どうなる拉致問題の行方

横田夫妻・真実の叫びを聞く

 −08 年6月21日 世田谷での講演会の記録−




横 田滋・早紀江夫妻近影
(08年6月19日 自宅にて佐藤弘弥撮影)

はじめに

08年6月21日、世田谷区に拉致問題の横田滋・早紀江ご夫妻をお呼びし、率直な意見を聞いた。

この企画は、今年の一月に決定したものだった。その開催の趣旨は、日朝交渉も、六者協議も一向に進まず、またアメリカが自国の国益を考 えたとしか思 えないような北朝鮮との2カ国協議が進むにつれて、「拉致問題の解決なくして北朝鮮への経済制裁の解除はあり得ない」と強弁していた大方の国会議員たちの 発言も、どこかよそよそしいものに変わった。それではというので、「第7回世田谷フォーラム」を「めぐみちゃんお元気ですか?! 2008年 横田夫妻の 夏」として開催したものである。

 1 拉致という悲劇に見舞われた横田家を支えたもの

このフォーラムでは、特に日本において、家族の崩壊を象徴するような考えられない事件が頻発する中で、最愛の13歳の愛娘めぐみさん を、自国内で、 北朝鮮の工作員によって拉致されるという考えられない悲劇に見舞われながらも、事件発生(1977)からこれまで三十一年間の長きに渡って、愛娘「「横田 めぐみ」さんの救出活動に全力を尽くす原動力なってきたと思われる横田家の夫婦の絆、家族の絆に焦点を当てて、その角度から拉致事件を考えてみたものであ る。

夫滋さんは、事件発生後、日本銀行に勤めながら、娘のことを忘れた日々は一度たりともなかったと語る。また妻早紀江さんは、思い詰めて 「自殺も考え た」ほどの絶望的な心境になりながら、キリスト教への入信や塞ぎがちな気持ちを短歌を詠むなどして、心のバランスを何とか保って三十一年間を過ごして来ら れた。

 2 父親 滋さんの決断

何しろ、この事件は、事件発生(1977年11月15日新潟港夕方)から、事件の真相が明らかになるまで、丸20年(1977年1月 23日国会に西 村真悟衆院議員政府に質問書提出)の歳月を要している。そしてこの事件が、北朝鮮の工作員によって、引きおこされた国家的なテロであることが明確になっ た。その驚愕のニュースに、横田家では、ひとつ間違えば家族が崩壊しかねない大論争が巻き起こった。

この時、横田家は、めぐみさんの二人の弟さんも立派に成人し、自分の意見を持っていた。拉致されためぐみさんも、この時33歳になって いた。この間の横田家の20年の歳月は、まさに拉致というものに翻弄された20年の歳月だった。

父滋さんは、このように言った。
「横田めぐみという実名をマスコミに公表しなければ、世間も本気でこの問題を考えるようにならない。拉致されためぐみが「少女A」と報道されても、真実味 は伝わらない。だからどうしても私としては「横田めぐみ」という実名を公表するのでなければと考えている」

早紀江さんは、びっくりして言った。
「でも、おとうさん。もしもそんなことをしたら、よその国へ行って平気で、女の子を猿ぐつわをし、袋を被せて、連れて行ってしまうような国ですよ。めぐみ に危害が加えられて、殺されてしまうかもしれません。だから、私は反対です」

この母の意見に、二人の息子さんたちも同調した。長い消耗な論争が続いた。でも父の決意は変わらなかった。結局、早紀江さんと二人の息 子さんは、最終的に父親の正義感に賭けたのである。

早紀江さんは、この時のことを、「わが家では、何かあると、いつも三対一になるんです」と言って微笑まれた。結局、この時の父滋さんの 決断が、日本 中の世論を喚起し、拉致問題という極めて特殊な事件が明るみに出され、日本中の人々が、めぐみちゃんを救出するために、全力を尽くして闘っている横田さん ご夫妻を通して、日本人拉致事件の全容を知ることになったのである。この滋さんの決断は正しかった。

その1997年から早くも十一年が経過した。拉致に翻弄された生活は、既に三十一年に及んでいることになる。

二人の髪には、白いものが目立つようになった。滋さんは何度か病院にも入院された。お二人とも体調が万全なわけではない。でも二人の周 囲には、清冽 な清水を思わせる清々しさが漂う。世田谷集会室のひな壇に並んで座られたお二人を見て、誰かが一対のおひな様というよりも、道祖神か菩薩のようだと、言っ た。確かに一理ある。お二人には、何の欲もない。ただただ愛するめぐみさんというわが子を救出したいだけなのだ。それが日本人の世論を動かし、ブッシュ大 統領も、大統領就任以来こんなに心を動かされたことはない、と語ったのだ。そしてこのママのために北朝鮮は、今すぐに、拉致しためぐみさんを返してあげな さいと記者会見をしたのである。そのアメリカが変節したと、きっとご夫妻は思いたくないと思う。以下に、ご夫妻の真実の声を伝えることにする。

 3 滋さん最近の拉致問題について大いに語る

さて、滋さんは、最近の拉致問題の動向について、次のように語った。

 ◆読売新聞の誤報騒動など
ただ今ご紹介いただいた横田でございます。最近気になることがありますので、いくつかご紹介いたします。5月9日の読売新聞の朝刊に、中山総理補佐官が 4月に訪韓し韓国の政府の方にキム・へギョンさんと我々を韓国で対面するように取りはからって欲しい、その見返りとして、めぐみの遺骨ということで骨が提 供されていますが、これを北朝鮮に返すということにするという話をしたということが掲載されました。

それで急いで、中山補佐官の方へ電話を掛けて見たのです。ところが「そんな事実はない」ということでした。それについて、町村官房長官も「事実無根であ る」と記者会見を行っています。一般の方から見れば、1面に大きく出たので、そんなことがあったんじゃないかと、思われたと思います。

それから数日後、安倍総理の秘書官になられた井上さんという方が、その時は内閣府の事務官だったわけですが、北朝鮮に行った時に、(拉致された人の中 で)何人か生きている人がいるという話を聞いてきたという話が報道されました。しかし何故今の時期にそういう話が出てきたのかという風に思いました。

 ◆山崎拓さんらの「日朝国交正常化議連」について
次は、最近になって、「日朝国交正常化推進議員連盟」(2008年5月22日設立総会)が作られることになりました。山崎拓さんが会長で、岩国哲人さん らが副会長です。最近安倍さんは山崎さんのことを、「政府でもない者が、政府より甘い条件をつけて、北朝鮮と接触しようとすることは、百害あって一利な し」、いやもっと、「百害あって利権あり」というようなことで、テレビなどでも、何回も報道されてました。

やはり我々は、従来から、権限のない者が行って、我々に対しても、訪朝しないかと、打診もありましたけど、そういったことをして、政府とあまり違ったこと をした議員活動というものは解決のためには、マイナスになるのではないかと、思っております。

それから日朝協議というものは、昨年の5月に開かれて、昨年の9月にウランバートルで開かれてから、9ヶ月くらい交渉が行われておりません。それが今月 (08年6月)の11日と12日に突然開かれました。通常なら、その時すぐ家族会に連絡がありますが、その時はまったくありませんでした。

総理に相談をしてから、後で説明をするということだったんです。それで13日に説明がありました。それによりますと、第1に北朝鮮側が拉致被害者の再調 査をすることを約束したということ。第2によど号犯でまだ残っている人がおりますけど、その人を帰国させることに協力するということでした。それに対して 日本側は、経済制裁の一部を解除するということを表明したということが説明されたわけなんです。

従来から政府は、拉致問題に「進展」があればという前提で、例えばエネルギー支援をするとか、制裁の一部を緩めるということは、我々は説明を受けており ます。その「進展」とは何かということは、例えば「北朝鮮が再調査を約束した」というだけでは、それは進展とは言えないし、よど号犯が帰ってきたところ で、それは拉致問題とは直接関係ないことだから、それも進展ではないと思います。

しかし、北がどんなことをするか、約束をしても、また実行をするかどうかも分からないのに、一方的に(制裁を)解除するのは、おかしいということです。 この流れに不安を感じて、政府に対し、救う会、家族会、それから各党の拉致問題対策本部などから反対(表明)が出たわけです。

それに対して政府は、何もしないうちに解除するんではなくて、行動対行動だから、相手の行動を見てから、解除するということも言っています。けれども、 相手がちょっとでも動き出したら、(譲歩を)引き出すために解除をやる、というようなことも言っていまして、どうもあまりはっきりしたことが、分からない わけなんです。

これはやっぱり国民みんなが、政府がどのようにするかということを、監視というのは、言い方が悪いですけども、良く見守って、単に北朝鮮が、約束をして も、期限を設けているわけではありませんから、いつまで経っても、約束を実行しないにもかかわらず、日本が万景峰号(まんぎょんぼんごう)の入港を認める というようなことは、やらないように、国民がみんなで政府の動きを見守る必要があるんではないかと思います。

 ◆気になるアメリカかのスタンス
それからこれとほぼ同時に、米国のライス国務長官が、北朝鮮をテロ支援国家の指定から解除するということが発表されました。そしてブッシュ大統領が議会 に対して、解除を通告するということが発表されました。米国も従来から、「これは米国の国内法のことだから、日本人の拉致問題が解決するかしないかに関わ らず、法律的には、解決できる」と言っておりましたが、まあしかし、北朝鮮を利するために、「日本人の拉致が解決しなくても、解除するということはありえ ない」ということを、ずっと言ってきたんですが、このところ、まだ北朝鮮は、核(放棄の)申告もしてませんが、すぐに解除に動きそうだという動きが感じら れます。

そしてこれが解除されるとどういう利点があるかというと、やっぱり北は世界銀行などから、金融と言いますか、お金を借りる権利が今はないわけですが、そ れを取得するわけなんです。ですから経済的に困った場合、借りることが可能になってくるわけです。しかし、借りるということは返すという条件がいりますか ら、無制限に借りられるわけではありませんけど、やっぱり少しは有利になって、日本人の拉致は置いといても、何とか生き延びられるということになる可能性 がありますので、これは政府は、是非解除しないように(アメリカに)働きかけていただきたいと思います。

まあ、新聞なんかで学者の方は、色んな事を書いております。例えば日本が6者協議から脱退すれば良いとかおっしゃる方もいます。やはりこのケースについて は、日本がもう少しアメリカを説得するように努力していただきたいと思います。

 ◆安易な経済制裁の緩和はして欲しくありません
最近は、拉致問題に動きがなく、北朝鮮側は、17人の政府が認定しています被害者のうち、5人はすでに帰国していますが、そのうち8人は死亡。4人は未 入国を主張しているわけです。(北朝鮮政府は)「これで子供さんもすべて返したから、拉致問題は解決済み」と言い続けています。

しかしその後、(日朝交渉も)まったく動きがありませんで、9ヶ月振りに交渉が行われたことで、日本政府としては交渉によって解決するという方針をとっ ていますから、ちょっとは良い方に動いたとは思いますけど、これもどの程度の調査結果を出してくるか、前の時なんかにも、小泉総理の2度目の訪朝の時に は、めぐみのものとして遺骨を提供してきたんですが、それはDNA鑑定の結果、まったく別人だったわけです。それ以外の方についても、新しいものは何もで ていません。ですから今度は、生きている人はすべて返すという形で、捜査することを、期待しております。安易な経済制裁の緩和ということはして欲しくない と思っております。以上が最近の拉致問題に関係する動きでございます。(採録編集佐藤)


4 政権末期のブッシュ政権の外交シナリオにすり寄った日本外交

この6月21日の横田夫妻を招いての講演の直前、拉致問題に関して、大きな動きがあった。

それは、日本政府が、13日夕方、北京で開催された日朝公式実務者協議の席で、北朝鮮側が、拉致問題に関して「再調査」と、よど号犯4 名とその妻 2名の引き渡しに協力するとの約束をしたとして、昨年度から行っている万景峰号の入港禁止などの「対北朝鮮制裁措置」の一部を解除・緩和することを決定し たことだ。

この動きは、米朝会談の進展を横目で睨みながら、日本政府がアメリカの北朝鮮への妥協的な政策に歩調を合わせたことで、実現したものと いえる。だ が、これには各方面から強い政府批判が起きた。慌てた政府は、日本の外交姿勢が変わらないことを躍起となって説明した。もちろん与党自民党内からも猛反発 が巻き起こった。その反発の趣旨は、日本政府の基本的なスタンスは、ブッシュ大統領との首脳会談の時に、小泉首相が明言した「拉致問題の解決なしに、日朝 国交正常化交渉の妥結はあり得ない」ということのはずだ。しかし政府は、この「拉致問題を前提」という看板を降ろすのかというものだ。

誰が見ても、13日の政府発表は、日本政府の北朝鮮への妥協的態度とも受け取れる態度だ。しかしそれも冷静に考えてみれば、アメリカの ブッシュ政権の北朝鮮に妥協した形の外交スタンスの変化に、日本政府がすり寄ったことで起きたものである。

別の言い方をすれば、丁度政権交代期にあるアメリカブッシュ政権の腹のうちを読んだ北朝鮮外交に、日米政府が揺さぶられたということに なる。拉致 問題の解決を棚上げにしても、成果としてブッシュ政権は「北朝鮮の核施設を破壊した」とでもアメリカ外交史に書き加えたかったのだろうか。

そして6月26日、アメリカは、北朝鮮の「テロ支援国家解除」の発表を電撃的に行った。こうしてみると、結局、13日の日本政府の北朝 鮮への「対 北朝鮮制裁措置」の一部を解除するという発表も、アメリカと北朝鮮の2カ国協議の中で合意された「テロ支援国家指定解除」のシナリオの前奏曲に過ぎなかっ たことになる。

 5 横田早紀江さん31年の思いを語る

6月26日のアメリカによる北朝鮮の「テロ支援国家解除」の発表を見透かしたように、6月21日、横田早紀江さんは、世田谷市民の前で 次のように静かながら思いの丈を込めて語った。

 ◆31年間北朝鮮に翻弄され続ける拉致家族
本当に大変な中でしたけれども、先日から日朝協議の中で、非常に私たちが、今度こそと期待しているとダーンと落とされ、いつもいつも覆されてきま した。今度こそはと思っていると、また違った方に流れていく。どうして北朝鮮問題というのは、こういう風なことになるんだろう。ということを色々な意味で 学ばさせていただいております。

日朝協議に行ってくださった斉木大洋州局長は、本当に長い間、私たちの拉致問題を共に、背負ってくださって、本当に強いメッセージを出 してくださって、あちらの人と対しても、机を叩いて、いい加減にしないか、と言ってくださる珍しい方なんです。

私たち家族会は、みんな信頼しておりますし、今回の時も、信頼して頑張ってきますから、と言って行ってくださったので、非常に信頼して いたところが、あんな風に、どうして簡単に、万景峰号の一部入港を解除するということになったんだろう、と思っています。

これは今も分からないんですが、私たちは斉木さんを信じていますけども、本当にこれは総理の最終的な判断でなさったのか、それとも外務 省のもっと 上の方達との話の中で、こういう風になっていったものか。斉木さんご自身も、こんなつもりではなかったと思っているかも知れません。何か私たちには言えな いような北朝鮮との制裁を解除できるような良いメッセージを北朝鮮から、貰ったからこういう風になったのかということなのでしょうか。それならよろしいの ですが、私たちには今も分からないです。そこに何があったんだろうと。

 ◆万景峰号は悪の船
万景峰号という船は、皆様もご存じなように、本当にあれほど、悪い船はないんですね。新潟港に入ってきて、ずっとそうでしたけれど、色々なものを 運びます。修学旅行生たちが、皆乗っていきます。でそういう中に、お菓子の袋なんかを持っていく、その中の一番下に必ずたくさんのお金が入っていて、みん なそれを収めるように持って、それは見逃しにされていたということが、たくさんありますし、そして色んな日本の機器が行きますね。そういうようなものも、 向こうは全部それを解体して、その中の大事なものを、軍備の器具に使うために使う。お金は、あの飢えに苦しむ国民には、行ったことがない。もらったことが ないと脱北してきた人たちは、皆言っています。それほど苦しい生活に苦しんでいる人たちがたくさんいらっしゃるわけなんです。

それなのに、平壌の中の一部の指導者の人たちは、全部それを自分たちのものにして、やっている国であるということを、脱北してくる多く の人たちと か、そのことを証明していらっしゃいますけど、(その中には)「戦争をしてでも、この国は変わって欲しい。変えて欲しい」と言っている人がたくさんいるん です。

 ◆北朝鮮で行われている人権侵害
そういう北朝鮮の本質というものは、歴史的な問題もありますし、あちらの民族性という問題もありますけど、この平和な日本の中で、何でもありま す。何でも買えますし、何を言っても自由です。そういう中で、平和で良かったというように暮らしているモノの考え方とは、まったく違った国で、ちょっと世 界に類のないような独裁政治、恐怖政治というか、ちょっとでも上の人たちに反対すれば、すぐに強制収容所に放り込まれて二度と出てこれないような罪なき人 が、今でも政治犯として棒で叩かれたりしているんです。

その人たちは、がりがりに痩せて、お粥をやっと一杯、朝いただくぐらいが精一杯で、後はもの凄い労役で、骨が出て、バラバラと皮膚が垂 れ下がって いるような人たちです。棒で叩かれ、労役で死んでしまえば、もうそんなものは人間ではないと、どっかに放り投げられてしまうような人が、累々といらっしゃ るわけですね。そういうような国と今外交をしているわけなんです。そういうことが日本は分かっていない。私たちも分からなかったんです。

こんなことがなければ。そんな国がもうご存じなように、核を作っていたんです。あれは軽水炉とかいうのを、アメリカとかみんなで支援を したわけで すけれど、それでも核は絶対にしないと、約束していたにもかかわらず、それを裏切って、核を作っていたということが分かったわけです。それ以外にも拉致も していますし、偽ドル、それから麻薬、麻薬をあちこちの国に渡していると聞いています。

 ◆娘めぐみのニセの骨について
2002年9月4日、不審船が入ってきて、銃撃戦で、日本側が初めてこれを沈めました。今までは、日本は「銃撃してはいけません」ということに なっていますから、向こうが撃ってきて、こちらが死んでしまいますから、やっと撃って、沈めて、初めて、上げて皆さんに見えるように陳列しています。それ ほどにして、自分の国のことを一切外に知らせない。見せない。そして拉致をした人たちを利用する。だけども絶対に見せない。死亡したとして、骨まで見せ て、外務省の前の局長が、白いテーブルクロスのような布にくるんで持って帰られました。そしてこの骨を私たちに公表してもよろしいでしょうか。と言われま した。聞かなくてもいいことです。何でこんなことを言うのだろう。と私は思いました。そんな人を欺くことぐらい北朝鮮は平気なんです。こんな大変な思いを して、生きていると思っているものを、死んだこととして、持って来たのであれば、誰に聞かなくても、すぐに鑑定に出して、それをはっきりと、国民の方全部 に、明らかにしてくださいと、私は本気で思いました。

DNA鑑定をしてくださったお陰で、これがめぐみの骨ではなくて、ふたりのまったく違う人の遺骨だったということが、発表されました。 それで、や はりめぐみは、そんなにまでしても、隠さなければならない。そして後、残された人は、死亡と言われた人は、どういうことになっているのか、分かりませんけ れども、死亡として、洪水で骨が流されたから分からない。まったく分からない。見つからないとして、そういう形で向こうは言ってきて、これで拉致問題は、 終わりですと、言っているんです。

これは違う骨だと言ったら、北朝鮮は日本の鑑定が間違っていると主張しだしました。そしてその骨を返しなさいとか、言っています。勝手 によその国 に土足で入り込んできて、何の罪もない子供たちを、無理矢理目隠しをして、猿ぐつわをして、ぐるぐる巻きにして、袋を被せて、曽我さんも、蓮池さんも、地 村さんも、みんなそうですけども、船に二回も乗せられて、母船に移されて、そして日本海を運ばれて行ったんですね。本当にどんなに怖ろしい思いをした分か りません。

 ◆拉致された事実が分かっていても救出できない国日本
何の罪もない者が、30年も経って、まだ助けてあげられない。こんな国があるでしょうか。私たちはそのために、一所懸命にこうやって訴えてきまし た。けれども、今回の日朝協議でも、あんなに措置をして、日本の情報を全部持って帰っては、また持っていく。そして向こうの国会議員であると言う人が堂々 と日本に入り込んできては、また秘密を色々と知って持って帰るというようなことが、明らかなはずの船「万景峰号をどうか早く止めてください」と私たちは、 何度、新潟の埠頭で雨の日も、風の日も、暑い日も、救う会の方々、そして多くの国民の方々と、一緒になってメガホンを持って、「帰ってください。」、 「入ってこないでください。」と、どれだけ、叫んできたか、知れません。

ようやく安倍首相の時代になって、やっとあの船が止められた。それで随分圧力になったのに、向こうは日本の美味しいメロンだとか、そう いうもの を、向こうの指導者が喜んで食べるものが、まったく入って来なくなったという、大変な圧力がかかっているのです。ですから、これだけは、最後のカードとし て、解除しないということを、私たちは言い続けてきました。それなのに、今回何も分からない中で、一部人間は入れないけれども、物品だけは、自由にしても いいというような形で、一部解除されたわけです。その物品というものがクセ物で、それをどれだけ、監視できるかということですね。今まで見ていても、ホン トにルーズなままで、何十年きたわけですね。

で、今度、それをするのも人間です。監視するのも人間です。その監視する人が北朝鮮に買収されれば、利権を入れれば、見過ごしていくわ けですね。 そうすると、何が入っているか分からない。何がくるか分からないという状況が、起きるんではないかと、私たちは非常に懸念しています。こんなに大変な問題 だけは、どんな思いで私たちが、国民の皆様と一緒に、阻止できた圧力となるものを、(放棄して)「これだけは解除しないでください」と、この間、町村さん にお会いした時も、私は申し上げてきました。これから先、向こうがどういう形で、行動を起こしてくるのか、どういう風な形で、調査ということをはっきりし てくるか、分かりませんけれども、今まで、調査しますと、言っては、そのような拉致した人は、国内にはいませんと、言うことでした。

 ◆拉致された子供たちの父母としての意地
私たちは、そんな人はひとりも見たことはありませんと。調査の時、まずそんなこともありましたし、また次の調査の時は、今度は調査の結果、このよ うな形で、みんな死んでいました、というような色んな死に方を表してきました。そして最後にウソの骨を出してきました。そのようなことを堂々とやっている 国だということが、世界中に分かっているのに、何で世界中の人が、こんなことは間違っているんですよということを。そして、あなた方をいじめているんでは なくて、これを直して、本当にみんなを返して、そしてちゃんとしたことを根幹にやれば、あなたたちの国も幸せになるんですよ、ということを、みんなの国が どうして、一時危機的なことがあっても、口を揃えて、六者協議の中でも、言えないんだろうかと、私はそれが不思議でしょうがないんです。

人間として当たり前のことなんです。日本の子供がそうなっていて、六者協議の場に赴かれたとしたら、絶対に何かおっしゃるはずなんで す。誰もが親 でありますから、親の心を持っていれば、「私たちの子供をすぐに返しなさい」と強いメッセージは言えるはずだと、みなさんにお願いしているのです。ブッ シュ大統領にもそのように申し上げました。そのようなことで、これからも、この後の北朝鮮の動き行動というものを見て、日本も色々動きます、ということで すので、皆様と共に、日本が騙されないないように、足下を掬われないように、しっかりと見守っていただき、これからも応援していただきますように、お願い 致します。(採録佐藤)

 第二部

第一部に続いて、第二部では、早紀江さんの短歌の創作のこと、キリスト教への入信の話が語られ た。短歌については 特別に短歌を勉強したわけではなく、失踪しためぐみちゃんのことを思っているうちに、自然と言葉が沸いてきたと語った。キリスト教への入信については、さ まざまな新興宗教が来たなかで、聖書を読み解く中でしっくり来て、それ以来、教会に欠かさず通い続けていることを明かされた。ここでは、この箇所について は省略させていただく。興味のある方は、最後に資料「2008年横田夫妻の夏 講演録」として全文テキストを添付しているので、参照していただきたい。

ブッシュ大統領との邂逅について、早紀江さんは、率直に語られた。

 6 ブッシュ大統領と の懇談

アメリカに何度も行きました。議員の方がたくさん付いてきてくださって、何度も議会の方にもお願いしたりしてきましたけれども、下院の方で、公聴会があ りました時に、今のようなお話しをさせていただきました。これこそは世界中が、声をひとつにして、北朝鮮という本当に怖ろしい国、その国が核を持ったとい うことを、本当に怖ろしいことで、核はどうしても、それを止めさせなければなりませんけれども、核を申告するといっても、誰も見えない、見せない国ですか ら、それをどこまでホントのことを言っているかということが分からない。そうしたからと言って、(制裁を)緩めた時に、もっと違うところに、もっと大きな 核を持っているかもしれない。違うところに核施設があるかもしれない。それを誰一人、見ることが出来ない国と交渉するわけですから、そういう国だというこ とを分かって、世界中の国々がひとつになって、メッセージを出してくださいということを私は申し上げて来ました。みんなそれぞれが、母親、父親であります から、人間の命が、どんなに大事なものか、それを分かってくださいと、言うことでお願いをしてきました。

まさか、ブッシュ大統領お会いできるとは思っていなかったんですけども、本当に思いがけなく、前の夕方に明日ブッシュさんがお会くださるそうですよ、と加 藤駐米大使がホテルまで、迎えに来てくださって、長男の拓也と一緒に行きました。

拓也は、めぐみが向こうに連れて行かれて半年くらい経った時に映された悲しい顔をした写真が、あそこに掛かってありますけれども、白いブラウスを着たあ の時のままの写真を息子がぶら下げて入ってきまして、それを上に掲げて、ブッシュさんに見せました。これは私の姉です、こんな悲しい目をした姉は見たこと がありません、本当に何も悪いことをしていない。一生懸命に勉強をして、バドミントンの練習をして帰ってくる時に、自分の家のすぐ近くで、工作員に連れて 行かれて、で30年も経っているんです、これは半年くらい後に映された写真だと思います。どうか、姉を助けるために、協力ください、とブッシュさんにお見 せしました。

その時、ブッシュ大統領は、非常に悲痛な顔をなさいまして、許せないことだ。この子の体がこの部屋にはないけれども、この写真を私たちと一緒に写しても らいましょう。とおっしゃって、テーブルのところに立てかけてくださって、私たちと一緒に記者の方々に、写真を写していただくことができました。その時、 ブッシュ大統領は、ひとつの国の国家の指導者が、他の国の何の罪もない者を拉致をしてこいと指令をするような国があるなんて、信じられないとおっしゃいま した。そしてこのお母さんは、何も欲しがっていない。ただ自分の娘を返して欲しいと、この胸に返して欲しいと言っているだけなんだから、その指導者は、す ぐにたくさんの子供たちを、その親の元へ返しなさいと、新聞記者がたくさんいらっしゃるカメラの前で、言ってくださったんです。本当に感動的な出会いでし た。私はその時は、ブッシュさんが大統領だとか、あんまりそんなことは、考えておりませんでした。私はひとりの母親であり、ブッシュ大統領も、ひとりの父 親であるんだと、父親として、母親として、感じていただければいい、という思いだけで、ここで話している時と同じように、普通にお話しをさせていただきま した時に、何とかしなければいけない、必ず取り戻せるように何とか頑張りましょう、と言って、(ブッシュさんは)短い祈りをしてくださったのです。本当に 感動的な思いで帰ってきました。

 7 核廃絶と拉致問題 は表裏一体の問題

けれども、こういった大きな国際問題として、色々な国と国との外交の中で、国益というものがあって、その中で、核の問題、拉致の問題、ミサイルの問題、 色々なことを含めて、流動的に動いている中で、まず核は世界にとってもの凄い脅威なものですから、何としてもこれだけは、日本を含めて、阻止しなければな りません。向こうはそれを作らないで、破棄するようにし向けなければいけませんけれども、先ほども申しましたように、それが果たしてどこまで、本当にどこ まで全部破棄したのかということは、絶対に分からないんですね。

中に入っていくことができない国ですから。だから、それでも、援助をして緩めて、という外交が、本当に良いのかどうか、ということは、私たちは今分から ないんです。ホントに良いのかしらと。後でどんなことが起きてくるのかなと。少しずつ国益に利することが、あっても、もっとそれ以上に大変なことが起きる のではないかと、非常に不安な思いを持っております。今、山崎拓さんをはじめとする70名を越えるような人たちが、日朝友好議連というようなものを立ち上 げまして、拉致議連とは、真反対の考え方をした人たちが、動き出しています。

そして(日朝)国交正常化を、まずやるべきだと、その人たちは、言っています。そうすれば、中に入っていって、色んな交流が出来て、拉致被害者も分かると いう考え方なんですけども、とんでもないことです。

ちゃっとした大使が向こうに常駐の人が居ても、北朝鮮ではある範囲から出られないという(横から滋さんが「範囲は35キロ」と示唆)ことがあります。そ ういう決まりがあって、絶対にそのワクから出られないんですね。だからその人たちが(友好議連)が行ったって、隠しているもの(核)を見つけることなどで きませんし、むしろ国交正常化が先になされれば、拉致被害者の人たちは、こんな人たちはまったく居なかったということで、完全にもう抹殺されてしまうと私 たちは、非常に危惧しております。

ですので、これ(拉致問題)は、強いカードとして、日本のカードとして、これをちゃんとしなければ、絶対に支援は行かないんですよ。お金も行きません よ、ということで、世界の国国と一緒になって、言い続けなければいけないことだと、私たちは運動してきましたし、このことはどうしても合点のいかない問題 なんです。皆様方は、どういう風にお思いになられるでしょうか。長くなりしたが、私の意見を言わせていただきました。(採録佐藤)


 8 拉致問題解決への近道

 ◆アメリカの外交政策に組み込まれた拉致問題
さて、ここで現在に到るアメリカブッシュ政権の北朝鮮政策について、簡単に整理しておきたい。タカ派的なスタイルで登場したブッシュ政権にとって、北朝鮮 に対する基本的な認識は、「悪の枢軸国」(2003年1月一般教書演説でのブッシュ発言)が、如実に示すように決して良くない。また「ならず者国家」言い 方をすることもしばしばであった。

しかしそれでも、今日まで北朝鮮が、軍事大国アメリカの直接的な攻撃対象とならずに、凌いで来れた背景を、大雑把にみれば、東アジアの複雑な地政学的事情 や北朝鮮と結びつきの強い中国やロシアなど外交的バイアスがアメリカに掛かっていたためと考えられる。

そしてやはり一番大きかったのは、イラクが潜在的に保有している石油の権益確保の問題だろう。つまりアメリカにとっての最大の関心事は、現代文明そのもの が、化石燃料「石油」に依存しているという絶対的条件から、世界最大級の原油産出国であるイラクをアメリカ流 経済システムの中に組み込むことだったと考えられる。したがって北朝鮮問題というものは、どのように考えても、アメリカ型グローバル経済の見方からすれ ば、2 番手、3番手の問題であったのである。

そんな中に、あって北朝鮮は、自国内の国民の疲弊や食糧問題を度外視して、強力に核開発を進めてきた。もちろんこれは、北朝鮮にとって、最大の外交カード というよりは、誰に何と言われようと推し進めなければ、国家と政権維持が維持できないほどの死活の政策というものだった。彼らは核を保有し、弾道ミサイル をアメリカの同盟国である日本、韓国、そしてアメリカまで届く長距離ミサイルの開発を行っていることを自らで演出してきた。周囲からは綱渡り外交と言われ ながら、このことを最大の武器として、 北朝鮮は、アメリカとの2カ国協議の場においても、また六カ国協議の場においても、外交交渉を有利に展開してきたように映る。

またブッシュ政権にとって、決定的だったのは、あれほど鳴り物入りで進めたイラク戦争が、泥沼化して国民の支持を失い、国際的信用も失墜し、与党共和党 が、06年11月に中間選挙で惨敗したことだ。これによって、ブッシュ政権の北朝鮮外交も変化を余儀なくされた。

丁度、この年の4月、拉致家族の横田早紀江さんは、訪米をして、下院の公聴会で拉致問題で証言をした。さらにホワイトハウスでブッシュ大統領と会談をし た。この時、議会でも、早紀江さんの証言は、深い感動を持って受け止められた。またブッシュ大統領は、会見後の記者会見で「胸に迫る会談だった。北朝鮮 は、この母の胸に直ちに娘さんを返しなさい」とまで語った。

 ◆ニューズウィーク最 新号の見解
政権内で何があったのかは、不明だが、直近のニューズウィーク誌(08年7月9日号「対北朝鮮外交、自爆の舞台裏」)は、次のように語る。

「06年11月、共和党が中間選挙で惨敗したことでブッシュ政権の政治的求心力が失墜。・・・そこでブッシュとコンドリーザ・ライス国務長官は06年12 月、ある決断を下した。6カ国協議の米首席代表クリストファー・ヒル国務次官補に北朝鮮と直接交渉することを初めて許可。米政府筋によると、国家安全保障 会議(NSC)内の異論や国防総省の反対を押しきっての決断だったのが、「ライス=ヒル路線」だ。」(前掲 23頁)

おそらく、ブッシュ大統領は、中間選挙の敗北もあるが、横田早紀江さんとの会談で深く心を動かされて、北朝鮮問題という難問を、拉致問題をも含めて、自分 の政権が存続する2008年秋までに、解決するとの決断を下し、これを「ライスとヒル」さんに命じたのではないかということだ。ブッシュ大統領にとって、 この早紀江さんとの対面は、大変重いものだったはずだ。アメリカ政府が、いよいよ拉致問題で本格的に動き始めたと、日本の拉致家族とその支援者たちは、こ の2カ国協議の行方を注目した。

ところが、ブッシュ大統領の思いとは別に、この交渉ははじめから難航した。はじめは自信満々だったタフネゴシエイター、ヒル代表の表情にも生気が感じられ なくなった。そしていつしか、「彼はキム・ジョン・ヒルだ」(キム・ジョン・イルの言い分をばかりを聞く外交官との意味か)などと揶揄(やゆ)されるまで になった。

それでも、昨年のヒル氏は、粘った。そしてこの間の裏の事情について、ニューズウィーク誌は、次のように語る。

『実は昨年の春ごろから、ヒルは北朝鮮のテロ支援指定解除のシナリオを描いていた。6カ国協議を前進させるには日本の拉致問題の「前進」が必要だと考えた ヒルは、金外務次官と会談。よど号犯と日本への引き渡しと拉致問題の再調査を行えば、テロ指定を解除する筋書きを提示したと。6カ国協議に近い情報筋は言 う(いずれも今年6月の日朝協議で合意された)。

日本政府は、当初このシナリオに不快感を示して拒否、だが日本は米政府のテロ支援指定解除の再考を求めつつ、昨年夏ごろからこのシナリオを水面下で検討し はじめていたと、この筋は言う。』(前掲 23頁)

さてこのように見てくると、この間の流れが鮮明に見えてくる。つまり、6月13日に発表された日朝実務者協議で北朝鮮側が、「拉致問題の解決に向けて再調 査とよど号犯の引き渡し」を提案を受けて、日本側も「制裁措置の一部を解除する方針」を示したこと。さらに、6月26日には、ブッシュ大統領の「北朝鮮の テロ支援国家指定解除」という発表も思い付いたように出たものではないということだ。

以上の流れから言って、ブッシュ大統領が、横田早紀江さんとの約束を忘れて、北朝鮮を利するために行った決定ではないことがはっきりしている。しかしなが ら今度のブッシュ政権の決定は、あまりにも妥協的な内容だった。そこで日本国内では失望の声が上がり、ブッシュ大統領は、「拉致問題を忘れているわけでは ない。」と日本国内の動静に配慮を示した格好だ。

 ◆45日間の猶予期間で何かが起きる
米朝の合意と北朝鮮によって示された「申告書」の内容は、横田滋・早紀江さんら拉致家族の人々のみならず、日本政府の外交スタンスから言っても、承服でき ない幾つかの問題を含む内容だ。まず、第一に「再調査」と言っても、その内容の検証に、日本側が関わる事ができないなど、従来のように、北朝鮮側の一方的 な調査内容の披瀝に終わる可能性が高いこと。第二にシリアへの核の移転疑惑などの「核拡散疑惑」が、今回の申告書では棚上げになっていること。第三に北朝 鮮の核兵器の廃棄問題が曖昧であること。第四には北朝鮮国内における人権問題への取組の記述がないことなどだ。

したがって、「申告書の完全かつ正確な検証」とは言っても、そこには自ずと限界があることは明確である。特に申告書の文言の解釈をめぐっては、その「検証 の範囲」については、はじめから北朝鮮と国際社会の間で、見解の相違が生じることなどが当然予想される。そうすると、北朝鮮外交の常套手段であるノラリク ラリの戦術が、ブッシュ大統領の任期一杯まで続くことが予想される。

この申告書には、45日間の猶予期間が設けられているが、果たしてこの検証期間として十分だったのだろうか。大いに疑問が残る。この45日間、私たちは、 徐々に見えて来るであろう検証内容について、それが「十分かつ完全」なものであるが、厳密にチャックし、声を発していくことが必要だ。最高の結果は、もち ろん北朝鮮が、これまでの核開発や麻薬売買、偽ドル紙幣の流通、それに拉致という犯罪行為に手を染めいたことを悔い改めて、国際社会に入りたいと率直な姿 勢を示すことだ。そうなれば、文字通り、アメリカは、「北朝鮮のテロ支援国家指定解除」をして、国交を開くだろう。しかしそうでない時には、この「「解 除」の意向を翻すことだって、十分に考えられる。

 ◆拉致問題から目を離さず・納税者としての自覚を
2008年夏、拉致問題は、大きなターニングポイントに差し掛かったようである。私たちは、この記事の中で、一人の母親の叫びが、アメリカ大統領の政策を も動かした事実を見てきた。同様に、私たちが、この問題に注目し、世論を喚起することは、その大統領の発言にも影響を与えることも分かった。

さて30年以上もの長い間、愛する肉親を掠われたままになっている拉致家族の人々をどうすれば支援することになるのか。それは、私たちの一人一人が、この 問題に対する、興味を失わずに、周囲の人々とこの問題について意見を交換することから始まっていくものだと思う。それと、もう一点、私は納税者としての立 場を意識することだと提案したい。つまり、いかに6カ国協議で合意形成が生まれ、その結果北朝鮮に渡る資金があったとしても、その出所のほとんどは、私た ち日本の納税者とアメリカの納税者の懐から生じるものである。だから私たち日本人は、経済支援の面で言っても当事者そのものなのである。

そのように拉致問題、北朝鮮問題に対し、日本人が、当事者としての強い自覚を持つならば、難しいと思われたこの問題も必ず良い方向に、道が開けていくと思 いたい。拉致問題解決の第一歩は、私たちの一人一人が、横田夫妻の発言や流れてくるニューズに敏感になり、声を掛け合って、内外の世論を喚起していくとい うことから始まっていくのである。了

資料 08年6月21日横田夫妻講演録




2008.6.30-7.06 佐藤弘弥

義経伝説
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