啄木の歌とワーキング・プア


ワーキング・プアとは何か?!

 

最近よく、「ワーキング・プア」という言葉を耳にする。
 
ところで、石川啄木(1886ー1912)の歌集「一握の砂」(我を愛する歌)に、

 はたらけど
 はたらけど猶わが暮らし楽にならざり
 じっと手をみる

という歌がある。だれもが知っている歌だ。最近、NHKの番組で、「ワーキング・プア」のドキュメンタリー(*注)があり、改めて啄木の歌 の現代的意義を考えさせられたのである。

 
*注 NHKスペシャル「ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない   〜」(2006年7月23 日(日)9:00〜10:14 放映)

岩手県の渋民村に生まれた石川啄木(1886−1912)は、生涯お金には縁遠い不遇な人生を送り、26歳の若さで亡くなった。

先の歌集の中には、

 何事も金金とわらひ
 すこし経て
 またも俄かに不平つのり来

という歌もある。彼の文学的才能を思うと、26歳での夭折はあまりに短く、残酷で、もったいない人生だったというしかない。啄木は有り余る ような天賦の才を持て余気味に、それこそ自らの感性を一滴までふり絞るなようにして完成させた僅かな作品を遺し、黄泉の国に旅立ったのである。

先の歌は、啄木の社会主義への傾倒を匂わせるに十分な歌だが、この歌の現代的意義は、そのような一過性のものではなく、人間という存在がこの地上にいて社 会生活を営む限り、必ず起こる実感ではないだろうか。それにしても「はたらけどはたらけど・・・」というリフレインが妙に心に響く。この歌に込められた啄 木の身につまされるような生活者としての実感は、現代社会にも通じる普遍的な何ものか、なのだろう・・・。そんなことを、先のNHKの番組を見ながら思っ たのである。

「ワーキング・プア」とは、働く意欲あり、能力もありながら、何らかの事情で、貧困を託(かこ)つことになり、そこから抜け出せずに、頑張って働くもの の、十分な収入が得られない状態を指す言葉である。一般に「働く貧困層」と訳されているようだ。

現代日本では、最近「格差拡大」という言葉が、盛んに使われるようになった。この「格差拡大」は、社会全般の傾向であり、それを個人の生活のレベルに置き かえた時、この「ワーキング・プア」というものになるのであろう。

ともかく、この啄木の「はたらけど」という歌状況を、どのようにして、乗り越えるのか、ということは、日本政治の極めて重要な課題となっていることだけは 間違いない。NHKの番組では、秋田県の角館の仕立て屋のご主人の生活実態や、同じく角館の10人の大家族の農家が、長男が土木のアルバイト、次男はイチ ゴ作り、両親は米を作り、さらにツケモノを朝から晩まで作って、売っても、家族全員の年収が5百万円にも満たないという驚くべき現実を見せつけられたので あった。

秋田県は、この数年間、自殺日本一という有り難くない汚名をきている県である。また医療でも、確かガンからの生存率が日本一低い県ではなかったか。観光に おいて、角館市は、全国においても成功している街のひとつといわれている。しかしながら、よく見れば、中央との経済格差は、拡がるばかりで、悲しいほどの 「ワーキング・プア」的傾向が、そこに住む人々の暮らしを暗いものにしているのである。

最近、また秋田では、わが子(女子)を殺害した挙げ句、隣の子も殺害するという暗い事件が起きた。聞くところによれば、容疑者の母親は供述において「東京 に行くのに、子供が邪魔だった」というようなことをほのめかしていると聞く。彼女もまた「ワーキング・プア」かどうかはの価値判断は難しいが、金銭的貧困 のなかで、あのような事件を起こしたことだけは疑いのない事実だ。

ここまできた「格差拡大」と「ワーキング・プア」問題を真剣に考えなければ、日本中で、ますます不可解な事件が起こって来るかもしれない、と怖れる。それ は現代人の潜在意識と深く共鳴する啄木の次のような歌が、かの「一握の砂」の中に眠っているからだ。

 死ぬ死ぬと己を怒り
 もだしたる
 心の底の暗きむなしさ

 どんよりと
 くもれる空を見てゐしに
 人を殺したくなりにけるかな 

  
どうだろう・・・。啄木の歌は、まだ私たち日本人の心の中で生きているのではないか。

私は、「ワーキング・プア」という流行り言葉が聞かれる先に、かつて日本人が国内の貧困のはけ口あるいは希望の光として軍国主義の進軍ラッパに踊らされる ようにしてアジアに活路を見出した数十年前の悪夢を思い出してしまった。
 


2006.7.26-2007.5.21 (加筆訂正) 佐藤

義経伝説

思いつきエッセイ