歌が生まれる時

 
 
 
赤々と紅葉を映す花山の青き湖(うみ)飛ぶ蜻蛉(あきず)の群は


最近詠んだ私の歌にこのような歌がある。これを口ずさんでどのような印象を受けるであろうか?まずこの歌から受けるイメージを是非自分なりに頭の中で構成して置いてもらいたい。

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さてこの歌は、宮城県の花山という村の情景を詠んだ歌である。花山は、栗駒山の南麓にあり、宮城から秋田に抜ける番所がある風光明媚(ふうこうめいび)な過疎の村である。特に秋の紅葉の季節には、全山燃えるような景色となり、観る者の眼を圧倒する。栗駒山から、しみ出た清流は、一迫川という川を形成し、やがて栗原を横切って、太平洋に注ぎ込んでいる。そして花山は、あの剣豪千葉周作を輩出したほどの武士魂が根付いていた誇り高き土地でもある。(但し千葉周作の出生地には異説もある)

そこに戦後、電力の供給と治水のためにダムが造られた。いくつかの村落がその人工の湖の下に沈んだ。今そこに行く人は、青いその湖底の下に、遠い過去様々な物語があったことを知る人はいない。それがたまらなく悲しいのである。かつてそこで暮らしていたであろう人々は、無言のまま、湖水の下に眠っている・・・。

秋の湖水は、空の青さを映し、また赤々と燃える紅葉を映して輝いている。人は、そこを訪れて、声を無くして、ただ「綺麗だね」と言う。しかし誰一人、かつてそこには暮らしていた人々の生活の場があり、喜びや悲しみの日々が山と積まれて、そこにあったことを知らないのである。

今はただ湖水の上を赤トンボが、群をなして飛び交っているばかり。トンボは、太古の昔から、全てを見ていたはずだ。この村がいかようにして、現在のような姿になったのか。

もう誰もいない。かつてそこで生まれ、学び、結ばれ、子を生み、一族をなし、そこで暮らした人々の思いでも夢も、みんな、みんな湖底の下に沈んでしまったのだ。

栗駒山には、あとふたつ、人工湖がある。一つは二迫の荒砥湖。ここには通称悪路山と呼ばれる揚石山があり、かつて坂上田村麻呂に成敗されたという人物、悪路王伝説がある。

荒砥の彼方に霞む駒峯を悪路の王もいかにとや観む 
もう一つは三迫の玉山の地に造れた栗駒湖である。玉山の地名は、かつてそこに天上より赤い玉が落下し、三日三晩昼夜を問わず赤々と輝いていたことに因んで命名されたと伝えられている。
くりこまの湖水に眠る玉山の氏の祠(ほこら)はあの辺りかも  
歌はこのようにして生まれる。自分の感情を凝縮し、一つの形を作り、リズムを生み出す。そこに何とも言えぬ痛切なる感情が31字の中に現れてくるのである。佐藤


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2000.11.24