吉野の東南院に行く   
 

吉野の東南院の多宝塔
(2004年11月21日佐藤撮影)
  

金峯山寺の南大門のあったという角を左に曲がって様 々な茶店や土産などの町屋をぬうようにして100mばかり行くと、左に吉水神社の鳥居が見え、右手には東南院がある。

唐に修行に行ったという日円上人を中興開祖とするこの 寺の前には、 目新しく見える多宝塔が聳えていて、荘厳な中にもある種の華やぎを感じさせる。春には、手前にはるしだれ桜が、この多宝塔に寄りかかって見事だと云う。実 はこの多宝塔は、紀州の野上八幡宮の境内にあったものをここに昭和12年に移築したものと伝えられている。どういう謂われががあるのかは聞かなかった。本 堂には、本尊の大日如来が安置されている。鎌倉期の作と伝えられ、他に毘沙門天、不動明王が祀られている。東南院は、金峯山寺にとって塔頭(たっちゅう) に当たる。この塔頭とは、根本中堂にあたる金峯山寺にとって東南に当たる位置に寺を建てて、一山の興隆を祈願する目的で創建されるものである。

また当東南院は、大峯山で修行する修行者や一般の旅人 が宿泊するための宿坊の機能を果たしてきた。貞享元年(1684)9月には、あの松尾芭蕉が、「野ざらし紀行」の旅の時にこの坊に停泊したと伝えられてい る。その時芭蕉は、こんな句を詠んでいる。

ある坊に一夜をかりて
砧(きぬた)打ちて我にきかせよ坊が妻

きっと西行は、この東南院に停泊して、明日行く西行庵 のことが頭にあって眠れずに、この宿坊の妻に砧を打って子守歌代わりに聞かせて欲しいとでも思ったのであろうか。俳諧のクスッとくる滑稽味がよく出ていて 実に愉快な句だ。佐藤
 


2004.12.3

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