書評
 鶴見和子著
遺 言

歌で綴られた未来市民へのメッセージを聴く




「遺  言」鶴見和子著

(2007年1月 藤原書店刊)


人間が人間たる由縁 は、いったいどこにあるのだろう・・・と考えた。

すると私の心は、すぐに答えを返してきた。それは「死というものを身近に感じた時、人間は人間になるのだよ」というものだった。

もしもその答えが間違っていなければ、死の自覚がないうちは、人間としてどこか虚ろのままに生きていることになる。

これはある種の「呼吸」か「間合」のようなものかしれないが、私が何故このようなことを考えるに至ったかというと、故鶴見和子氏の「遺言」(藤原書店  07年1月刊)という文字通りの「遺言書」を読んだためである。

国際的社会学者の鶴見氏は、様々な顔を持つ多面体の人物である。正面を正視すれば、国際的社会学者の顔を持ち、また左の横顔では社会運動家の顔を持ち、右 の横顔は、歌人としての顔を持っていた。歌は、若き日に歌人佐佐木信綱(1872ー1963)に薫陶を受け一冊の歌集を自費出版したものの、その後ずっと 忘れていたものだ。

しかし平成7年(1995)12月24日、クリスマスイブの夕方近く、突然脳出血で倒れると、左半身が麻痺してしまったものの、突如として歌が溢れるよう に湧いてきたというのである。この時鶴見氏の年齢は77歳であった。それ以来、昨年7月に88歳で亡くなるまでの11年間、歌は彼女の不自由になった身体 を支える杖となって機能したのである。若き頃に歌に勤しんだことは実は忘れていたのではなく地球の奥底に眠るマグマのようにただ外に現れなかっただけで あった。

彼女はその時、薄れゆく記憶の中でこんな歌を詠む。

 眠れども眠れどもなお眠き我の意識はいずこにゆくや
 
 眠たけれど眠れぬ夜の慰みに英詩と和歌と交互に遊ぶ

 一糸(ひとすじ)の糸をたどりて白髪の老婆降りゆく 底より新しき人の命蜻蛉の命 登りゆく輪廻転生の曼荼羅図

これらの歌は、いずれも歌集「回生」(独歩書林 1996年私家版刊 後に01年藤原書店より公刊)に収められ出版された。大変な話題を呼んだ歌集だっ た。私は、この歌集のみずみずしさ、凛とした魂の高潔さに震えるような感動を貰った。その時、私は、この人はこの歌集一冊で、この百年の歌人たちの中でも 十指に数えられる歌業と直観した。

人間の心はこの鶴見和子氏に限らず多面体の側面を持っているのであるが、たいていの人は、自分の内にある多面体の一面のようなものを意識することなく、こ の世を去ることが多いのではあるまいか。

鶴見氏の場合は、身体的機能が麻痺した瞬間、第二弾ロケットのように点火して、爆発的に己の生命を支える役割を果たしたことになる。

「遺言」の冒頭に歌が添えられている。

 生命細くほそくなりゆく境涯にいよよ燃え立つ炎ひとすじ

最後の闘病日記(06年5月31日から7月31日)は、こうしてはじまる。しかしその時既に、鶴見氏は、心臓が弱り、大腸癌に罹っていた。それでも最後ま で、生き抜く決意をした鶴見氏であるが、リハビリが180日に打ち切りになったこともたたって、結局寝たきりの状況となり、昨年の7月31日帰らぬ人と なったのである。

06年6月20日、最後の闘病日記を記録した実妹の章子さんに向かい、背骨を圧迫骨折して寝たきりとなった鶴見氏は、このように言ったという。

「死にゆくひとがどんな和歌を詠み、何を考え、何を思って死んでゆくかのかを、貴方は客観的に記録しなさい」と言ったという。まさにこの言葉の中に、鶴見 和子という人物がいる。

そしてこんな歌が詠まれた。

 一切の延命処理お断りと文書く窓辺花散る気配(4月12日)

 この世をばさかりゆく時何が見え何が聞ゆかその刻を待つ(6月19 日)


病室の窓辺から外を見ると、山茱萸(さんしゅゆ)の木の青葉が目に入ったらしく、

 もう死にたい まだ死なない 山茱萸の緑の青葉 朝の日に揺れているなり(7 月10日日)

と詠む。この歌には、人間が生を全うし、最後の最後に死を受け入れるか、どうするかということで揺れ動く真実の葛藤がある。すさまじい迫力の名歌だ。

・・・こうして鶴見和子氏は亡くなった。


「遺言」第2章には、最終講義が収められ、末尾で「遺すことば」として、

鶴見氏の平和思想に基づいて、憲法九条の大切さを説く歌が寄せられている。

 日本列島戦略基地に組み込まれ修羅を招くや我が去りし後に

 九条はありても堰となさざるを なくては奈落へ雪崩れゆくらん

またエコロジーの先駆者である南方熊楠(1867ー1941)の自然保護思想と晩年にユネスコで知り合ったという海洋探検家のジャック・クストー (1910-1997)の「未来世代の権利宣言」を讃えて、次の歌を寄せている。

 山に潜み海へ還りし熊楠とクストーは共に地球守り人

1997年、クストーが提唱した「未来世代の権利宣言」は、「子どもの権利宣言」(1989)に続いて国連で採択され「国連憲章」の中に組み込まれたもの である。無謀な利益優先の開発思想によって、母なる地球は今や瀕死の状況にある。温暖化による環境破壊も年々深刻な状況にある。

私は、この鶴見和子氏の「遺言」という歌で綴られた闘病日記を読みながら、悲しいというよりは、何故か春の風に吹かれたような爽やかな気持になった。

その上で、狭量な思考をまず自分の中で排除し、

 大いなる生命体とう自然より生まれてそこへ還りゆく幸

という鶴見和子氏の辿り着いた豊かな心根に連なりたいと心から思った。
 

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2007.4.18 佐藤弘弥

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