山百合を塚の傍らそっと置き義経公の雄姿偲ばむ ひろや

今栗駒の里ではヤマユリの花が満開だ。この花を源義経公の御霊に捧げたい。

 

2009年は源義経公が生誕して850年目にあたる。09年7月25日、源義経公の胴塚のある宮城県栗原市栗駒沼倉判官森の麓の仮遙拝所(JA栗っこ)にて、義経公生誕850年祭が開催された。

11年前の1998年春3月の頃。宮城 県栗原市栗駒沼倉の住人菅原次男氏は、俄に義経公の首と胴を合体することを夢見、相模に赴き、郷土史家平野雅道氏を介し義経公の首塚があったとされる白旗神社の近藤宮司と氏子の皆さんにこの合体の 式の開けないかと、お願いをした。話はトントン拍子に進み、同年6月、菅原氏は白装束に朱色の笈 を背負い、白旗神社から判官森までの500キロを43日をかけて見事踏破したのであっ た。

以来、白旗神社では、6月に催される義経祭は例大祭となり、栗駒沼倉の里でも毎年、義経生誕祭として、開催されてきた。今年は、菅原氏のたっての望みで、石碑を判官森に運び上げ るとこと、そしてこの新作神楽の奉納となったものである。この神楽の特徴は、義経公が 泰衡の心情を思いやって、自らの首ひとつで平泉の平穏が保てるならば、それも受け入れ てやろう、との思いが神楽の謡に込められていることである。

南沢神楽は、東鏡にも登場 する市ノ野地区にあってその信仰の中心であった自鏡山周辺に伝わる山伏神楽の伝統を受 け継ぐ社中である。菅原氏が書き下ろした新作を短期間で初演した緊張感が伝わってくる 素晴らしい演技だった。
(佐藤弘弥記)


<源義経公850年生誕祭 祝いの舞>

作 菅原次男

我こそは九郎判官義経と
父義朝の汚名をば、
いざ、濯(すす)がんと、
一の谷、屋島を越えて壇の浦
平氏を追って悲願為す
と、思いきや、景時の
讒言あって、放浪(さすらい)の果てに
奥州陸奥の郷に戻れば
父とも慕う御館殿(みたちどの)秀衡公は、
みまかりて

兄頼朝の執拗な
首差し出せの嚇(おど)しあり

泰衡殿の悩ましきお姿見るに
哀れなり
我の痩せ首ひとつにて、
奥州陸奥平泉
平和守れるものならば、
それも良しとて我はいざ
白馬を駈(か)って
天高く昇って見事奥州の
守り神ともなりもしょう

爾来(じらい)八百有余年
奥州相州それぞれの民がこぞって
我祀り、神輿に担ぎ、今日もまた
大願成就謳うとは、あなうれしやな
うれしやな、
「山は雲烟をえて その霊をなし
我、伝説をえて その美なす」

850年目の生誕と
祝う人ごと、微笑めば
我はまた
奥州相州道道の
かしこに在りて
白龍の雲のごとくに
いますぞや・・・

 

義経ひとり舞いを熱演する佐藤信子さん
 

屋島合戦 信嗣最期の場(南沢神楽社中)
 

判官森拝殿にて義経公碑前祭
出達            10:00〜10:30 会場:栗原寺 (栗原市栗駒栗原西沢104)
義経公兜神輿渡行  10:30〜12:00 栗原寺〜判官森拝舞殿
ーーーーーーーーーーーー(JA栗っこ栗駒ふれあい店)栗原市栗駒沼倉河子田55
義経公生誕850年祭 13:00〜 会場:判官森拝舞殿  
                1.奉 祝 神事  2.奉納舞 神楽 など 
主 催:源義経生誕850実行委員会 
協 賛:南沢神楽 栗原寺 JA栗っこ 後 援:栗原市教育委員会 河北新報社
連絡先:菅原 電話050-7547-3113

2009.7.27 佐藤弘弥

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