淀川さん・サヨナラ

淀川長治さん逝く

「サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ」の映画評論家淀川長治さんが、本当に人生に「サヨナラ」をした。映画批評一筋に生きた89歳の人生であった。彼は生涯を独身で通した。「私は映画と結婚したから」と言って、周囲を煙に巻いた。私はある時期、淀川さんが大嫌いだった。
 

その理由は、「私は嫌いな人に会ったことがない」と、彼がテレビで発言したことに始まる。若い頃、血気盛んな映画青年だった私は、「ふざけるな、あんなジジイに何が分かる。第一嫌いな人間がいないということは、嫌いな映画もないということになるのではないか?そんなセンスで映画評価なんか、できるものか」と、たちまち嫌いな人間の一人となった。

しかしある時、淀川さんの自伝を読んで、まるっきり淀川さんに対する見方が変わった。そして淀川さんは、映画同様、人間そのものが、好きで、好きで、仕方がない人なのだ。「嫌いな人にあったことがない」のではなく、「嫌いな人を作らないように努力している人」ではないか、と考えるようになった。もちろん淀川さんだって、人間だから、虫の好かない人間がいて当然である。しかし彼はそれをすべて飲み込んで、人間そのものを愛し続けたヒューマニストだったのである。

彼の自伝を丹念に読めば分かることだが、実に厳しい感性の持ち主だ。もちろん良い意味でだが結構、人も悪い所がある。第一映画に関しては頑固で偏屈だ。特に生涯の仕事となった映画評論に関しては、一切の妥協というものがない。当然、自分が駄目な映画と思う映画には、情け容赦のない批評を加える。嫌いで嫌いで仕方がない映画というものもあるようだ。それならいい。たちまち大好きな評論家となった。

映画監督の大林宣彦は「自分が気に入らない映画を撮ると、淀川さんはすこぶる機嫌が悪く、よく体をつねられました。しかし自分が納得された時には、手を取り、涙を流さんばかりに、喜んでくれました。だから映画を完成させても、淀川さんには、見て欲しいような、それでいて、見て欲しくないような複雑な気持ちがしたものです」と語っている。また寅さんの山田洋二監督でも「あなたの映画は色気がない」と酷評されたこともある。

タケシも淀川さんの大嫌いな「芸人」の一人だった。おそらくタケシの下品なおちゃらけが我慢ならなかったのだろう。ところがタケシがいったん映画を作り出して、監督北野武に変身すると、一転して彼の才能を高く評価し、まだ自信がなかった「タケシ」を励まし続けて、今日の「北野武」という映画監督を育てあげたのである。

すばらしい批評家なくして、すばらしい芸術作品は、生まれてこない。ある意味では、名作は作家と批評家の共同作業の側面もある。その意味では、作家黒沢明と批評家淀川長治を失った日本の映画界の先行きは暗い。あの山田洋二にしても今回の「学校V」程度の映画で喜んでいるようでは話にもならない。また日本映画界は、大切な宝を失った。映画を愛し、人間を愛した89年の人生に敬意を表したい。佐藤
 


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1998.11.13