤い赤いお月様が、三迫の川の向こうに懸かっていました。何てきれいなお月さまだべ」少し千鳥足になりながら、秋風が、作ジイの顔をやさしく撫でていました。 


丁度、川台の渓谷に差し掛かった時でした。後から足音が聞こえます。それで何だろうと作ジイが、振り向くと見たこともないような大男が大股で歩いてきます。もう作ジイはびっくりして今にも腰を抜かさんばかりになりました。

川台渓谷には、源義経に縁の御俯金不動尊が岩の上に祀られていて、沢のかたわらには、遙拝所のような小さな御堂が建てられています。何でも弁慶が、この御堂を建てる時に、「御堂の側には滝がなければならない」と言って、岩を軽々と転がして滝を造って、これが「弁慶造りの滝」と言われていますが、それが真実かどうかは誰も知りません。。

そんなことが作ジイの心にあって、自分の後をつけてくるのは、てっきり弁慶明神ではないかと考えてしまい、酔いがいっぺんに醒めてしまったのでした。胸がドキドキしました。おそるおそる振る向くと、大男はますます大股で作ジイから二軒ばかりの距離になっていました。ああ、どうしようという間もなく、作ジイは、一か八か大声で叫んでいました。

「弁慶さん、申し訳ねがす。ほんとに申し訳ねがすた。今夜は自分だけ、酒こ呑んで酔ってしまって、すっかりいい気分になって、オフガネさん拝まねで、通り過ぎですまいすた。でもどうぞ、怒らねでけらいん。家ではいつも、ヨシツネさまどベンケイさま拝んでいだのでがすから。ほでも今日は、いい気分になって、御神酒も花っこもおみやげも持たないで、来てすまいすた…。どうが、どうが許してけらいん。許してけらいん」

そう言いながら、かわいそうに酔いの醒めた作ジイは、地面にひれ伏し、地面に頭をこすりつけるようにしました。作ジイは、義経と弁慶が大好きでした。いつも孫には、義経と弁慶の活躍の話を聞かせ、奥州に落ちのびてきた悲しい話をしながら泣いてしまうほどなのです。その時です。また天から雷のような声が響きました。
「何ぬがす。作ジイ。」

作ジイは、もうその声にたまげてしまって、このまま沢の中にでも投げられてしまうのではないかと考えました。そして「ああ、おれの命もこれまでが、がさま(妻のこと)もわらすたず(子供のこと)にも会えねで、死ぬのが、情げねげっと、ああ、許してけろよ。かあちゃんもな・・・」などとブツブツと念仏のように呟いたのでした。

「作ジイ。作ジイ。俺のごど誰だと思う。まず顔上げろ。」
「・・・いや、顔上げろたって、上げだら、川さ、俺のごど、持って投げるのでがすぺ?」そう言うと、その大男は、遠雷のような響きの声で笑いながら言いました。
「なして、お前みでな、トショリを川さ投げるてや。安心しろ。なげるわけねえべ」
作ジイは、少し安心して、そっと大男の顔をのぞき込みました。
その顔は、月明かりに照らされて、赤く輝いて見えました。夜中に見たのですから、もう作ジイは、どんなに安心しろと言われても、怖くなって、又顔を伏せてしまいました。

でもどっかで見たことのある顔でした。でも気が動転してしている作ジイは思い出せないのです。
「作ジイ。俺の顔忘れだのが、俺は明玉だ。明玉明神だ」
作ジイは、少ししてはっと、思い出しました。

「ああ、明玉様でがすか?どうりで、あの山の上の岩の顔とそっくりでがすもね」
「おお、ほだ。どうもオラなあ、合祀ということで、駒形根様と一緒の社(やしろ)に棲め言われだので、引っ越ししだげっともな、ちょっと合わなくてよ。ほだか、今、山さ戻るところだっちゃ」
そう言い終わると、明玉さまは、のっしのっしと沢づたいに川台の渓谷を上っていかれました。

作ジイはというと、ぽかんと、口を開けてその大きい背中を見送っておりましたが、明玉さまは、振り向いて、「俺さ、ついで来い」と言いました。作ジイは、それでも事の次第をのみ込めませんでしたが、明玉さまの威厳にとにかくついて行くしか術はありませんでした。
 


月明かりの中をひとりの神さまと老人は、古くからの友人のように渓谷の小道を上っていきました。沢のせせらぎが気持のいいふしぎな月の夜でした。ふと足もとを見ると、作ジイは奇妙なことに気がつきました。明玉さまの影がないのです。自分の影はくっきりと足もとに見えるのに、明玉さまのは、どう見てもないのです。

「明玉さま、ひとつ聞いていいですか。」
作ジイは、だいぶ明玉さまに馴れて、警戒心を解いたのか、そんな質問をぶつけて見ました。
「何だと、影?それなんだ?」
「ほら、オラの足もど見でけろ。黒く見えっぺ。これ!!」
「ああ、ほだなあ、何で俺のはねのだべ・・・」
「はー、明玉さまもしゃねのすかや・・・やっぱり神さまというのは、ただ者でねえつぅごどだべね」
「何だがわがね。考えだごどもねがった。人つぅ者は、つまんねえごど、一生懸命考えるつぅげっと、あんだも同んなじだなあ・・・」
そんなたわいもない話をしながら、薄木の里を過ぎて、作ジイの家が見えてきました。
「明玉さま、オラの家あそごですから、少し寄っていがねすか?」
「お前の家さが?」
「ほでがす」
「がさまや子供おどがすごとなっから止めでおくべ」
「いや、そんなごど言わなでっしょ。みんなよろごぶべっから、是非寄ってけらいん」
しばらく明玉さまは、考えておりましたが、よし、と覚悟を決めたらしく、「ほで、少しばり世話になっがな」と言って、作ジイの家の方に向かいました。

作ジイの家は、明玉山に続く道の傍らにある。
「帰ってきたぞ。ダナ殿帰ってきたぞ」と急に作ジイはその家の主らしく大声で玄関を入っていった。後を振り向くと、明玉さまに、どうぞ入ってください、というように目で合図をした。明玉さまは、作ジイの家族をびっくりさせてしまうのではと、気がきてなかったが、作ジイの気持には勝てず、天上に頭二つほどつかえるので、体を思い切り、縮こまらせて、後に続いた。

作ジイの妻(ガサマ)は、小太りの福の神のような女性で、村人からはシメと云いますが、フクさんあるいは最近では福バアと呼ばれていました。ふたりの間には、三人の息子と一人の娘がおりました。長男は山仕事で、沢から滑落して亡くなってしまい、次男の勇吉が跡取りにおさまりました。勇吉には、お澄という許嫁(いいなずけ)の居りましたが、実家は、山を越えた文字という村の出でした。結婚して三年前の春に、ふたりにとって待望の初孫お満が誕生し、今年で三つになっていました。

「シメ、帰ったぞ。客人連れで来たがらな。酒っこ持ってこい。おごご(漬け物のこと)もな」
作ジイは、主人らしい威厳をもって妻の福バアを呼びました。
奥から声がしました。
「おかえりなさいん。どなだ連れてきたのっしゃ?とうちゃん」
「いいがら、まず酒っこだ。酒っこ」

もうかなり夜も更けていましたが、この日は、村の神さまが、一緒に祀られる記念のお振る舞いがあるというので、作ジイの家族は、きっと作ジイが、おみやげのご馳走を持って来ると思ってどこかで期待しておりましたので、作ジイの声が聞こえると、土間に集まってきました。食べきれないほどのおみやげを作ジイが運んで来てくれると信じていたのです。人とは悲しいもので、自分たちの神さまが、遠くにお引っ越しをするという時になっても、どこかでは別の期待が生まれ、それを小さな拠り所として生きていくようなところがあります。作ジイが、土間の方をのぞくと、燈明の明かりに、福バアに勇吉と妻のお澄に孫のお満の顔が、ぱーっと浮かび上がりました。すると、みんなが作ジイの背後にいる明玉さまの大きな図体に驚いて目を丸くしておりました。ひとりだけ、小さなお満だけは、指をさして、「あれ、ほー、あれ、だれ、だれ?」と云いながら、手を叩いてはしゃいでいました。

作ジイは、いつも大事な客人を招く時の口調で、「さあ、上がってけらいん。明玉さま。少し明け玉さまには、狭いげっと、まずどうぞ立って居られるよりは、楽だべかね。さーさ、どうぞ」と云いながら、客間にお通ししようとしました。福バアは、明玉さまと云った瞬間、「ハハァー」と云って、頭を板間につけて頭を下げました。それにつられるように、勇吉夫婦も、頭を下げました。ひとり孫のお満だけは、何を思ったのか、自分の持って遊んでいた鞠を持って、よちよちと明玉さまに近寄って、「上げか、上げか」と云って、生えたばかりの小さな歯を見せながら、神さまに微笑みました。明玉さまは、小さな手から鞠を受け取ると、精一杯のやさしい穏やかな声をつくって、
「おお、名前はなんつーのだ。めんこいごだ。なあ、作ジイ。お前さ、少しも似でねえようだなあ。」と云いました。
「おんちゃん。おんちゃん。まりっこ。まりっこ」きっとお満は、この客人と遊びたいのでしょう。それに明玉さまは、「うん、ほら」と鞠を小さな手に渡しました。

このお満の笑顔で、明玉さまと作ジイの家族は、いつしかうち解けていきました。作ジイは、背中に背負っていたおみやげの堤を福バアに渡し、ご馳走が飯台の上に並べられました。鯛やら紅白のまんじゅうやら、にわかに飯台は賑やかな舞台のようになりました。

作ジイは、自家製の濁り酒を進めると、明玉さまは、それを茶碗でぐいとあおると、「ああ、うめーなあ、我が家で呑む酒っこが一番うめのだよなあ。作ジイ」
「ほでがすな。酒の肴は何もなくても、やっぱり家族がいで、孫の顔見て呑む酒は格別ですなあ。明玉さま。漬け物もあがってけらいん。ガサマの自慢のタクアンだっかしょ」

明玉さまが、大きな口でタクワンをほおばると、心地の良いパリパリという音がしました。まるで堤を打ったように響きで、お満は、はしゃいで踊りだしてしまいました。

すると、急に明玉さまが、ぽろりと大粒の涙をこぼされました。作ジイはびっくりして、
「どうなされすた。明玉さま。」と云うと、「ほでね、うれしのだ。こんな楽しい思いしたのは、久しぶりだ。なあ、作ジイ」と云いながら、ぽつり、ぽつりと、こんなことを静に話されたのでした。
 


「やあ、この山さ、初めて降りたのは、今から千五百年も前のことだったのがなぁ・・・。その頃は、この玉山の辺りは、随分賑やかな里だった。鳥も獣ももちろん人も、みんな一緒に暮らしているようなところだったぞ。オレがこごさ降りだのは、あんまり深い理由は無がったのだげっと、たまたま空がら見だっけ、何か、ぱーっと、明るぐ、光ような感じに、栗駒山が見えたものだっか、とっても降りだぐなってしまって、そして今みんなが明玉山というどごさ降りだのだ。秋の紅葉のきれいなごど、地上にもこんなきれいなどごろがあるなんて、いやーしゃねがったなあ。だってそれまでは、砂だらげの岩山みでなどごさ棲んだりばっかりだったからなあ。そんな訳で、よし、ほで、しばらぐ、こごで、暮らしてみっぺ、となった訳っさ。 

でもなあ、すぐに戦があった。里の男は、みんなかり出されで、山を越えて、西がら来た鉄の剣を持づ軍隊と勇ましく戦った。考えれば、その時里の連中が勝つ訳は無かったけれども、やはり人として、この里を護るどいう気持で命を投げ出したのだべなあ。お前だずが「悪路王」だの「アザマロ」ど語る男知ってるべ。あの男は立派な村の長(おさ)だったども、随分悩んでいだなあ。最初は西から来た軍隊の奴らとうまく講和をして、仲良くしようと、西の人の名前だが官位だがもらったのだげっと、結局は人を小馬鹿にしたような態度が我慢でぎなくって戦うことになったのだ。最後はなあ、悩んだ末に、自分の命を相手にくれでやって、納まったのだげっと、何十年もこの山一体で戦ったのだぞ。今は何もかもすっかり見えなぐなってしまったけど、この山でも出雲と同じような国譲りつぅものあったのだっかな。よく覚えでおげよ。それがあったのが、達谷窟だっかな。あそごで、アザマロが腹切ったのだっかな。 

それがらなあ、何とか、戦は治まったように見えだのだげっと、西の軍隊があんまり無茶なごどすっから、アテルイつう若げ者が、アザマロの跡を継ぐと称してな水沢がら、こっちの方までやってきて、西の軍隊の横暴に立ち向かったのだ。それはそれは勇気もあり、知略もある若げ者だったけど、雲霞のように次がら次ど、攻めてくる者には、対抗しきれなぐなったのだ。この辺の村のほとんどは焼かれでよ。畑げも少しの田も、何も獲れなくなって、腹減って、飢えるものも出る始末で、きれいだった山も、人の死骸だらげの怖ろしい山になってなぁ・・・。だげど、オラなんぼ、神さまだってよ。人に触れるごどもでぎないし、なじょしたら良いのが途方にくれでしまった」 

そう言いながら、明玉さまは、滝のような涙を流して男泣きに泣かれました。作ジイの一家は慰める言葉も見つからず、茫然と明玉さまを見つめるばかりでした。作ジイは、心の中で、「なんぼ神さまでも、悲しいごどや辛いごどに堪えでいるのだなぁ」と思って、悲しくなってしまいました。すると何を思ったのか、お満が、ヨチヨチと明玉さまに近づいていって、「ながねで、ながねで」というように小さな手で明玉さまの膝小僧をなでるようにしました。きっと自分が泣くと、みんなが自分にそうしてくれることを覚えてのことでしょう。明玉さまは、その小さな手を取って、「ありがど、ありがど」と云いながら、また話を続けました。
 


「これでは駄目だど思ったアテルイは、タムラマロどいう西の国の大将と話をしたのだ。話し合いは、駒形根神社の里の宮で行われだ。それごそ、ふたりっきりで、サシの真剣勝負だった。そう言えば駒形根神社で秋に行われる奉納相撲の始まりはこのふたりの話し合いがら来ているのだっからな。覚えでおげよ。どっちも本気でぶつかり合った。まあふたりともこれ以上、お互い戦を続けても、ただいたずらに人の命が失われるだけで、得るものなどねど思っていだがらなぁ。初めは怒鳴り合いみたいな感じだったけれども、だんだんと互いに互いを認め合うようになった。ホントにいい勝負だったぞ。互いに何か人として惹かれるところがあったようだったなぁ。アテルイはタムラマロから知恵というものを学び、タムラマロは勇気というものを学んだと言ってだった。そしてやっと手を握り合う瞬間が来た。そして平和の契約をしようというごとになったのだ。タムラマロはアテルイの言うところを一部認めでこの北の国の独立を約束した。アテルイもこの北の国に西の人だちが自由に行き来をして、通商を開くごどを認めだ。

ふたりも周囲の者たちも、もう戦はこりごりだったから、お互いに多くの不満はあったけれども、平和をもたらすためにぎりぎりの線をもって譲り合ったのだ。契約を交わすためアテルイは屈強な何百という部下を引き連れて、西の新しい都に向かった。もちろんタムラマロと並んでの上京だった。だが、街に入る前に、突如としてアテルイは武器を取り上げられ侮蔑の言葉を投げつけられながら、捕まってしまった。『私をだましたのが。』とアテルイはその時、タムラマロに向かって叫んだ。しかしこれはタムラマロの仕業ではなかった。アテルイの力を恐れだ者の仕業だった。そして一気に事は運ばれた。あっという間に、弁明の機会もないままに、アテルイと部下たちの首ははねられた。タムラマロは、これはいったいどうしたことだ。と涙を流し、自分の無力さを嘆いたが、国の仕業の逆らうことは叶わなかった。こうして北の国の独立の夢は果てたのだ。結局、悲しいごどだげっとも、タムラマロつう人も、王さまではなぐ、ただの軍隊の大将でしかなかったというごとだべなぁ。タムラマロは、アテルイと北の国の人にお詫びにしたがったのだべ、その後、二度この栗駒に足を運んでる。

アテルイが死んでがらは、この土地には数え切れないような数の軍隊が進入して来てなぁ。そして北の人だちを連行して行った。逆らう者は、容赦なく殺されでなぁ、だから大方の者は付き従うしかなかった。もちろん奥山に逃れて、山の民となった人たちもいだげっともな。北の民たちは、こうして西の国によって、異国に地に住わされる羽目になったのだ。そしてこの地には、関東やら北陸やらの人々が領地を与えるという名目で植民されることとなった。作ジイそれがお前たちの子孫なのだぞ。」

「アテルイってアッテロさんだべが?明玉さま?」
作ジイは、明玉さまの話を、じっと聞き入っておりましたが、まさか自分の子孫の話になるとは思いませんでしたので、びっくりして、そう口を開いたのでした。それに沼倉には「アッテロさん」に対する信仰が残っておりましたので余計でした。この「アッテロさん」あるいは「アッテロさま」というのは、古くからの言い伝えで、毎年、村の女性たちばかりがある日に集まって「アッテロさん」にお供え物をするという不思議な祭りでした。でももちろん何のためにそんなことをするのか、なんて誰も知りませんし、聞く人もいません。ただずっと村里に昔から伝わっている祭りだったのです。
 

「ほだ。アッテロさんはアテルイだ。あの男の勇気を讃え、その奥方を駒形根神社に招待し、慰めだのが始まりだったのっしょ。それ以来、誰ともなく、伝えられてきた祭りだ。」
「はあ、それで分がった。何故男が一緒に参加すね意味がね。結局、その時、若い男という男はみんな戦にかり出されて、死んだりしていねがったのだべもね。」
「その通りだ。戦える男どもは、ほどんど死んだ。残ったのは、トショリ(年寄り)とガサマだずど、わらすこ(童子)すかいながったのさなぁ。」

明玉さまはそう言いながら、すっかり明玉さまになれて、その大きな膝の上でスヤスヤと寝息を立てているお満の柔らかな髪の毛を撫でました。

福バアが心の動揺を隠すように、明玉さまに向かっていいました。
「まあ、おらえの孫っこたら、明玉さまの膝さのって、ぶじょほ(失礼)だごだ。」
「かまねのだ。いい。めごこいものだなぁ。わらすこ(童子)つぅものはなぁ。明日は、このわらすたずがこしぇ(こさえる)のだっか、元気に育ってもらねどなぁ。」
「これ、もう寝がせろ。部屋さてでってよう。ほらお澄」福バアは、嫁のお澄に言いました。お澄が、かしこまって、明玉さまの膝から、お満を持ち上げようとすると、少し目覚めたのか、むずがって、まだ明玉さまの膝にいたい、というような仕草をしました。明玉さまは、ニヤリとして、「これ、まだオレの膝さいでのだっか、かまねでおけ」と言いました。作ジイも心の中で「神さまも泣く子には弱いのだなぁ」と思いまして、くすっと笑いましたが、それにつられて、みんなが笑ってしまいました。

「どこまで、話したっけ作ジイ?」
「あの、トショリとガサマとワラスコすか、残らながったつぅ、どごまででがす」
「ほだほだ、それからなぁ、すっかりこの里の周辺は変わってしまった。俺だずの社(やしろ)つうものも、西の方の神さまの名を借りできて立派に建て直されだげっとも、結局居るのは俺だべ、まあ名前を変えさせられだわけさな。だがら今でごそ明玉さまだげっとも、前の名はつがうのだぞ。」

そのように言うと、明玉さまは、急に複雑な顔をされて、注がれた酒を、いっきにごくりとおあられました。誰も口をはさめない威厳のような雰囲気がありましたが、作ジイは、どうしても前の名前を聞きたくなって、「なじょな名前だったのっしゃ。前はっしょ?」と洩らしました。

一瞬、ギロリと作ジイを見ながら、明玉さまは、静かな声でこのように言いました。

つづく
 

 


2002.4.23
2002.5.2
 

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