書評 「日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり」

アメリカ文明の下で
浦島太郎化した日本人

 はじめに

本書は、日本社会分析の名著「人間を幸福にしない日本というシステム」(1994 毎日新聞社刊)の著者カレル・ヴァン・ウォルフレン (1941- )の新著である。

この書の視点は、1989年の冷戦終結後、世界の覇権国家として躍り出たアメリカという国家の歴史的役割について、ふたつの代表的な書 を批判検討し、覇権国家アメリカの歴史からの後退を予見し、歴史認識に変更を迫る意欲的な論考だ。

批判する書のひとつは、冷戦後アメリカの世界が歴史的な役割を担うとしたフランシス・フクシマの著作「歴史の終わり」(1992)。そ して、もうひとつは、西洋文明と他の文明の対立を不可避と分析したサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」(1998)の世界観である。

著者は、ふたつの書を批判し、覇権国家アメリカの終焉を説明する。と同時にアメリカという色眼鏡で世界を見る日本人の世界認識に変更を 迫る提案でもある。

 1 覇権国とは何か

まず著者ウォルフレンは、第一章「アメリカの覇権は終わった」で、「覇権」という文言の定義から始める。

覇権とは単に支配を意味するものではない。・・・覇権とは、よりゆるやかな形で実 行される支配を意味する。ゆるやかな形とは、覇権国によって支配される国々が、ある程度まで、その支配が及ぶことを自ら望むという形である。

また覇権をもつことは、世界のあらゆる事象をみる際のフィ ルターになることを意味する。つまりゆるやかな支配を受ける国々が、覇権国の眼、つまりアメリカ政府のフィルターを通じて世界の現実をみることになるの だ。このことによって、・・・・グローバリゼーションなる物語が、なぜかくも世界各地で受け入れられたかについての説明がつくだろう。」 (本書 54頁)

つまり、ウォルフレンは、私たちはの眼は、アメリカというフィルター(色眼鏡)を通して、世界を認識していること、同時にアメリカとい う覇権国にどことなく依存する心理が働いていることを明らかにしている。考えてみれば、今でもアメリカとの同盟関係を大事にしていれば、日本経済の持続的 発展は可能だと思っている経済人や頑迷な保守政治家を見かけるが、まざにウォルフレンは、そのような人物の心理を上手く説明しているのである。もっと言え ば、私たちの心は、覇権国家アメリカの発するプロパガンダに骨の髄まで洗脳されているということも出来る。

現に、9.11以後のアメリカのナショナリズムの異様なほどの高まりの中で、「テロの脅威」が喧伝され、日本の首相だった小泉純一郎 は、イギリスのブレア首相などと共に、いち早くブッシュの期待に応える形で、アメリカの「アフガニスタン軍事侵攻」に支持の態度を鮮明にした。しかし、ア フガニスタンへの軍事侵攻は、9,11の首謀者とされたアルカイダ幹部が、アフガンを軍事的に支配しているタリバン政権に匿われているからという憶測に基 づくものであった。当時、国連は、怒りに任せたブッシュ政権の軍事行動を諫めることは出来ず、ついに「テロの脅威」というアメリカによる政治的スローガン は、国際的認知を得て、国連を含む世界中が、アメリカという覇権国の論理を受け入れて、国連部隊を、アフガニスタンに展開することになったのであった。


 2 アメリカの論理「グローバリゼーション」とサブプライムローン危機

何年か後に、このウォルフレンの最新著「日本人だけが知らないアメリカ『世界支配』の終わり」は、21世紀の新たな世界秩序を予見した 歴史的名著と して評価される可能性がある。この著作は、20世紀の覇権国アメリカの時代の終焉を見通し、新たな世界秩序の胎動を知らせる書だ。

その根拠の第一に、この著が、世界経済にブリックス(ブラジル、ロシア、インド、中国を指す)の躍進という強烈な風が吹いていることを 強く意識しつつ書かれている点だ。

本書は、現代世界の認識構造が、アメリカという国家から発信される「増幅された情報」に基づいて形成されている事実を鮮明にしている。

例えば、「9,11」以降、持ち出された「テロとの戦い」あるいは「テロの脅威」というプロパガンダである。しかし皮肉にも、歴史は、 冷戦終結後、 覇権国家と呼ばれて久しいアメリカが、実は彼らの強力な軍事力、政治力、経済力そのものが、新しく形成されつつある世界の秩序を平和裡に保っていけるシス テムではないことを鮮明にしている。

ブッシュが「テロの首謀者を捉える」と、いきり立って軍事介入をしたアフガニスタンは、以前ととして、その目的を果たし得ていない。ま た核兵器を存 在を口実にしたイラク派兵は、核が存在しなかった事実が明らかとなり、それ自身が完全に失敗だったことが明確になった。金融帝国の様相を呈し、世界中のお 金をブラックホールのようにして吸い上げてきたアメリカ経済だが、その内実はサブプライムローン問題によって、実は根拠のない不良資産の証券化 だったことが暴露された形だ。

グローバリズムは、アメリカという幻想国家が、自分のご都合主義で、唱えている「市場原理至上主義」ともいうべきお題目である。その無 秩序な市場原 理主義経済(グローバリゼーション)がもたらすものは、世界的な格差拡大と分配の不公平、そして貧困の増大である。ここにこそ「テロの根」がある。

覇権国家アメリカの権威を持って当然のように語られてきた「グローバリゼーション」は、言ってみれば、無秩序な市場原理主義経済を世界 中に蔓延らせる「魔法の鍵」のようなもの だ。これによって、国家の枠組みや地域経済の伝統的倫理観などをほとんど無視した形でこじ開けられ、形成された経済秩序は、覇権国家アメリカと世界的大企 業とそこに参加する意志のある豊かな資金力を持った新興国家「中国」「ロシア」などによる新たな世界秩序の形成に向かって進んでいるのかもしれない。

根拠の第二は、アメリカの一極支配に、ヨーロッパという古い枠組みを「EU」と、衣更えをして、形成されつつある存在があることだ。現 にこの 「Eu」の強みは、「ユーロ」という「ドル」に代わり得る世界通貨を発行していることだ。その為、現在の石油高騰にもかかわらず、「ドル」に連動している 「円」や他のアジア諸国と比べ、その悪影響は、「ユーロ」高の為替相場によって、軽減されている。

ユーロ諸国は、宗教観、歴史の発展段階に類似のものがあ り、歴史観も似ていて、その世界観は、今後の世界に決定的な影響を及ぼすことが予想される。その第一が、環境問題への取組の真剣さである。この姿勢は、京 都議定書の批准すら拒んできた温暖化の元凶とされる二酸化炭素の最大の排出国アメリカの消極的な態度とは、まさに好対照である。世界認識において、環境問 題への取組は、今やもっとも優先すべき世界的な課題である。覇権国アメリカが、あくまで自国の利害を優先した態度をとり続けるのであれば、アメリカの存在 観は、間違いなく低下の一途を辿って行くに違いない。

最後の根拠の第三は、21世紀に大国化すると予想されている「中国」への歴史認識の確かさだ。現在中国は、一部ではあるがこれを「モン スターと見な す」認識が広がっている。もちろんこれは過剰な中国脅威論のひとつではある。著者ウォルフレンは、世界中で喧伝され、日本の政治家や官僚の中にも根強くあ る中国を脅威の眼で見る見方に疑問を呈している。そして、その論理をテコとしたアメリカ政治の立案者の頭にこびり付いている中国封じ込めの政策を「現実的 ではな い」とする立場を取る。要するに日本は、冷戦時代の日米同盟関係のフレームという幻想の中にいるのである。また覇権国アメリカが台頭著しい中国マネーなし では、夜も日も明けないことを次のように記している。

アメリカ経済はいまや中国の輸入と、中国が購入するアメリカ国債に依存してい る。・・・もし中国がアメリカ国債を買うのを止めれば、それだけでアメリカ経済は壊滅的な打撃を受けることになる。・・・それでけでドルは暴落し、おそら く7兆ドル規模を誇るアメリカ不動産市場も崩壊し、アメリカの銀行は次々に倒産し、おびただしい失業者を生み出すことになるのだ。」(同書  270頁)

以上のことは、中国経済が、覇権国家と呼ばれるアメリカの経済に深く食い込み、重要なパートナーに成長しつつあることを意味している。 アメリカ経済のキャステングボードを握っているとまでは言えないか、アメリカ国債の購入でも、中国は日本を抜いてしまっていることを考え合わせるならば、 少なくても中国経済がおかしくなれば、アメリカも只では済まない関係にあることは事実である。

 3 結論 今の日本人は「浦島太郎」状態

政財界の人間はもとより、日本人全体が、認識しなけらばならないことがある。それは世界の経済構造が、劇的に変化している現在の状況下 において、旧態依然とした「日米関係を大切にしておけば、日本の政治経済の持続的発展は可能だ」という発想は、明らかに竜宮城から帰ってきたばかりの「浦 島太郎」と何ら変わらないことを知ることだ。ともかく、日本人には、発想の大転換が必要だ。

日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり 日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2007-07-20



2008.1.14 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ