日本百名山ブーム(?)に物申す

 
 
ちょっとばかり山に興味を持った人が、まず手にする本に「日本百名山」という本がある。

この本は、文字通り、深田久弥(1903−1971)という人物が、自分で日本の数々の山の中から、百の山を選んで並べたものである。最近では、この深田久弥版「日本百名山」であるにも関わらず、「百名山」が一人歩きを始め、「百名山」をすべて踏破するなどという馬鹿げたブームにまでなっている。

この「百名山」を選ぶ時の、深田自身の選択基準とやらが、何やら偉そうでどうも好きになれない。深田が言うには、確か標高が1500m以上で、山頂付近に、祠があるなどの品格を維持している山、というようなことを言っている。したがってどんなに古来より、名山として名高い山でも、高さが足りないと容赦なく弾かれてしまう。随分自分の感覚に自身のある人間もいるものだが、神のものたる山に自分が勝手に優劣をつけてしまうとは、何たる不埒な感覚であろう。大体、この百名山に選ばれていない山とその周辺の事を考えたことはあるのか、いささか疑問に思える。

しかしながら、世の「山好き」と称する人々の多くは、この深田版「百名山」を「山に昇るマニュアル」というよりは、バイブルか、かつての「毛沢東語録」でも携帯する感覚で持ち歩いているように思えてならない。さて深田によって選抜された山は、深田ブランドの山となり、「百名山踏破」などと称して、あちこちの山を登ろうとする登山者も増えているとも聞く。しかしこれが果たしてどんな意味があrのだろう。登山とは、そんな単純なものだろうか。このことを本多勝一は「山を考える」(朝日文庫)の中で、痛烈に批判している。

「日本百名山の限界はなにか、その第一は、大部分が書斎の机上で書けることばかりだ・・・これなら深田さんの手でなくても、山の文献や書誌学的分野にくわしい文筆家によっていずれは書かれる書類の文章でしょう。・・・深田さんの「日本百名山」が実体以上の流行現象を引き起こしたのは、数え切れなぬ日本のいい山の中から強引に「百個」で線を引いて隔離してしまう着想(アイデア)によるものと思われます。こういう無理で強引なことをしたのは深田さんの責任ですが、こんなメダカ的結果までは当人も予想しなかったことでしょう」

要するにこのような、最近の日本人の非常に安易な精神的傾向が、この「百名山」という本を、簡単に受け入れベストセラー化してしまう世相の中に反映しているということになる。

私なら人の書いたものには、特に眉に唾を付けて読む。だから簡単に「私の百名山」というものには絶対に乗ることはない。それは自然としての「山」というものが、本来人間がそこから生まれてきた神聖なる場所であり、たかだか80年足らずの寿命しかない人間如きが、容易にその優劣を判断し、「こちらは百名山、こっちは別」、挙げ句の果ては、「如何せん、背が低すぎる」などと、判断する類のものではない。あえて言わせて貰えば、本当に山や自然を愛する人間は、好きな山、何度も登って見たくなる山はあっても、人に「これは名山こっちは、違う」と言ったような奢った書き方を絶対にしないはずである。案の定、深田久弥は、68才で茅ケ岳(山梨県1704m)という山で急死をした。私は大まじめに、深田の奢った態度に山の神が神罰を下したのだと思っている。

如何せん、それでもマニュアルブーム全盛の日本社会にあっては、深田版「百名山」は、ますます版を重ね、今後とも中高年の登山ブームをその背後から支え続けていくのだろうか。メダカのように群れ集い、マニュアル無しでは、どこへの行けない日本人。日本は、いつからこのような軽薄な国になってしまったのだろうか。佐藤


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2000.12.26