鹿島神宮
(2) 奥宮 「プロジェクト」
駅前の道案内に従って奇麗に舗装された坂を登り、左に曲ると楼門へ到る。しか
しこれは、どうやら近世からの道順であろうことは想像できる。楼門の反対側に御
手洗池があるのだ。この辺りの事情を僕は良く知らない。
そう言えば、この間、湯島に梅を見にいったとき裏門から登っていったら、子供連
れの母親が聞こえよがしに「神社はネェー、境内に入るときは、表から入らなけれ
ば縁起が悪いのヨーッ」なんて、僕を威嚇していた。縁起よりむしろ、その母親が
恐かった。
さてさて鹿島はどちらから参詣するものなのか何方かの御教示を賜りたい。
その道順、即ち楼門から入る道順だと確かに《奥》に奥宮はある。拝殿を見た後
では比較的小さな社であると感じるかもしれない。この奥宮は、かつての正殿だっ
た。その、今の奥宮、かつての社殿は前述のように家康によって1602年に建てられ
たという。現在の拝殿は、その後1619に完成したものとのこと。僕は、この間に天
海によるなんらかのプロジェクトが鹿島にも進行したのだ、と思っている。妄想に
過ぎないけれど、奥宮の素朴さと拝殿の東照宮ふうの極彩色は、そう想像させるに
充分である。
無論この頃揺るぎない徳川レジームの確立を果たし、この間に経済的な余裕も生じ
たのだろう。
とは言っても、やはりここは「中央」ではない。徳川氏中央の権力基盤確立を後
目に地方権力は遅れをとってもいたかもしれない。言うまでもなく水戸藩は御三家
の一つであり、限りなく強力な領主であったはず。けれども、地方政治には地方政
治の問題があったようだ。
VANILLA(バニラ);1994
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YABUGUCHI,Ichiro
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