書評
 ジャン=リュック・ナンシー
遠くの都市

フランス人哲学者のみるアメリカの都市の印象


佐藤弘弥

「都市」という言葉を耳にする時、人は何を連想するだろうか?ある人は、今自分が住んでいる街を思い、またある人は修学旅行で行った古都京都を思い、また ある人は新婚旅行で訪れたニューヨークを思う・・・と言った具合に。

私の場合は、住んでいる東京という日々ビルが壊されては建ち、また壊されては建ちするテクノポリスを思った。それは東京が美しいとか、汚いとか、その次元 からくる発想ではなく、まさに圧倒的なブラックホールのような巨大な負のエネルギーをもって、周辺都市を呑み込み、日本全土からグローバルエコノミーなる 錦の御旗を振って人間を東京人化するその毒気にあてられてのことである。

「遠くの都市」(青弓社07年刊)は、フランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシー(1940ー )の書いたロサンゼルスについての都市論である。仏語の 原題は「la ville au loin」で、直訳すれば「遠く離れている都市」となる。何故著者は、このような題名を付したのか。

著者ナンシーは、冒頭から、読者をやきもきさせるような書き出しで、

「私たちはみんな、仕事のない都市計画家だし、資格のない都会人性を身に つけている。」と謎めいた問いを投げつける。そして次に「すべての都市は行き止まりである。しかしロサンゼルスには行き止まりは少ない。」

といい、またニューヨークやサンフランシスコでも見られる「アメリカの都市の処方である」ともいう。これはひとつの発見かもしれない。私なりに解釈をすれ ば、アメリカの都市の特徴というものは、境界あるいは結界と呼ばれるものが、無いということではないが、稀薄という印象ということになる。結界がないとは 重要な発見だ。アメリカの都市はすべてにおいて開放的だ。おそらくその原因はアメリカの都市の成り立ちから来る特徴なのだろう。

日本の古い都市にしても、ヨーロッパの伝統的な諸都市にしても、絶えず戦争の危機があり、侵略に対する備えのために様々な工夫がなされる。それは道であっ たり、城壁であったり、川を利用したり、様々な都市の工夫となって現れている。その典型的な例が水の都ベニスかもしない。海岸線近くに都市を形成すること で、ベニスは幾度も、戦争の危機から都市住民を救ったということである。現在もベニスは、絶えず水の浸食と闘いながら、その美しい都市景観を保持し、今日 世界遺産となっているのであるが、都市というものの、成り立ちの多様性を思う時、アメリカの都市というものは、まったく異なった発想で発展した新興都市で あるという認識を新たにした。

磯崎新(1931−)が、ロサンゼルスを上空から見た時の感想を、

「無数のハイウェイが市中を網目のようにはしり、住宅はほとんど平屋で、 立体化することはない。空中からは、巨大なスパゲティをまき散らしたようなインターチェンジ、パーキングを幾重にもまきつけた野球場、馬鹿でかいドライブ イン劇場など、いくつかの特徴的な都市施設は発見できても、遂に都市の全貌はとらえがたい」(「見えない都市に挑む」1967年 筑摩書房刊)

と語ったという。この時の磯崎の印象は、ナンシーの印象の「遠くの都市」ではなく「見えない都市」という印象だっや。このふたつの印象はどこか似通ってい る。私はこれはアメリカの都市の一度も都市が攻められたことがないという歴史によって生まれた都市であるからではないかと思う。いずれにしてもロサンゼル スは、とりとめのないような印象を持つ、ヨーロッパや日本の伝統的な都市とはまったく違った巨大都市であることは確かだ。

同時に、ロサンゼルスには、巨大なハリボテとも言える映画のメッカハリウッドがあり、人工の極みとも言えるようなディズニーランドがあり、その中には人間 の夢をかき立てて止まないシンデレラ城が立っている。また高級住宅地ビバリーヒルズは、桁違いのアメリカンドリームを実現した裕福層が住む一角である。

この高級住宅地について、ナンシーは、

「ビバリーヒルズの化粧漆喰と緑の植栽による気取ったこの大区画は、ヨー ロッパのどの《高級住宅地》よりも、死ぬほど退屈である。」

とし、さらに囁きのようにして小カッコの中で次のようにして本音を漏らすのである。

「ロサンゼルスはブルジュワ的ではない。・・・(・・・プロレタリアの都 市ではないないということだろうし、その逆の社会階級を解消させた都市でもないだろうということである。・・・都市の維持され確保された中心がないために 《都市》の《分類「階級」失効》のようなものがある)

さすがにフランス人特有のの持って回った言い回しである。要するにロサンゼルスにはセンターになる地域建物が見あたらない。だからロスという都市は、都市 という概念からは遠く離れた都市である・・・。おそらくナンシーは、そんなことをこの本で暗に指摘しているのである。

さらにナンシーは、ロサンゼルスという都市をスラム街の現状を戯画化して、「場所の荒廃と非ー局所化」と言い、これは「発展とは逆であり、癌性の増殖なの だ」とまで言い放つ始末である。

使用する文言文体がいかにもフランス的であり、いささか著者の展開する言葉のリズムを掴むまでは骨が折れる難解な本であることは確かだ。しかしながら「遠 くの都市」という題名を著者が付したことを含め、結論として導き出したものには、私としてもほとんど承服できるものだったし、随分考えさせられることが多 かった。

最後に、ナンシーが、アメリカの都市の限界と致命的な欠陥(ナンシーはこれを故意に難解な文言置きかえ《分類「階級」失効》とした)について、これを「セ ンターがない」と指摘している。このことは、この著者が、そのままアメリカ文化の限界をも視野に入れて書いたのではないかと、つい勘ぐってしまった。もち ろんそのことは著者本人に聞かなければ分からないことではあるが。


2007.4,26 佐藤弘弥

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